筑豊炭田の隆盛をみる 遠賀川橋梁のクロニクル

 

 

先日アップした『映画「Always 3丁目の夕日」【物語を彩る名脇役の土木たち】』に登場した3つの土木の中で、映画の冒頭に登場した「遠賀川(おんががわ)橋梁」について、少し歴史の背景を掘り下げて紹介したい。

 

 

 

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最盛期は三線だった筑豊本線

遠賀川橋梁  筑前垣生(ちくぜんはぶ)駅(直方方面)方向を望む  Googleマップ 3Dより

 

 

九州地方北部を流れる遠賀川と、JR九州の筑豊本線が交差する場所に架かる鉄橋が遠賀川橋梁だ。

筑豊地方の石炭輸送強化のため、筑豊興業鉄道(後に九州鉄道を経て現JR九州)が最初に開業したのが若松(福岡県北九州市)から直方(のおがた)(福岡県直方市)までの区間で、1891年(明治24年)のことだった。遠賀川橋梁も、この開業時に架設された鉄橋である。

それから130年。上の3D画像は現在の遠賀川橋梁を映したものだが、左側の緑色のトラスの鉄橋が下り線、右側のトラスなしが上り線として使用されている。そして、上り線に張り付くように橋脚(きょうきゃく:橋桁を支える柱)のようなものが連続して並んでいる。

 

Googleストリートビューで、近くまで寄ってみたものが下の画像だ。

 

 

筑前垣生駅(直方方面)方向を望む  Googleストリートビューより

 

矢印線で色分けしたように、実は赤矢印の場所にも煉瓦造りの橋脚があった。その後、複線化で青矢印の橋脚が建てられ、三線化で左端の緑矢印の橋脚が追加、最後に右端の紫矢印の橋脚が作られたのである。

遠賀川橋梁の変遷を時系列にまとめたものが、以下の表1になる。順番に説明していこう。

 

表1 遠賀川橋梁の変遷

 

 

 

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単線→複線→三線化へ 

表2

 

若松から直方まで開通した当初は単線だったが、開業から17年後には複線化されている。その際、下流側に新設した上り線(表2 青矢印)には、イギリス製のトラスが採用された。

一方、当初からあった路線は複線化の際に下り線となったが、複線化の2年後にイギリス製のトラスに架け替えられている。橋脚などはそのまま利用したと思われるが、確かなことは調べられなかった。

いずれにしても明治時代での複線化は、当時の石炭輸送の勢いを感じるところでもある。

その勢いのまま、1923年には上流側にさらに鉄橋が架設され、三線となった(表3 緑矢印)

  

表3

 

三線目の鉄橋には、国産のトラスが採用された。令和の現在も筑豊本線の下り線として、遠賀川に架かる鉄橋のトラスはこの時に架けられたものである。

なお三線化当時に、三線目の路線が上りなのか下りなのか、どのように使われていたのかは不明である。

 

 

 

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三線から複線へ 

表4

 

三線化の時代は30年以上続いたが、1954年になり一線を減らし複線に戻され、遠賀川鉄橋も1つの鉄橋を廃止することとなった。この件を詳しく調べる前は、一番最初に造られた赤矢印の鉄橋を廃止にしたのかと思っていたが、そうではなく大正12年に複線化された際に新設された青矢印の鉄橋を廃止にしたのだ(表4)。

この時、撤去されたイギリス製のトラスは分割され、他の路線にある3か所の鉄橋に移設された(詳しくは後述)。

現在と同様に、緑矢印の路線が下り線となり、それまで下り線だった赤矢印の路線は、上り線に変更になったと思われる(正確な変更時期は不明)。

 

筑豊本線はSLが多く走っていた路線なので、鉄道写真を趣味とする方々の写真が存在すると思われるが、遠賀川橋梁が写っているものとなると、インターネット上で公開されているものを探すのは難しい(この地域とSLに詳しい方ならわかるのかもしれないが)。

そんな中、「遠太のエコボランティアブログ」さんの「140916 近代化遺産「遠賀川橋梁」訪問。」という投稿に、遠賀川橋梁の写真が表紙に使われた書籍があることが書かれていた。

 

早速、ネットで本を取り寄せてみた。

 

 

 

書籍を読んでみると、1968年(昭和43年)の夏に、いのうえ・こーいち氏(著者)がはじめて九州地方を訪れSLを撮影した時のスケジュールが掲載されている。その日程の2日目に、「08:11筑前垣生(蒸気列車6本撮影)」という記載があった。推測だが、そのときに撮影した1枚が、本の表紙として使われたのではないだろうか。大好きなSLのメッカである筑豊を初めて訪問した想い出の一枚ということなのかもしれない。

本の表紙の写真部分を拡大したものが、下の画像だ。

 

筑前垣生駅方面を背にして遠賀川橋梁を望む

 

SLが通過している右側の鉄橋が、表4の緑矢印の下り線。そして左側の鉄橋が、表4の赤矢印の上り線と推察される。

1971年(昭和46年)に左側の上り線は廃止となるので、その3年前に撮影された貴重な一枚と言えるだろう。

 

 

 

明治時代の煉瓦橋脚を撤去 

表5

 

1971年には、もっとも下流側に鉄橋が架橋され、これが新しい上り線となった(表5 紫矢印)。単線時代から長い間活躍していた鉄橋は撤去され、廃棄されてしまった(表5 赤矢印)。

Googleストリートビューでは、遠賀川橋梁の橋脚部分を近寄ってみることができる(下の画像)。

 

Google ストリートビューより(2021年6月撮影)

  

煉瓦造りの風格のある遺構が、1908年に作られた青矢印の鉄橋の橋脚だ。本来ならこの橋脚の左側に赤矢印の鉄橋の橋脚もくっついていたはずなのだが、撤去されてしまったため、遺構の左サイドにその削り取られた跡が残されている。さらにわずかながら、画像中央部に煉瓦がアーチ状に積まれている様子も見てとれる。

表5では、赤矢印のトラスは撤去と書いたが、実際には撤去後に廃棄されたようだ。残念だが、100年を超えての御役目ありがとうございますとねぎらいたい。

 

 

 

3分割されたトラスの移設先

1908年に初めて複線化された際、新しく架けられた橋にはイギリス製のトラスが採用された。1954年にこの鉄橋は廃止になったが、上部のトラスは分割され、3か所に移設された。

移設された順番に紹介しよう。

 

 

彦山川橋梁 日田彦山線
田川伊田駅と上伊田駅の間、彦山川に架かる彦山川橋梁

 

日田彦山線(ひたひこさんせん)は、福岡県北九州市の城野から大分県日田市の夜明までを結ぶ路線。1955年(昭和30年)に、遠賀川橋梁のトラスが1連だけ、移設された。遠賀川橋梁のトラスが撤去されたのが1954年頃と思われるので、これは撤去時にすでに1連は日田彦山線に移設することが決まっていたのではないかと思う。同じ福岡県ということからも、可能性は高い。

上の写真では、古そうな緑色のトラスが1連見える。一見、これが移設されたトラスのように思えるが、実は違う。残念ながら移設されたトラスはもう現存していない。時期ははっきりしないが、撤去され、今はコンクリートの橋脚だけが名残りを残している。

 

 

 

高瀬川橋梁 大糸線
Google ストリートビューより

2つ目の移設場所は、九州から遠く離れた長野県大町市である。1958年(昭和33年)に、JR大糸線と高瀬川が交差する場所に8連のトラスが移設された。Googleのストリートビューで確認すると、現在の高瀬川橋梁のトラスの数も8である。移設されたトラスがそのままそっくり高瀬川橋梁として使われているのだろう。

上の画像では、右端のトラスの形がはっきり確認できるが、その形をちょっと覚えておいてほしい。

  

 

 

 

 

最上川橋梁 左沢線
中山町側から最上川橋梁を望む 画面右手に最上川が流れている Google ストリートビューより

 

3つ目の移設場所は、さらに北上した山形県である。1960年(昭和35年)に左沢線(あてらざわせん)の最上川橋梁に移設された。

最上川橋梁は日本最古の現役鉄道橋として広く知られているが、それは遠賀川橋梁から移設された3連ではなく、東海道本線の初代木曽川橋梁から移設された5連のトラスをメインとした話である。遠賀川橋梁からの3連も最初の架設が1908年と十分古いのだが、初代木曽川橋梁の5連はさらに古く1886年(明治19年)に架設されたものを移設しているので、これは仕方ない。

上の画像は羽前長崎(うぜんながさき)駅のすぐ北、中山町側にある遠賀川橋梁の3連である。先ほどの高瀬川橋梁のトラスと同じデザインであることがわかるだろう。

ちなみに下の画像は寒河江(さがえ)市側からみた最上川橋梁で、こちらがわに木曽川橋梁から移設した5連が確認できる。

 

寒河江市側から最上川橋梁を望む  Google ストリートビューより

  

 

 

 

以上で、遠賀川橋梁の話はおしまいである。

筑豊炭田と呼ばれた福岡県の筑豊地域は日本の主要な石炭の産地であった。隆盛を極めたこの地も、1976年(昭和51年)に貝島炭鉱(宮田町)が閉山し、すべての炭鉱が閉山した。筑豊本線もその時代を映す地域のインフラとして地元産業を支えてきた。遠賀川橋梁も、その重要な一員であったのだ。

 

※なお、三線から複線になったとき、廃止になり分割されたトラスは上り線(青矢印)ではなく下り線(赤矢印)ではないか・・という意見もある。本記事を書くにあたり検討を重ねたが、現在知り得た情報では確実な結論はだせなかった。赤矢印と青矢印どちらに架けられていたトラスが分割移設されたのかについての本記事の記述は、一考察として参考にしていただければと思う。

 

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