至近距離で初めてわかる本当の奥多摩橋

 

 

 

 

東京都青梅(おうめ)市、多摩川にかかる赤い奥多摩橋は、1939年(昭和14年)の竣工。アーチライズ(アーチの高さ)の大きい、きりりとした美しい橋だ。

それにしても、訪ねていく橋はブレーストリブアーチ(アーチ部分がトラス構造になっているもの)がやたら多い。あえて選んでるわけじゃないのに、おかしいな 笑

 

 

下流側から撮影。主径間は、上路2ヒンジブレーストリブアーチ

 

 

 

 

奥多摩橋は、赤いアーチだけでも十分見ごたえがあるのだが、それだけじゃない。隠れている場所にこそ、この橋最大の特徴がある。

 

 

 

両サイドに上路ボーストリング

下流側から見た奥多摩橋の一般図  工事画報より

 

 

奥多摩橋が特別なのはなんといっても両サイドにある副径間だ。右岸(上の図では左側)に2連、左岸に1連の上路ボーストリングトラスが連なっている。

ボーストリング(Bowstring)は弦をはった弓のような形を意味している。魚腹のような形の上路式ボーストリングを構造に持つ橋は非常に少ない。それが奥多摩橋には3つもあるのだから、驚いてしまう。

 

 

 

 

 

しかも、である。奥多摩橋の場合、最も右岸よりの副径間の真下に道があり、ジャンプすれば手が届きそうな(それはない😊)場所にボーストリングトラスがある。

 

 

 

 

右岸側にある2連のボーストリング

 

生い茂る樹木で見えにくいが、上の写真、手前のボーストリングの奥にもう1つボーストリングがあるのがお分かりいただけるだろうか。

 

 

 

左岸側に1連あるボーストリングの下に道はなく、崖である。真下から見上げることは通常できないが、主径間と副径間の接続部分を樹木に邪魔されず少し離れた場所から見ることができる。

 

 

下流の右岸側から撮影

 

  

歩道を増設

右岸側にある階段

 

ボーストリングの横にある階段を上って、奥多摩橋を渡ってみよう。

 

 

下の写真は、右岸側のたもとだが、左側にある茶色に舗装された部分が1991年(平成3年)に設置された歩道である。このとき同時に、床版も取り換えられた。

 

 

幅員5.5m 橋長 177.23m

 

 

ちなみに、下の写真は奥多摩橋竣工時に、同じ右岸から撮影したものだ。このときの幅員は4.5mだった。

 

工事画報より

 

 

 

アーチ形式の橋は見た目も美しいが、上路式だとその構造自体を目にする機会が少ない。美しく塗装されたアーチ部分はとても80年以上経過しているとは思えない艶がある。

 

 

上流側を撮影

 

 

建設工事時や竣工時の写真は、工事過程の貴重な記録であるが、それと同時に自然の生命力の強さを感じさせる記録でもある。

下の写真は、竣工時のもので、右岸側にある2連のボーストリングのうちの1つがはっきりと見える。周囲の樹木の背丈が低いからだ。

現在はこれまでの写真でわかるように、樹木の背丈がぐんぐん伸び、下の写真にあるボーストリングをすっかり覆い隠してしまっている。

 

工事画報より

 

 

 

 

ケーブルエレクション工法で

 

建設当時の奥多摩橋については、当時の社会的背景や工事中の写真が数枚、工事画報に掲載されている。

その記事の中で、以下のような記載があった。(※一部の漢字を修正しています)

鉄部架設方法は写真の示す如くケーブル・エレクションに依った。これは本橋拱頂が水面よりも約40m高き関係上ステージングを架設することが事実上不可能に近きと、仮にこれが可能であったとしても出水時の増水に抗する手段なきためである。

「奥多摩橋」   工事画報 第15巻第12号 昭和14年12月発行

 

拱頂(こうちょう)とは構造物の上端面のことを指す。水面からアーチ部分の最も高い場所までの距離が約40mあったということだろう。

工事画報より

 

 

 

総工費10万650円のうち、6割が当時の内府費からの補助で、残りの4割が地元町村の負担であった。奥多摩橋竣工まで、多くの地元民の協力があったという。

そうした人々の労力の結晶が、いま目にする奥多摩橋なのだと思うと、毎度のことながらなんだかとてもありがたく、大切にしなければ・・と思うのだ。

 

 

下流側より撮影

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