トップ写真:Rsa, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
トップ画像は、川の上に架かるトラス橋「第三穴内川橋梁」。さして珍しくもない、ごく普通の光景だ。普通じゃないのは、このトラス橋が「駅」であるということだ。
JR四国・土讃(どさん)線の「土佐北川駅」は高知県北部中央の大豊町にある。愛媛と徳島に接し、四国山地の中央に位置する町だ。
土佐北川は大豊町の南部にあり、一級河川の吉野川に合流する前の穴内川と土讃線が、南北に並走する区間に位置している。
もう少し駅周辺を拡大してみてみよう。国土地理院の等高線表示の地図で見ると、険しい山間部を穴内川と国道と土讃線が押し合うように並走していることがよくわかる。
駅の南北にはすぐトンネルが迫り、土讃線の列車は穴内川を鋭角に横切るルートをとっている。しかも駅は川に架かる鉄橋の上だ。なぜ土佐北川駅はこのような立地になったのだろうか。
その理由は、この地の地勢による駅の移転にあった。
土讃線が全線開通した1951年(昭和26年)の9年後、1960年(昭和35年)に土佐北川駅は開業している。実は開業時は今とは違う場所に駅があった。さらに言えば、北にある大杉駅へも今とは違うルートを走っていた。
下の地図の緑丸のあたりが、旧駅があった場所で、黄と赤の線が旧線のルートである。今とは違い、穴内川の東側を列車は走っていたのである。
Googleの航空写真でみると、駅の右斜め下あたり、穴内川の東に沿って旧線の跡がぼんやりと確認できる。
こちらは、旧駅があったと思われる場所のストリートビュー(駅の南側から北方向を望む)。
では、なぜ駅は移転したのだろうか。
土讃線の徳島と高知の県境区間は、川沿いの急斜面に線路を敷設したため、土砂災害などが多く発生していた。もともと地滑りの発生しやすい地勢だったこともあり、抜本的な対策が求められていた。
検討の結果、穴内川の西側の山にトンネル(大豊トンネル)を掘り、ルートを変更。それに伴い、旧線にあった大王信号所を廃止し、土佐北川駅に信号所の機能も持たせることになった(ちなみに、さきほど国土地理院の地図で旧線を赤と黄で示したが、色が変わる境目あたりに、大王信号所があった)。
旧駅は1面1線の棒線駅だったが、新駅は1面2線の列車交換可能な駅となった。
同じ場所で駅をつくりかえることが難しかったことや、他に適当な場所がなかったようで、結果として穴内川に架かる鉄橋に内包するかたちで駅を移設することになった。
こうして1986年(昭和61年)、第三穴内川橋梁に組み込まれた土佐北川駅が完成。新ルートでの列車走行になったのである。
以下、2つの動画は、列車が土佐北川駅を通過する際の車窓を撮影したものです。少しゆっくり映るように速度調整していますので、ぜひご覧ください。