ディープな大井川(3) 日本一の急勾配 アプト式で行く

転げ落ちそうな急斜面を上り下りする赤い平行四辺形の車両。
上の写真は、ピラトゥス山を走るスイスのピラトゥス鉄道だ。

480‰(パーミル)という世界一の急勾配を誇る登山鉄道。
「‰」は鉄道の勾配のキツさを表す単位に使われる。
480‰だと水平に1000m進めば480mの高さに達するという、とんでもない傾きである。

最初にこの写真をみたときに、日本でも同じ形をした乗り物に乗ったことがあるなぁと思った。
そうだ、ケーブルカー。
高尾山のケーブルカーは、最大勾配なんと608‰。
鉄道事業法によるケーブルカーでは日本一の急勾配だ。

ただし、ケーブルカーの車両には動力がないため、自力で動くことはできない。
自力で走行可能な鉄道車両としては、先の480‰のピラトゥス鉄道が世界一なのだ。

では同じく自力走行可能な車両で、日本で一番急勾配を走る路線は?

その答えは、大井川鐡道井川線の中にある。

新線付け替えのため直面した高低差

大井川流域にはたくさんのダムが建設されている。
その中の一つ「長島ダム」は、治水・利水を目的とし、およそ30年の年月をかけて2002年(平成14年)に完成した多目的ダムである。

ダム建設にあたり、井川線の一部の区間は水没することになり、新しい路線に付け替えられることになった。
現在の「アプトいちしろ」駅から「接岨峡温泉」駅までが新線に付け替えられた区間。そして、「長島ダム」「ひらんだ」「奥大井湖上」の3つが、新線開通のタイミングで新しく開業した駅である。

(このとき「アプトいちしろ」「接岨峡温泉」駅も、旧駅名から変更になっているが、このあたりはまた旧線の話として別記事で紹介する)

アプトいちしろ駅の標高は396mだ。長島ダムの堤高(地表からの高さ)は109mあり、長島ダム駅はダムの上部とほぼ同じ高さに作られたため、標高は485mある。短い区間に生じた高低差89mを、どう解消するかが新線の課題だった。

当時のことを記した資料などをみると、ループ線にしたり、もっとゆるやかな勾配で距離を伸ばし長いトンネルを通るなどいろいろ検討されたようだ。
しかし、最終的には最短の距離で90‰という急勾配を走行する案に決まる。

以前に取材した廃線で、碓氷峠を越える信越本線旧線(横井駅-軽井沢駅間)は、66.7‰という急勾配の難所だった。井川線の当該区間は、この勾配をさらに上回る。滞りない走行と十分な安全性を確保するためにどれほどの苦労があっただろうか。

急勾配を上り下りするために、碓氷峠越えと同様に「アプト式」が採用されることになった。
アプト式とは、線路の間にラックレールと呼ばれるぎざぎざの歯のついた2~3枚のレールを敷き、車両の底部に取り付けた歯車とラックレールを噛み合わせて、列車を走らせる方式のことである。

アプトいちしろ駅と長島ダム駅の区間、1.5kmの路線では、補助機関車としてED90形電気機関車(以下ED90)を連結して走行する。このため、両駅ではED90の連結または切り離しが必ず行われ、その作業見学が観光名物となっている。

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連結作業は一大イベント

井川に向かう列車がアプトいちしろ駅に到着すると、連結作業のためしばらく列車は停車する。
トイレ休憩のため降車する乗客も多い。

列車の最後尾に連結されている、DD20形ディーゼル機関車(以下DD20)。大井川鐡道は6台所有しており、それぞれに愛称がある。この写真のDD204は寸又峡に由来した「SUMATA」という文字が車体の横に刻まれている。

補助機関車のED90が近づいてきた。
線路の間には3本のラックレールが敷かれている。

ED90には901から903まで3台あるが、本日の助っ人はED903である。
下の写真では少しわかりにくいが、先頭にタラップ付きのデッキが取り付けられている。
これは、頻繁に行われる連結作業をデッキの上から間近でチェックできるようにするためだ。

こちらは、連結作業の後、駅員さん2人がかりで連結状況をチェックする動画である。

連結作業があることは、車内アナウンスで乗客にも知らされるため、ご覧のような大勢の乗客が集まり、みな熱心に作業を見学している。
(下の写真は、別の日に撮影したもの)

下り列車は、アプトいちしろ駅で最後尾(千頭側)にED90を連結し、90‰の急勾配を登って次の長島ダム駅に到着する。長島ダム駅でED90を切り離し、井川を目指す。

また逆もしかり。上り列車は長島ダム駅で先頭にED90を連結して、急勾配を下っていくのだ。

下の写真は、長島ダム駅で上り列車が出発する直前のものだ。
このときはED902とED903の2台が連結されている。車両編成が長めになると、こうした重連スタイルでの走行もあるようだ。

下の動画は、長島ダム駅を列車が動き出す様子を撮影したものだが、13秒すぎたあたりで軽やかに警笛が鳴る。

実は、3台あるED90には、それぞれ異なった形状の警笛が装備されている。
Wikiに掲載されている「大井川鉄道ED90形電気機関車」ページの説明によれば、ED901はスイス製、ED902はドイツ製、ED903は日本製とのこと。

撮影した写真を拡大などしてみると、ED901とED903については、不鮮明ながら警笛の形を確認できた。


ED903の日本製の警笛


ED901のスイス製の警笛

動画の警笛がED902のものとすれば、ドイツ製の音色を聞いたということになる。
実際に確認できなかったが、3つとも違う音色がするそうだ。
もし3つを聞き比べるができたなら、それはとても贅沢なことに違いない。

スイス姉妹鉄道からの助言「橋梁でも道床を使うべし」

奇しくも、廃線となった信越本線の旧線と同じアプト式を採用した井川線の新線だが、過去のアプト式で発生したトラブルを繰り返さぬよう、多くの実験・検証によりデータが集められ、より安全に徹する技術開発が行われた。

特にアプト式を採用している区間は、急勾配だけでなく急カーブもあり、脱線のリスクが高い。また夏場におけるレールの熱膨張も懸念材料の一つだ。
熱膨張に関しては、バラスト(砂利)の敷いてある道床を使うことで許容内におさまることも経験上わかっていたが、問題はこの区間にある橋梁(きょうりょう)だった。通常は、道床を使わない橋梁上で、ラックレールの熱膨張によるトラブルが心配された。そこで姉妹鉄道であったスイスのブリエンツ・ロートホルン鉄道に助言を求めたところ、「橋梁上においても道床を使うこと」という回答が返ってきた。これにより、桁をコンクリートPCにした道床付きの橋が作られることになったのである。

下の写真は、長島ダム駅を出発した列車が、短いトンネルを抜け橋梁に向かうところ。

橋梁上にも道床がありバラストが敷かれていることがわかる。

こうして多くの困難を乗り越え、2002年(平成14年)に、アプト式を採用した区間を含め、井川線の新線が開通した。

ちなみに、ブリエンツ・ロートホルン鉄道も全線アプト式の最大勾配250‰の鉄道を持つ。(下の写真)

なおDD201の車体の愛称は「ROT HORN」である。
もちろん、ブリエンツ・ロートホルン鉄道に由来したものだ。

しかし、登山鉄道の車両には、本当に赤がよく似合う。
赤い列車をみると、何か魔法がかかったような気分になるのは私だけだろうか。

つづく

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