

到達:2025年1月
難易度:■■■□(中級)
阿波竹ヶ島灯台(あわたけがしまとうだい、徳島県海陽町)は、難易度が高かった。行程中の最難関と感じた箇所は、もしかしたら最近斜面が崩れ、それで難易度が上がったのかもしれない(確証はない)。
阿波竹ヶ島灯台があるのは徳島県の最南端で、高知県との県境がすぐそばだ。県境を越えると甲浦(かんのうら、高知県東洋町)の町がある。

国道55号を海陽町から室戸岬方面に向かい、水床トンネルを出たところが、徳島県と高知県の県境だ。ここを左折し、橋を渡ると竹ヶ島に着く。

「海洋自然博物館 マリンジャム」(海中観光船や小さな水族館がある、水族館は帰りに寄った)を過ぎ、行き止まりの漁港にクルマをとめた。防波堤の中に入ると、竹ヶ島神社の鳥居がある。
灯台は、鳥居ではなく、その右の階段をのぼる。「四国のみち(四国自然歩道)」の案内板がある方だ。四国のみちは阿瀬比ノ鼻灯台で書いたが、ここも四国のみちに指定されていているので、比較的整備されている。
のぼり始めはこんなに立派な石畳の道だ。少しのぼったところに墓地があった。墓石が新しいものが多く、近年どこかから移したのかもしれない。
しばらくは擬木の階段が続く。さすが四国のみち。
だが、石畳は唐突に終わる。ずっと続くとは思っていなかったが。
その後は普通の山道だったり、木階段だったり、のぼりが延々と続く。苦しいけど、足元はあまり歩きづらくはない。
10分ちょっと歩いたところで案内標識があった。進行方向は「四国の道展望台」で、これはOK。反対方向は「ナントカ(読めない)の森」?
標識があるということは分かれ道か、と思って振り返ると、右へおりていく道があった。写真左端がいま来た道。この矢印はどっちの道を指しているかがちょっとわかりにくい。右に行っても方向的には港に戻れそうな気がするが、ちゃんと戻れる保証はない。帰るときは右に行かないように注意しないと。
元に向き直ってちょっと進むと、今度は右に「ビシャゴ磯」に向かう標識が。灯台へは「展望台の手前を右に入る」そうだが、ここではなさそうだ。
後日調べたところ、以前はこっちから灯台へ行く道があったようだ。次の航空写真は、1974年~1978年に撮影されたもの。現在地から灯台に向かう斜めのスジがうっすらと見える。

そのスジと、今回歩いたルートに挟まれた場所に、少し色の違う部分があるが、これがどうやら竹ヶ島という名前の由来になった竹林(たけばやし、ちくりん)と思われる。
竹林の西端(道らしきスジのあたり)には、段々畑のようなものがあり、複数の年代にまたがって作られたようだという。さらに、石を切り出した跡もあって、海岸(ビシャゴ磯)から運び出したのかもしれない。
このように、だいぶ古い時代からこの場所には人が入り込んでいたようなのだ。それが事前にわかっていれば、こっちの道を少し進んでもよかったな。立入禁止の表示がある、という情報も見つけたが、どちらにしても後の祭り。
このときはそのようなことを知らなかったので、道なりに木階段をのぼっていく。だいぶ息と足が苦しくなってきたころ、右側がだいぶ明るくなっているところに来た。
そこは木がなくなっていて、「魚つき保安林 →阿波竹ヶ島灯台」という赤い標柱が立っていた。
ここが灯台の入口だ。歩き始めてから15分ぐらい。
その先はかなり急勾配の斜面だった。正面から太陽の光が入り込んだ写真しか撮っていなかったので、これではよくわからないが。
右下の斜面は急勾配のままずっと下まで続いていて、ころげ落ちたら相当マズそうだ。写真左下には、さっき書いた“竹林”が見える。
しかしいま写真を見ても、そのとき感じた危なさがあまり感じられない。もっと臨場感あふれる写真を撮りたいものだ。
覚悟を決め、慎重に歩く。通りすぎて振り向くとこんな感じ。路面が水平ではなく、斜面下に向かって傾いている。しかも道自体にも少し傾斜がある(分岐点からだとくだる感じ)。
ここが今回の最難関の箇所だった。
それでも、歩けるように土が盛ってあることがわかる(写真右上が道)。
なんかおかしい。
(1)先人のみなさんが載せている、その付近の写真(例えば2021年5月、2023年7月など)は、周囲にもっと木が立ち並んでいるように見える。
(2)みなさんはわたしほど怖がりではないとは思うが、ちょっと危なさそうな場所があった、という記述を見かけない。
(3)道の付近およびそれより上の斜面(写真を撮りそびれた)にいくつもある切り株が真新しい感じ。
もしかして、この1、2年のあいだに、斜面が崩れたのではないだろうか。
これが2017年の空中写真だ。

(国土地理院)
分岐点の位置はあまり正確ではないが、灯台への道は「地肌が見えているところ」の右端に沿って通っているように思える。
だが今回通ったときは、灯台への道の上(写真の右方向)の斜面も木がなくなって地肌が見えていたような気がする。「地肌が見えているところ」と「大きな岩?」の間にある木がかなりなくなったのではないか。写真を撮っていないうえにその場所の風景をきちんと見なかったのが非常に悔やまれる。
いろいろ総合すると、2023年以降、ここで崩落があった可能性がある。とすれば、「魚つき保安林」の標柱付近の様子が違うのも説明できる。新しい切り株は、どなたかが崩れた斜面にあった倒木をどけ、立ち木を切ったためではないか。
ともかく灯台に向かおう。危険箇所を過ぎると道はくだりになる。
このへんが一番低いところで、ここから先はまたのぼりになる。港からのぼってきた山と、灯台がある山はひと山違う、ということだ。道の右は竹林だ。
木が倒れているが、またいだりくぐったりすればだいじょうぶ。
道はだいたいわかる。ただ夏頃、とくに日なたでは草木で道が隠されてしまうかもしれない。
先が明るくなってきた。
見えてきた。
阿波竹ヶ島灯台に到着。歩き始めてから25分、四国のみちとの分岐点から10分。ほとんどのぼりの道はまあまあつらかった。
積雪時に視認しやすくするための、赤白(黒白もある)の塗色、いいよね。北国以外では珍しいと思う。初点灯の1974年(昭和49年)ときからこうだったのかな。
敷地が狭いので、灯台の全体像が撮影できない。海も見えない。ここに来るまでの探検感はバツグンだし、赤白塗色もいいのだが、その点が残念だ。
さて帰り道。歩き出してすぐ、正面か左かちょっと迷う。
倒れた木の記憶から、左から来たことがわかったが、正面を進んでもおそらく同じところに出たと思う。草の少ない冬に行くメリットはこのへんにある。
危険箇所を通過し、石畳になっている四国のみちに戻った。せっかくなのでもうすこしのぼって展望台に行った。
いやー、なかなかいい眺め。灯台も灯籠だけが見える(水平線付近)。展望台と灯台とは山が一つ違う、ということがよくわかる。
西方向には高知県東洋町の甲浦(かんのうら)が見える。岬の中央あたりに灯台の頭だけ見えているが、これは2018年に廃止された旧甲浦灯台だ。公園として整備するため、土地と灯台を町が買い取ったので撤去されていないということらしい。
あとは港までくだるだけ。のぼりのような息の苦しさはない代わりに、足の筋肉とひざの関節が悲鳴をあげ始める。あまり急がないで、ゆっくりくだることをオススメする。
そして要注意! くだっていく途中、ビシャゴ磯への入口より少し手前に、来るときはまったく気づかなかった分岐があった。思いっきり手ブレしたヒドイ写真だが、これしかないので仕方がない。ここは左だ。右に行くとどうなるだろうか?
写真をよく見ると、左の道の左(写真左端)にピンクリボンがある。
足の筋肉を気にしながら、港近くの墓地までくだると、お墓の掃除をしている人がいた。あいさつして、灯台まで行ってきたことを説明すると「遠かったろう」と言われた。はい、遠かったです。