テンミニッツで神社参道を往復、渡波尾埼灯台と一瞬の出会い

 

  

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

「10分だけ時間がとれる!」

 一瞬だけでも見ようと、クルマをとめて鳥居をくぐり、渡波尾埼灯台(わたのはおさきとうだい)に向かった。

 

 

 濤波岐埼(どうみきさき)灯台を見たあと網地島(あじしま、宮城県石巻市)から鮎川(同)に戻り、あとは石巻市街でレンタカーを返すだけとなった。

 

網地島に渡って濤波岐埼灯台に対面した話はこちら↓

 

 だが、ちょっとだけ時間の余裕があるので、少しだけでも渡波尾埼灯台を見られないかと、宮城県道2号(石巻鮎川線)を左に入った。

 

渡波尾埼灯台の位置。鮎川(牡鹿半島)から石巻市街へ向かい、折浜や小竹浜方向に左折した(右の赤丸)。逆に石巻市街から県道2号で鮎川に向かうときは、万石橋を渡った先を右折する(左の赤丸)(地図:国土地理院)

 左折後、半島的な部分(牡鹿半島のさらに一部であるせいか、ここだけの名前はないようだ)の南側の海岸線に沿った道をぐるっと走る。結構曲がりくねっているし、対向車とはすれ違えないぐらいの道幅なので、スピードが出せず、思いのほか時間がかかる。

 

時間が許すまで行ってみる

 目印となる尾崎神社の鳥居前にクルマをとめると、どうも時間の余裕がなさそうになっていた。仕方ない。10分と時間を決め、行けるところまで行って、ダメでも引き返す、ということにした。

 

 

鳥居をくぐったあとの尾根道(参道と言うべきか?)を走って下る。

 

 

 だいぶ岬の突端に近づいている感じがする。もう左はすぐ下が海だ。

 

 

 神社の社(やしろ)が見えてきた。

 

 

 そして、灯台の姿も社の向こう側に。

  

 

 灯台は、神社より低いところに立っているので、半分しか見えない。

 

 

 渡波尾埼灯台に到着。距離が近いので、画面を縦にしても入りきらない。

 

 

 崖下を見下ろして、ようやく灯台の立つ地面が見える。ここからまっすぐには下りていけなさそうだ。

 

 

 後日ほかの人のブログなどを読むと、この右側から下りていくことができたようだった。だが、ここでタイムオーバー。すでに5分以上が経過したので急いで戻る。

 

 

 所要10分、一瞬だけの渡波尾埼灯台との出会いだった。

 

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不思議な灯台名を推測する

  ところで、灯台へのアプローチがそのまま神社の参道になっているというのは、珍しいかもしれない。尾崎神社と渡波尾埼灯台との関係を推測してみた。

 尾崎神社は「万治2年(1659)ごろに建立したとされる」そうで、かなり歴史が古い。石巻から出港すると最初に出会う岬であり、航海の安全を海の神(大海津見神、おおわたつみのかみ)に祈るために作られた、というところだろう。もちろん、現在の社などはかなり新しくきれいだ。

 

 

 もちろん灯台が作られたのはずっとあと、1950(昭和25)年だ。神社の参道が、灯台の建設と保守のためにだいぶ役立ったに違いない。鳥居が社のそばではなく、自動車道からの入口に立っているのが、灯台建設と関係があるのか。これはちょっとわからない。

 ただ神社との一体感が灯台名にも反映されている、と推測できる。というのは…

 尾崎神社の現在の住所は「石巻市渡波(わたのは)本網」。渡波は万石橋を渡った石巻市街の方も含む、広い範囲の名称だ。尾崎神社の「尾崎」の名前がどこからついたかはわからないが、この岬(突端)部分にははっきりした地名がなさそうだ。

 多くの灯台は、「××埼」と岬部分の名前が付いているのだが、ここは「渡波尾(わたのはお)」という岬(埼)ではない(おそらく)。土地の名前である渡波と、尾崎神社の尾崎をあわせて「渡波尾崎(わたのはおざき)」とし、その後「崎」が「埼」に変わったとも考えられる。

 ちなみに「埼」は海洋に突出した陸地の突端部、「崎」は平野の中で山脚の突出したところを指す、という使い分けがある(海上保安庁のサイトによる)。このため、海上保安庁が灯台名を決めるときに、「崎」を「埼」に変えたのではないだろうか。

 

灯台も神社も真新しい理由

 写真を見て気づいたかもしれないが、灯台も神社も結構きれいで、新しそうに見える。

 思い当たるのは東日本大震災だ。調べてみるとやはりそうだった。震災で、灯塔の途中に亀裂が入っていた。

 

 

 塔の太さ、上部、下部とも現在と違うので、まったく新たに立て直したようだ。

 

 

 改築は2014(平成26)年11月。

 そして神社の社(御宮)も2020年に新しくなった(「新たな御宮と絵馬奉納 渡波・尾崎神社 氏子の願いに三浦工房協力」)。灯台と違い、こちらは国が費用を出してくれるわけではない。いろいろと大変ななかでも、神社を大切にしたいと思う氏子や地元の人々の気持ちは強かった。急いでいてそういう細かいところに気づかなかったが、現場でもうちょっと味わえばよかったな。

 

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