旧中山道・深谷宿の名残を残す 造り酒屋の赤レンガ煙突

 
 

 

前回からの続き。前回は、深谷駅周辺の古い赤レンガ造りの商家や蔵を紹介した。続いての今回は、深谷赤レンガの象徴でもある造り酒屋の赤レンガ煙突に迫る。

  

前回の記事はこちら

★スポンサーリンク

滝澤酒造

地図A

 

 

JR深谷駅の北側、上の地図Aに黄色いマークが3つある。いずれ旧中山道沿いに居を構えた、古い歴史を持つ造り酒屋だ。まずは作り酒屋3店の中で一番西側にある滝澤酒造を訪ねていくことにしよう。

 

 

道路を挟んで家屋をつなぐ渡り廊下のようなものが見える

 

旧中山道の一本南にある道を、西方向に進んでいくと、密集した住宅街の屋根の上から赤茶けた煙突が見えてくる。目指すはあの煙突だ。

 

 

柱の上にある番地が書かれた紺色のプレート。琺瑯かな、とても懐かしい

 

渡り廊下のようなもの(もしかすると蒸米を運ぶベルトコンベアのようなものが中にあるのかも。想像ですが)でつながった南側の建物。滝澤酒造が深谷に移転したのが1900年(明治33年)、古い木の柱や建具はこの当時のものか、あるいはレンガ煙突が建造された昭和初期あたりか。いずれにしても味のある佇まいである。

  

 

 

赤レンガで作られた麹室

 

 

滝澤酒造では、シンボルの煙突のほか、上の写真の麹室、そして貯蔵蔵などが赤レンガで作られている。特に深谷の上質な赤レンガと麹室の相性は抜群のようだ。

 

特に、保温性と保湿性に優れた煉瓦製の麹室は、繊細な温度管理を求められる麹造りに最適であり、菊泉の酒造りに欠くことのできない存在です。

滝澤酒造株式会社 ホームページより

 

 

 

50mほどの小路が続く

 

 

麹室の東側には小路があり、旧中山道に通じている。レンガ壁の上は軒蛇腹(のきじゃばら)というレンガならではの段々の軒があり、金属製の金具で雨樋が支えられている。

 

 

 

 

壁の上部にある開口部の周囲のレンガが白くなっている。白華(はっか)現象と呼ばれるものだろうか。レンガやモルタルの中にある水酸化カルシウムなどが表面に溶けだし、空気中の二酸化炭素と化学反応して炭酸カルシウム(=白い粉)になる現象のことで、エフロレッセンスとも呼ばれる。湿気が多い環境でも起こりやすいとのことで、開口部から漏れ出す麹室の湿度が関係しているのかもしれない。

 

 

 

 

煉瓦造りの麹室の北側には、旧中山道沿いに建つ滝澤酒造の木造の店舗がある。

 

 

今歩いてきた道、南側方向を振り返る

 
 

 

先ほど通ってきた小道は写真左手にある

 

旧中山道に建つ滝澤酒造の店舗。1863年(文久3年)、埼玉県の小川町にて創業した滝澤酒造は、その後、地の利水の利を求めて現在の深谷の地に移転した。銘柄酒は「菊泉」である。

 

 

「菊泉」の文字がペイントされた、赤レンガ煙突

 

20m以上の高さを誇る、1930年(昭和5年)に建造された円筒形のレンガ煙突。レンガを積み上げて厚さが70cm以上もあるこの煙突は、1931年(昭和6年)に埼玉県寄居町付近を震源とした深谷地震(西埼玉地震 マグニチュード6.9)でも大きな被害なく耐え抜いたものだ。現在は煙突の周囲を縦横に補強材が巻かれている。

 

 

西側の道路から、赤レンガ煙突を臨む

 

 

 

ライトアップ用の照明もある

 

現時点で実施されているか未確認だが、以前は煙突のライトアップなども行われていたという。現在(2021年7月時点)は蔵見学は中止になっているが、今後もまた再開することがあれば、ぜひ近くからこの赤レンガ煙突を間近にみてみたいものだ。

 

 

 

スポンサーリンク

七ツ梅酒造跡

南側から七ツ梅酒造跡を臨む。中央にレンガ煙突が見える

 

深谷の旧中山道沿いには歴史ある酒蔵が建ち並び、古いレンガ煙突が3本も残っている全国的にも(おそらく)珍しい場所である。

滝澤酒造から東方向に旧中山道を歩くと、すぐに「七ツ梅酒造」の跡地が見えてくる。元禄7年(1694年)に創業し、300年以上の歴史を持つ老舗の酒蔵であったが、2004年(平成16年)に惜しくも廃業となった。現在は昔の趣を残したまま、さまざまな形で跡地が利用されている。

 

 

 

古き時代を思い起こさせる木の看板

 

 

 

☆クリックで拡大

 

左側の木造の家屋と、右側の蔵の間を通り抜ける通路がある。木組みの入り口の横柱には近江商人でもあった田中藤左衛門の表札がかけられている。

この通路の奥には、どんな景色が開けているのか。時代を超えるその様子は、また別記事で。

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事