どっしりした形の江埼灯台、大地震を乗り越え150年現役を続けるたくましさ

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年5月
難易度:■□□□(入門)

 江埼灯台(えさきとうだい、兵庫県淡路市)を特徴付けるのは、”歴史の古さ”と“地震による被災”の2点だ。

 

 江戸時代末期、幕府は兵庫開港のためにイギリスと「大坂約定(大坂条約)」を結び(結ばされ)、5カ所に設置した灯台の一つが、江埼灯台だ。初点灯は1871年6月(明治4年4月)。

 西から瀬戸内海を進んできた船が大阪湾に入るには、本州と淡路島の間にある、狭い明石海峡を通らなければならない。江埼灯台はその淡路島側にある灯台だ。

(国土地理院)

 一方、南(四国の南岸や紀伊半島)から来た船が大阪湾に入るには、友ヶ島水道を通らなければならない。大阪約定ののもう一つの灯台である、友ヶ島灯台はそこにある。

 大阪約定によるほかの灯台はこちら。

 和田岬灯台(2代目)は廃止後、兵庫県神戸市内の別の場所に保存されているが、ほかの4つは150年以上経ったいまでも現役で活躍している。

 

 江埼灯台の特徴のもう一つが、1995年1月の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)だ。震源にごく近かったため、灯台本体、退息所(官舎)、道路から灯台までの階段に、かなり大きな被害を受けた。

 被害の概略は、階段の上り口にある「江埼灯台の兵庫県南部地震災害復旧工事」という掲示板に記されている。

 灯台にはヒビが入ったものの、大きな崩壊には至らず、現在は修復、耐震補強されている。重心の低いどっしりした形と、確かな石積み技術のおかげと言えるかもしれない。

 ただ、階段は修復されたものの、ズレや傾きは明らかに残っている。倒壊した退息所(官舎)については記事最後で触れる。

 

 そろそろクエスト本題に入ろう。

 淡路島のほぼ北端、兵庫県道31号沿いにある、江崎公園の小さな駐車場が出発点だ。明石海峡大橋や、対岸の明石の街並みがよく見える。

 灯台へは、灯台のモニュメント(江埼灯台には似ていないが)やトイレの先に進む。

 あずまやを過ぎると、りっぱな石組みの階段が現れた。かなり上まで続いている。

 階段は少しずつ傾きがあり、石がずれているところもある。これが、地震の影響だ。

 この写真ではちょっとわかりにくいが、赤っぽいコンクリートの歩道が階段と交差するように通っている。ただ、左右とも少し行ったところで途切れていて、遊歩道にしてはおかしい。

 その場にあった、「江埼灯台の兵庫県南部地震災害復旧工事」という掲示板の写真をあとで見たら、謎が判明した。地震で発生した亀裂を示すものだったのだ。掲示の文章をその場でちゃんと読んでいれば、もっときちんと赤いコンクリートを撮影できたのに…。

 

 そしてこの単調な階段をずっとのぼっていく。想定していたよりなかなかハードだ。

 突き当たって左の門を通り、あと10段ぐらいのぼれば…。

 

 江埼灯台に到着。退息所など複数の建物があったのだろう、敷地がかなり広い。ただ、半分より奥は立入禁止になっている。

 地震で付属舎の壁にヒビが入って、それを修復したらしいが、反対側(海側)なので確認できない。コンクリートの地面には目立った亀裂のあとや歪みはないように見える。

 背の低い灯塔と、半円形の付属舎。安定感のある形は、おなじみの“ブラントン式”スタイルだ。写真に写るほどデカいハチが3匹飛び回っている。

 このころは銘板のデザインもほぼ統一されていた。英語と日本語で「ILLUMINATED 14th JUNE 1871」「明治4年辛未(かのとひつじ)4月27日初点」。太陽暦を採用したのは翌年なので、日付が西暦と和暦で少し違っている。

 灯台のそばまで行けないので、灯台から見る景色に少し近づけてみる。明石海峡が一望できそうだ。

 

 退息所(官舎)は震災のときまでここにあったらしい。ところが地震で倒壊したために、香川県高松市にある四国村ミウゼアムに移築・復原されたそうだ。

 これがその退息所だ。石造りの大きな建物で、窓などは洋風だが、屋根は日本風の瓦葺きという和洋折衷になっている。

 明治10年代までは、灯台の設計だけでなく運用(灯台守)も外国人(おそらくイギリス人)だったので、室内も外国人仕様になっている。

 各部屋には暖炉もあった。家具は当時のものなのだろうか。隣に移築されている鍋島灯台(香川県坂出市、初点灯明治5年)の退息所にはピアノもあった。

 さらに隣のクダコ島灯台(愛媛県松山市、初点灯明治36年)の退息所になると、灯台守が日本人に代わっているので、室内は畳敷きに障子など、純和風になる。

 このように、地震の影響がないわけではないが、灯台としての機能が継続できたのはなによりだ。さらに現役稼働年数を増やしていってほしい。

 

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