到達:2023年10月
難易度:■■□□(初級)
灯台クエストは、次のような灯台を求める旅だ。
・小ぶりだが形がきれい
・それほど知られていないのでめったに人がいない
・あまり簡単には行けないので、出会った瞬間の喜びが大きい
この条件を満たす灯台がまたひとつ見つかった。それが特牛灯台(こっといとうだい、山口県下関市)だ。
目立つ岬にあるわけではないうえに、すぐ近くに角島灯台(つのしまとうだい、山口県下関市)という著名な灯台があるから、さらに目立たない。
初点灯が明治45年(1912年)1月で、明治初期の灯台たちのようには脚光を浴びないし、ギリギリ“明治期の灯台”なのに、海上保安庁の「明治期灯台一覧」にも載っていない(このページは海上保安庁のトップページから行けないし、忘れ去られた野良ページかもしれない)。
この“地味さ”が特牛灯台の大きな魅力だと思う。
特牛灯台は、下関から国道191号を北上し、「もうすぐ角島灯台だ」というちょっと手前の「特牛」(こっとい)にある。この地名は、鉄道ファンなら難読駅名として知っているかもしれない。ただし、JR特牛駅は内陸にあるので、灯台からはちょっと遠い(しかも2023年11月時点で、この区間の山陰本線は長期運休中)。
地形を見ても、ちょっと灯台が必要そうな感じがしない。ただ、複数のブログに「角島大橋が出来る前は角島便がこの港から出ていたようです」(Lighthouse-JAPAN.com)のように書かれているし、灯台のすぐ南にある特牛港は、このあたりで割と重要な港だったのかもしれない。
建設理由はともかく、100年以上経った現在でも活躍していて、その姿を見に行ける、というのはありがたいことだ。
湾の奥行きが300mぐらいある特牛港の防波堤近くまでクルマで行けば、灯台はもう近くだ。
この先、一般車両は入れない感じだが、そもそも入っていくクルマもなさそうだ。すでに灯台の登り口の階段が見えている(写真中央)。
手すりまで付いたりっぱな階段がある。ただし、これは最初のうちだけ。
すぐに普通の山道になり、つづら折りで登っていく。
写真で見ると、どうってことがないようにも見えるが、路面が少し崖下側に傾いている。崖はかなり急峻で危ないので、落ち葉で滑らないように慎重に歩く。
雨で路面や落ち葉が濡れているときに行くなら、とくに注意してほしい。
つづら折りの曲がり角を4回(だったか?)繰り返すと、上り坂が終わり、尾根に出たようだ。
そして、木立を抜けて明るいところに出ると…。
一気に視界が開け、特牛灯台の頭だけが見えた。
灯台の手前は、木がなく小さな広場になっている。おそらく、灯台職員の宿舎(退息所)があったのだろう。ただ、明治初期の灯台たち(例えば鍋島灯台や経ヶ岬灯台)などと比べると狭い。外国人技師が住まなくなったからか。
敷地を囲む塀の名残りもあるが、いつの時代のものかはわからない。
そして、とうとう特牛灯台に対面だ。
午後の日差しで輝く海面を、灯台が静かに見つめている。
上から見ると、下半分(六角形の灯塔)に対して上半分(灯籠)がちょっと大きく、アンバランスな感じもある。だが、灯台の立つ地面まで下りて見上げてみれば、その感じは薄れる。そして、六角形の灯塔がいい味わいを生んでいる。なかなかきれいな姿だ。
下の灯塔はコンクリート造で、六角形なのがカッコイイ。上の灯籠は鉄造だ。いくつかの資料を基に、上の灯籠は当初のものから作り替えられた可能性を指摘するブログもある。なるほど、それがアンバランスな感じを持たせる要因なのかもしれない。
入口には門番がいて、不審者が勝手にカギを開けるのを防いでいた。
入口近くには、階段の跡があった。職員宿舎があったときは、灯台までこの階段を下りてきたのだろう。いまは木の枝がじゃましていて通れないが。
灯台には照射灯(危険箇所を照射して所在を船に知らせる投光器)が付いている。
あらためて海を見ると、島というか岩というかがいくつも海面から顔を出していて、これでは特牛港に入る船が通りづらそうだ。
写真中央に小さく写る白い柱は、「ここより陸側を通れ」という目印で、照射灯はこの柱(標柱)を照らしているらしい(昼間なので確認できないが)。
さらに右に目を移すと、海の真ん中に緑色の浮標(ブイ)が浮かんでいる。船の航行にはやっかいな場所だということが、よくわかった。
行きと同じように足元に気を付けながら歩き、10分ぐらいで下界に戻った。