到達:2023年10月
難易度:■□□□(入門)
江戸時代末期、日本に開国を迫った諸外国は、西から来た船が関門海峡と瀬戸内海を通って関西方面に行くことを想定していただろう。だからイギリスは、兵庫開港のために幕府と「大坂約定(大坂条約)」を結び、関門海峡の両端に六連島灯台(むつれじまとうだい、山口県下関市、旧暦明治4年11月初点灯)と部埼灯台(へさきとうだい、福岡県北九州市、旧暦明治5年1月初点灯)を作らせた。
大阪約定によるほかの灯台はこちら。和田岬灯台(2代目)は廃止後、兵庫県神戸市内の別の場所に保存されている。
瀬戸内海を西に向かって進んできた船にとって、部埼灯台は関門海峡の入口を示す重要な場所にある。
門司港の中心地や、関門橋の門司港ICから割と近そうに見えるのだが、太刀浦という埋め立て地と部埼灯台がある場所の間が、ギリギリでつながっていない(一応工事中のようだ)。このため、ちょっと大回りをする必要がある。
ということで、灯台前の駐車場に到着。
道の先に見える、自由の女神みたいな像は、清虚という江戸時代の僧のもの。航行する船のために亡くなるまでの13年間、火を焚き続けたという。その後も部埼灯台ができるまで、火を焚くことは村人により引き継がれたそうだ。
地図で見ると灯台は駐車場の目の前のはずだが、こういうことだったか!
それでもなんとか登りきった。ここは東から日が当たる午前中に来た方がいいな。
短い灯塔と半円形の付属舎。ブラントン設計の典型例だ。ただ、付属舎が大きくてちょっと趣味でない。
部埼潮流信号所(潮流の状況を知らせる電光表示板が設置されている)のひさしがしゃれている。
さて、急階段を今度は下って駐車場に戻ろう。
もし時間に余裕があるなら、関門海峡の下関側にも足を伸ばしてみてほしい。門司港行きや巌流島観光の船が発着する下関唐戸港(記事冒頭の地図参照)の防波堤にある防波堤灯台がなかなかいいのだ。
手前の白いのがあるかぽーと東防波堤灯台、向こうの赤いのが下関外浜町防波堤灯台だ。バックに見える関門橋とあわせ、なかなか絵になる景色を作っている。
とくにあるかぽーと東防波堤灯台は、白以外の色がアクセントで入っているほか、経年変化で白地の下の褐色が見えていて(わざと?)、白色一辺倒の灯台よりおしゃれ感がある。