県道388号のバス停から、井川線の鉄橋まで急斜面を歩いて降りてきた前回。
今回は、湖の岸辺を走る旧線跡を紹介したい。
鉄橋に整備された歩道を歩く。こんなシチュエーションで歩くことは滅多にないので、それだけでテンションがじわじわ上がってくる。
下の写真は、しばらく歩道を歩き、歩いてきた方向を振り返ったところ。
ここでもう一度、旧線のルートを確認する。
奥大井湖上駅の付近では、岸に沿って旧線が走っているのがおわかりいただけるだろう。
このため、奥大井湖上駅やレインボーブリッジから、廃線から30年たった鉄道遺構を眺めることができる。
とはいえ、観光客は非日常の景色に囲まれて軽い興奮状態になっているので、そこに廃線があると意識しないと気が付かないかもしれない。
例えば、下の写真ではどうだろう。
紅葉に目を奪われて、なんか白いものがあるなーぐらいの存在感になる可能性もある。
拡大してみる。
どうだろう。橋に見えないだろうか。
旧線のプレートガーダー橋である。ひいき目かもしれないが、まだ十分現役感がある。
なお、上の写真は、下図の1の場所を映したものだ。
観光客を呼び込むアレコレ 井川線の生き残り策
アプトいちしろ駅から接阻峡温泉駅までの新線に付け替える時、現在のように湖の上を渡るようなルートで以外にも、いくつかの案が出されたという。
例えば、旧線ルートよりも内陸側に入り込んだ場所に駅を作る案であったり、ずっとトンネルの中を通る案も検討されたようだ。
しかし、最終的には、おそらく一番費用がかかると思われる現在のルートに決定した。
これはアプトいちしろ駅と長島ダム駅の区間にアプト式を採用したことにも通じる考え方だが、鉄道は単に線路をひいて列車を通せばそれで終わりというものではなく、その後、いかに存続させるかということを重要視した。
日本で唯一のアプト式で、最大勾配を行き来する列車。そして湖の上に駅を作ることで、付加価値をつけ、観光客を呼び込もうという、井川線の未来をみつめた新線のルートなのだ。
奥大井湖上駅へのアプローチは、列車で行くか、レインボーブリッジを徒歩で渡るか、しかない。純粋に観光のために作られた駅なのだ。 この奥大井湖上駅を観光の目玉としてバスツアーなども組まれるという話も聞いた。
いずれにしても新線のために旧線は廃線となったわけだが、その新線の駅のおかげで30年たった今でも、豊かな大井川の自然とともに旧線の鉄道遺構を目にすることができるということを、素直に喜びたいと思う。
さて、上り列車がやってきたので、このあとは列車に乗り込み車窓から旧線跡の撮影に挑戦する。
湖の水位次第で見え隠れする旧線跡
上の写真は、先ほどの地図の2の位置で撮影したもの。左側にある旧線の石積みが確認できる。また赤丸で囲んだ場所、こちらはトンネルだ。
下の写真は、地図の3の位置から。
千頭に向かう上り列車に乗っているので、今度は進行方向に向かって左側に目を向ける。(地図の5)
ちょうどこのあたりで、新線と旧線が交差することになる。
列車が進み、旧線と新線の交差する場所に近づいてくる。(地図の4)
正直に言うと、写真を撮っているときは、ここが交差点とわかっていなかった。
あとで写真を整理しているときに、「あ!」と気が付く瞬間がまた楽しい。
ゆっくり走行とはいえ、車窓からピントを合わせるのは、なかなか大変。
普段は静止しているものばかり撮影しているから、設定がなっていないのだけれど 笑。
でも、ピントは甘いけれど、下の2枚の写真が撮れてとてもうれしい。
廃道の世界で大変有名な方が、(たぶん)この廃線を歩かれている動画を拝見したが、その時は水位がずいぶん上で、橋から水面まではほとんど距離がなかったように思う。
こちらはひらんだ駅から撮影。(地図の6)
この湖面の底に、川根唐沢駅が沈んでいる。
以上で、井川線のもう一つの廃線の旅はおしまいである。
最後に、旧線から新線に付け替わる直前の動画をご覧いただきたい。
よくぞ撮影しておいてくださいました!と直接お礼をいいたいぐらいの貴重な動画である。
1回目は1990年の5月。水没した川根唐沢駅も映っていて、なんだか切ない。
ダム湖になっていない場所に架かるレインボーブリッジを見ることもできる。
2回目は1990年の7月。大加島乗降場の写真や、何もない犬間駅も登場する。
次は番外編です。
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