数々の特徴を持つ六連島灯台だが、六連島自体の探検感もいい

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2023年10月
難易度:■■□□(初級)

 

 六連島灯台(むつれじまとうだい、山口県下関市)には、いくつも自慢できる特徴がある。

・1867年(慶応3年)、外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した5カ所の灯台のひとつ

・日本の灯台の父ブラントンが設計し、1872年1月(明治4年11月)に、神戸以西で3番目の灯台として点灯

・日本に3基しかない無塗装石造り灯台のひとつ

・明治天皇が行幸した唯一の灯台(明治5年6月)

・2020年に国の重要文化財に指定

 

 3基の無塗装石造り灯台については、こちらで詳しく紹介している。

 しかし、これらは「知っていればより楽しめる」というだけで、「現地に行って間近に灯台を見る」という“灯台クエスト”の趣旨からいえば、オマケ的な情報でしかない。それより、六連島灯台を見に行く最大の魅力は、六連島という島だろう。

 

 六連島へ行く船は、JR下関駅西口から歩いて5分の竹崎桟橋から乗る。

(国土地理院)

 西から来た船が、関門海峡を通り瀬戸内海に抜けるとすれば、六連島の南西側を通るのがよさそうだ。しかし六連島灯台は、六連島の東側、下関との間を照らす。大坂約定で六連島灯台を幕府に作らせたイギリスは、こっち側を通るつもりだったのだろうか。

 ちなみに、六連島のすぐ隣(南西側)にある馬島とその北西にある藍島は、なぜか県が違って福岡県北九州市小倉北区に属し、船も小倉港から出ている。

 

 六連島航路は1日4便あるのだが(2023年10月現在、時期によって異なる)、このうち3つの便は六連島に着いてすぐに引き返す運行なので、灯台を見るのには使いづらい(第3便で行って、第4便で帰る方法もあるが)。午前10時発の第2便だけが、六連島で2時間ちょっと停泊するので、これを使うしかないのだ。

 さあ、下関を出発。

 

 六連島が間近に見えてきた。船の舳先には行けないので、次の写真は帰路、船のともから撮影した六連島の全景。

 よく見ると、画像右端に小さく六連島灯台が見えている。

 

 近づけばだいぶよく見えてくる。上部(灯籠部分)だけだが。

 

 20分で六連島に到着。この日は地元のスタンプラリーを実施していたようで、その参加者が数人いた。その人たちを含め乗客は30人ぐらいか。

 港には小さな待合所があるだけ。この写真から左にかけて、20~30軒の住宅が集まっていて、島内の住宅はほぼ全部このへんにあるのではないか。あとは、島の南東に石油か何かのタンク群があるだけだ。

 なお、トイレは待合所にはなく、上の写真の左部分あたりにある(手前の建物で見えない)。次の写真でトイレの左に見える坂道は、なかなかな急勾配だ。

 

 では灯台に向けて、海沿いの道を歩き出そう。先が見えなくなっている左カーブの先あたりだろうか。

 違った。もっと手前に上り口があった。

 急な石段を上りきれば、灯台が見えて…。

 いや、まだまだだった。

 そして見えてきた。

 

 六連島灯台に到着。

 手前の広い敷地は、灯台職員の宿舎(退息所と言う)があった場所だろう。明治から昭和の途中まで、灯台職員(と家族)は灯台の敷地内に住んで、日々の業務を行っていたのだ。

 雑草対策などで緑のシートが覆われているので見栄えがよくないが、これがなかったら灯台に近づけなくなるだろう。右の草むらを見ればわかる。上り口からここまで、定期的に手入れされている感じがする。

 

 灯台の左にある木は桜だろう。開花時期はなかなかいい景色になりそうだ。

 

 灯籠の大きさに比べると、灯塔がかなり低い。灯籠の形や半円形の付属舎は、いかにもブラントン設計という感じ。

 無塗装(白く塗装されていない)の御影石(花崗岩)の表情がもたらす渋さはあるが、灯塔が短いこと、外側を囲むブロック塀と色味や質感が似てしまっていることなどから、現地で見るとアピール力があまり大きくない。

 

 初点灯は1872年1月1日。太陽暦の採用は明治5年11月なので、日本語では明治4年11月21日と月日がずれている。このような銘板の日英併記は、外国人が設計・建設に関わった(と思われる)明治14年初点灯の立石岬灯台(福井県敦賀市)まで続いた。

 

 宿舎跡の敷地、灯台とは反対側、少し入ったところに「明治天皇行幸聖蹟」という碑が立っている。前述したように、明治天皇が行幸した唯一の灯台なのだ。

 ところがこれ以上近づけない。写真では見えないが、通り道にクモの巣がいっぱい張られているのだ。ムリしてまで近づかなくてもいいので、ここまででおしまいにする。

 

 ということで、灯台探訪は終わったのだが、港に着いてからまだ20分しか経っていない。あと2時間弱の時間をつぶさないといけないので、島を反時計回りに一周することにした。とくに見るようなものはないし、もちろん売店やカフェもないが。

 灯台からの道では、海を挟んで下関方面が見える。このあとはかなり急な上り坂が続き、なかなかツライ。いつもの灯台クエストっぽくなってきた。

 なお、歩くときはGPSをオンにして、ときどき現在位置を確認した方がいいと思う。次の地図やGoogleマップを見ると一本道に思えるが、何カ所か分かれ道があり、もちろん標識はないから、違う道に入ってしまう可能性がある。

(国土地理院)

 今回は、上の地図で最高点(標高103.6m)が示されている道に行ってしまった。偶然にもそこを歩いていた地元の方とお話をして、道を間違えたことがわかったのだが。この道の先には以前自衛隊の施設があったそうだ。

 

 島の南西まで来ると、西側の海が少しだけ見えた。すぐ隣の馬島は近すぎて見えず、手前の細長い島は藍島、その向こうにあるのが石油備蓄基地のある白島だろう。上部鉄造・下部石造というユニークな構造の白州(白洲)灯台が遠くに見えてもおかしくないのだが、左端の木に隠れているのかもしれない。このへんの海域は島がポツポツと点在するので、船の航行には気を使うところかもしれない。

 

 道の両側に多く見かけるのは、花を栽培しているビニールハウスだ。キク、マーガレット、カーネーション、ケイトウなどいろいろな花が育てられていて、これらを見ながら歩くのもなかなか楽しい。

 

 島内一周の道の南端あたり、ここに行く道も気を付けないと通りすぎてしまうけど、「農村公園」という名前の付いたところがある。単なるあずまやがあるだけだが。

 腰を落ち着けて休憩できる場所は、島内にここぐらいしかない。少し早いが持ってきた昼メシを食おう。

 トイレもある。部外者が使える島のトイレは港近くとここの2カ所だけだ。

 

 では港に戻ろうか。上りがきつかった分、下りも半端じゃない傾斜で、普通に歩くと靴の中のつま先が圧迫され歩きづらい。次の写真は下ったあと後ろを振り返ったところ。

 住宅の軒先を通るという、離島によくある風景も見られた。りっぱな石垣が目を惹く。

 出発時にトイレ近くで見た急坂を下ってきた。島を一周するなら時計回りじゃない方がいいと思える急な坂だ。

 

 では、下関に戻ろう。灯台というより、六連島をクエストしたという体験だった。

 

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事