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※2022年放送の「水のため息」篇はこちら↓です。
映画やTVドラマには物語がある。インパクトの大きな筋立ての物もから起伏の少ないおだやかなものまで、人を惹きつけてやまないものには、それぞれの「物語」が秘められている。
そんな物語の中には、時に主役以上に印象に残る脇役がいることもある。そして、その脇役が「人」でない場合も。
今回は、【物語を彩る名脇役の土木たち】シリーズとして、映像の中における土木たちの名バイプレーヤぶりをとりあげてみたい。初回の今回は、たった15秒のCMの中に映し出される土木たちだ。
まずは、下の動画をみてほしい。大分むぎ焼酎二階堂のCMだ。二階堂のCMは何本も制作されているが、ここで取り上げるのは2008年に放送された「消えた足跡篇」である。
わずか1~2秒の風景をつないだ15秒のCMなのに、1本の映画を見たような物語性があるといえば言い過ぎだろうか。
大分むぎ焼酎ということもあり、CMに登場するロケ地はすべて九州(福岡県と熊本県)だ。ここでは、4つのシーンに注目した。時系列に順番に紹介していこう。
那珂川橋梁 福岡県福岡市
CMの冒頭、樹々が影を落とす小道の視線の先に古びた鉄橋があり、列車が音をたてて通過していく。ほんの2秒ほどのシーンだが、「消えた足跡」篇にふさわしい暗示的なアプローチで物語が始まる。
撮影場所は、西鉄天神大牟田線が那珂川(なかがわ)と交差する河川敷だ。同名の川が関東地方(栃木県・茨城県)にもあるが、こちらは福岡県(一部、佐賀県)を流れる二級河川である。
列車が通過している鉄橋は、那珂川橋梁だ。下のGoogleストリートビューは、実際に撮影した場所から橋を挟んで反対側(北側)にある道路から那珂川橋梁を見ている。CMでは暗くてわかりにくいが、橋桁に白塗りで「10」という数字が見えるが、ストリートビューでも確認できるだろう。
ちなみに、ストリートビューで180度振り返ると、道路わきの街灯がみえる。上の画像で、通り過ぎた列車の左側に見える白い街灯と同じものだ。
「にしてつwebミュージアム」のコンテンツ「沿線風景アーカイブス」には、1923年(大正12年)に建設工事中の那珂川橋梁の写真が掲載されている。
当時の九州鉄道(現在の西鉄天神大牟田線)が1924年(大正13年)に西鉄福岡(天神)から西鉄久留米まで開業するのにあわせて架橋され、幾度の補強工事を経て今も現役の橋である。
霊台橋 熊本県美里町
熊本県美里町
CMは続いて短くショットが切り替わる。そして、チリリン♪とベルを鳴らしながら、アイス屋さんの自転車がアーチ型の石橋の上を通り過ぎていく。
この石造りの橋は、熊本県下益城郡美里町にある霊台橋(れいだいきょう)だ。江戸時代につくられた国指定重要文化財なので、多くの方がご存知かと思うが、恥ずかしながら私はまったく知らなかった。
日本一の石橋とも呼ばれる霊台橋が架橋されたのは、今から175年前の1847年。弘化4年のことだ。
少し話が横道にそれるが、歴史に疎い私は「弘化(こうか)」という元号を知らなかった。調べてみると天保の次の元号だが実質3年ほどで次の嘉永に切り替わっている。ただ、Wikipedeiaをみていて一つ発見があった。皇女和宮様が弘化3年のお生まれなのだ。以前、碓氷峠の廃線の記事を書いていた時、和宮様が降嫁されるときに作られた和宮道を調べたことがあった。浅いながらも知り得た知識の点と点が結びついて線になることで、それまでなんの接点もなかった「弘化」という時代が少し身近に感じるようになる。
話を戻そう。美里町のホームページにも記載があるが、霊台橋は1966年(昭和41年)までは車も通行可能な道路橋として利用されていた。上のストリートビューでも映っている鉄骨製の新霊台橋が緑川に架設されたことで、霊台橋は観光用の人道橋として改修を重ねて現在に至る。
橋長:89.86m
道幅:5.45m
高さ:16.32m
径間(アーチの大きさ):28.3m
金辺隧道 福岡県北九州市
~香春町
福岡県北九州市
~香春町
やがてCMは、何かを探し求める男性が分かれ道にさしかかる場面に切り替わる。右を行けば峠道、左には橙の灯りが前方にみえる隧道(トンネル)がある。
男性がどちらの道を行ったのかはわからないが、左手にある隧道は1917年(大正6年)に作られた金邊隧道(きべずいどう)である。
金邊隧道は北九州市と田川郡香春町(かわらまち)の境にあり、CMの撮影は香春町側から行われたものだ。
地図を見る限り、金邊隧道は重要な交通路だったと思われるが、1967年(昭和42年)に新金辺トンネルがつくられた後は、あまり使用されなくなっていった。なお、1989年(平成元年)には第二金辺トンネルがつくられ、トンネル内に歩道も設置された。
ちなみに、日田彦山線が同場所を通り抜ける金辺トンネルは、難工事の末、1915年(大正4年)に完成している。
CM撮影時はいつのころか正確にわからないが、少なくとも昔の面影を残す趣がある。残念ながら現在は、不法投棄を防ぐために閉鎖され、中の通行は不可能となっている。
しかし、右手にある金辺峠に続く道は現在も徒歩で通行可能とのことで、もしかすると当時の名残を感じられる場所があるかもしれない。
長部田海床路 熊本県宇土市
消えた足跡篇で最も印象深いのは、CMの最後に登場する海に浮かぶ電信柱の夕景だろう。
こちらは、熊本県宇土市にある長部田海床路(ながべたかいしょうろ)である。
潮のひいた干潮時にだけ道路が現れ、満潮時には沖合に向かい24本の電柱が海の中に連なる幻想的な光景が広がる。
干満の差の激しい有明海の漁業者のため、作業用道路として1979年(昭和54年)に建設された。
CMに登場した夕景や、日が落ちて海の中に灯る灯りなどが「映える」撮影場所として今も人気が高い。しかし下の動画で紹介されているように、俯瞰であらためて全景を眺めてみると、土木的インフラ的な観点での海床路の重要な役割が垣間見える。
※大分むぎ焼酎 二階堂 CMギャラリーはコチラ(そのほかの場所の詳細もあります)
たった15秒の動画の中にも、いくつもの物語がある。
そして、多くの土木たちがその物語を支えている。
さて、次はどんな物語に出会うのだろうか。
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