埼玉県西部を流れる一級河川の都幾川(ときがわ)、その源流に近い比企郡ときがわ町西平に小さな鋼製のトラス橋がある。レトロながらどこかモダンな雰囲気が漂うのは、1925年(大正14年)竣工の滝の鼻(たきのはな)橋である。
小さく蛇行を繰り返す都幾川に沿って走る県道172号に隣接する滝の鼻橋を写真で見たときは、てっきり歩行者専用の橋だと思っていた。実際には1.0tを超えない車両の通行が可能だ。
とはいえ、県道と橋の間にはポールがあり、実際に通行できる車両は限定されたものになるだろう。
滝の鼻橋の正面、橋の顔とも言える橋門構(きょうもんこう)にはアール・ヌーヴォー風の装飾が見てとれる。なんだか大正ロマンといった雰囲気がある。
訪問日は直前まで激しい雨が降ったこともあり、足元の縞鋼板が濡れて鈍い光を放っていた。
橋を渡り、右岸に行ってみる。
右岸側にも、左岸側と同様の橋名を記した飾りがある。
橋に近寄って見ると、塗装のところどころが剥げてめくれている。特に直接雨があたる部分の劣化が激しい。よくみると、めくれた箇所に水色の塗装が見える。現在の滝の鼻橋はシックなチョコレート色だが、再塗装される前は、鮮やかな水色だった。その以前の塗装が顔をだしているというわけだ。
再び、右岸から左岸へ橋を渡る。すると、橋名が書いてあった白い板の後ろ側に何か文字が書かれていることに気が付く。
近づいてみると、文字のように見えたものは塗装記録だった。通常は橋の側面下部に書かれていることが多いが、こんな場所にあるのは初めてだ。ちなみに、右岸側にもある白い板の裏側には何も書かれていなかった。
橋の上流には、見事な魚道がある。
こちらは都幾川の流れを撮影した短い動画だ。水遊びの落とし物、ピンク色の浮き輪が魚道の入り口で川の流れに翻弄されている様子が面白い。
県道に戻り、上流から滝の鼻橋を眺めてみる。
雨が降り増水すれば激流となるこの地区は、苦労して架けた橋が幾度も流された歴史がある。
同橋の架設は近世からの宿願であり、急流の渡河を拒み文政年間(1818~1830)には、篤志家が自費を投じて架設した。以来明治に至り、1883年(明治16)12月、戸長が融資の寄付金で木造橋を架設したが、1887年(明20)の洪水で流失した。
1923年(大正12)、村費および有志の寄付金1,800余円で木橋を架設したが、1924年(大正13)の洪水で同橋は流失した。
1925年(大14)7月、宿願の永久橋として構造が鋼製の現橋を架設した。総工事費2,200余円で、そのうち寄付金700円は村民が負担した。
土木学会 関東の土木遺産より
こうした苦難を乗り越えて架けられた剛性の橋は、100年近くの時を耐え抜き、今もそこにある。
建設当時、地元の加藤鉄工所により類似の橋が複数作られた。今も現存しているのは、この滝の鼻橋と、比企郡小川町にあるもう1つの橋のみだ。このもう1つの兄弟橋については、またの機会に紹介したい。