大糸線「第一姫川橋梁」と仲間たち 早春の白馬村土木遺産

 

 

 

長野県の松本から新潟県の糸魚川(いといがわ)までを結ぶ大糸線が全通したのは、1957年(昭和32年)のこと。それ以前は、信濃鉄道・大糸南線・大糸北線と3つの路線が営業をしていた。

大糸南線時代、1935年(昭和10年)に信濃森上から中土(なかつち)まで延伸開業した。このとき姫川に架けられた鉄橋が第一姫川橋梁である。

ちなみに、白馬大池駅が後から追加開業したので、現在の大糸線では信濃森上と白馬大池の間に位置している。

 

 

 

 

冒頭の写真は糸魚川方を背に第一姫川橋梁を撮影したものだ。色々映り込んでカオスな様相だが、土木ウォッチャーにはたまらない一枚となっている。

冒頭の写真に番号を振ってみたので、順番に紹介していこう(下の写真)。

 

 

集合写真

 

 

 

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姫川第二ダム(堰堤)

姫川の下流から見た姫川第二ダム

 

集合写真の①、派手な赤い橋の奥に見えるのが、姫川第二ダムである。大糸南線のこの区間が延伸開業したのと同時期に完成した、発電目的のダムだ。

 

航空写真をみるとよくわかるが、姫川を堰き止めるダムの北側すぐの場所に赤い橋がかかり、さらに少し北、大糸線が姫川を斜めに横切っている。 

 

ダムの手前(写真下方)が姫川の上流、大糸線の向こう(写真上方)が下流である  
Googleマップ 航空写真

 

こうした位置関係から、赤い橋がじゃまをして下流側からダムの全貌を確認することが難しい。でも逆に、赤い橋の上からダムを間近に見ることができるので、まあ引き分けといったところだろうか😊。

ちなみに、ダムの高さが15mに届かないものはダムではなく堰堤(えんてい)と呼ばれるようだが、姫川第二ダムは看板などにも「ダム」と書かれているので、そのままの名称で呼ばせていただいた。

 

 

 

鮮やかな紺碧色のラジアルゲートが3門ある

 

 

 

左岸側にある放水穴からも勢いよく水が流れ出す。設備は相当古いが、なんともいえない味がある

 

 

 

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赤い橋

ダムのすぐ下流側に位置する通橋。姫川の右岸側から撮影

 

集合写真の②、目に眩しいほどの鮮やかな朱色のこの橋、「通橋(かようばし)」という。以前はもう少し渋めの枯れた紅色だったのだが、再塗装されて現在の色になった。

現地まで連れて行ってくれたタクシーの運転手さんが、「こんな派手な色にしなくてもねぇ」とおっしゃっていた。でもまあ、ぼろぼろだった親柱なども修復され、また年月が経つうちにこの朱色もいい感じで味を出していくのだろう。

 

 

ダムに比べれば若手だが、竣工から51年。まだまだ現役で頑張る予定

 

 

 

この通橋を最初に見たとき、よくある曲弦トラスと思ったのだが、真横から見てみると上弦がボーストリングトラスのようなカーブを描いている。

下弦部分も上弦部より太く、「トラスドランガー橋」(吊り材がトラスになっている)のようだ。

 

上弦と下弦のあいだが三角形のトラス構造になっている

 

上の写真、よくよく見ていただくと橋のすぐ向こう側にコンクリートの門のようなものがみえる。

これは現在の通橋が架設する前に架けられていた橋の主塔だ。残念ながら当時の姿を確認する資料は見つけられなかったが、今よりももっとダムに近接していたのだ。

 

 

 

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第一姫川橋梁

第一姫川橋梁を通過する特急あずさ

 

集合写真③は、お待たせしましたの第一姫川橋梁である。

姫川に架設されたのは1935年(昭和10年)なのだが、その当時の橋は現存しておらず橋脚のみが土木遺構として残っている(集合写真④)。

第一姫川橋梁は1954年(昭和29年)に架設された橋だが、アイボリーの曲弦プラットトラス(再塗装前は明るい青だった)は、別の場所から移設されたものだ。

もともとは羽越本線の第二最上川橋梁(山形県庄内町)に架けられていた、アメリカン・ブリッジ社の200フィートのトラス橋で、100年以上経つ古いものである。

 

 

トラスを構成する複数の部材がピンのような留め具で結合している。古い橋にのみ見られる特徴だ

  

 

 姫川の翡翠のような川の色が美しい

 

 

現存している古い橋脚。表面がかなり剥がれ落ちてしまっている

 

 

それぞれまだ紹介したい話があるのだが、それは別記事に書かせていただくことにして、第一姫川橋梁の直下をごうごうと流れる、美しい雪解け水をご覧いただいて、本記事の〆としたい。

 

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