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JR奥羽本線は、福島から青森まで、途中、山形県や秋田県を経由して東北地方を走り抜ける鉄道路線だ。
陣場駅は青森との県境に近い秋田の北端にあり、1899年(明治32年)秋田県で最初に開業した奥羽本線(開業当時は奥羽北線)の駅である。険しい山間部を走り抜けるこの地域は、25‰(パーミル)の急勾配や多くのトンネルが連続する奥羽本線の難所だった。
陣場駅と、ひとつ青森よりの津軽湯の沢駅の間が複線化されたのは、1970年(昭和45年)のこと。複線化にあたり、山間部を3kmほど貫く「矢立トンネル」が作られ、この区間は新線に付け替えられた。
複線化されてから半世紀を超える時が経ったが、旧線跡には、鉄橋や隧道などの鉄道遺構が今も残っている。あまり時間のとれなかった今回は、陣場駅近くの鉄道遺構を中心に付近を探索した。
旧線と新線の位置関係を確認
上の地図Aは、陣場と津軽湯の沢周辺を航空写真で表示したものだ。新線はほぼ直線のルートをとり、半分以上が矢立トンネル(全長3180m)となっている。
新線に比べると、旧線はかなりくねくねとしていて、ルートどりに苦労した様子が伺える。ちなみに、陣場・津軽湯の沢の両駅は、新線付け替えに伴い駅の位置も移動した。旧線を現すオレンジ丸の色が変わっている両端が、かつての駅があった場所を示している。
旧線跡は国道7号線にほぼほぼ沿っているので、時間と体力があれば、歩いてたどるのはそれほど大変じゃない。ただし、ここ数年、クマの目撃情報が多く、訪問した2020年も国道を横切るクマの目撃情報が数件あったので、注意が必要だ。
陣場駅からスタート
スケジュールの関係で、陣場駅周辺で費やせる時間は1時間半ほどだ。とはいえ、駅から300mほど離れた旧線の鉄橋を見に行くには十分な時間だ。
上の地図Bの薄い黄矢印が旧線のあった方向だ。矢印の先にあるのが「第二下内川橋梁」である。Googe Mapでは少し東にずれた位置に表示があるが、実際には上図の赤矢印の先にある場所が正しい。
では、地図Bの薄黄矢印の方向に歩いて行こう。駅前から続く旧線跡をたどっていく。
第二下内川橋梁の手前まで来ると、道がT字路になっているため、左折して国道7号に出る。旧線と国道7号の橋は隣接しているので、第二下内川橋梁が間近に見えるはずだ。
しかし、この国道の橋、「今度渡橋」という名前がすごい。そのまんま「こんどわたりはし」と読むらしい。
うまい具合に、旧線側に歩行者用の歩道がある。このまま歩いて行こう。
自然に還りゆく鉄橋
歩道を進むと、ほどなく右手に赤錆びた橋桁が見えてきた。第二下内川橋梁である。
上路プレートガーダー橋のようだが、橋桁はもちろん、コンクリート橋脚の一部はかなり劣化している。
陣場駅方向に振り返って撮影。こちらの橋脚のオレンジ色はなんだろうか。
訪問したのは9月の末だったが、秋田の山間はすでに秋の気配だ。
3本目の橋脚と橋桁の間には、縦横気ままに蔦植物が生い茂っていた。
上の写真を、少し引きで撮ったものが下の写真だ。橋の終端(左側)と岸のつなぎ目は全く見えず、植物に埋もれてしまっている。
歩道からは鉄橋の終端が見えなかったが、旧線が続くであろうその先まで歩いてみた。が、下の写真の通り、こちら側からはその奥に鉄橋があることすら全くわからない状態だった。
陣場駅へ引き返す
旧線跡はまだまだ続くのだけれど、仕方ない。今回は第二下内川橋梁までで、陣場駅に引き返そう。
今度渡橋を再び渡る。歩道からは陣場駅側との接続部分が見える。さきほどは気が付かず通り過ぎてしまったが、ちょっと回り込んでみよう。
見えました。
拡大してみた。もう鉄の枠組みしか残っていないけれど、ここにレールが敷かれていたのだな・・ということが実感できる。
再び、工事車両の置かれている場所を通り抜けて、陣場駅方向に戻る。
旧陣場駅跡を探す
奥羽本線の複線化により、陣場駅はほんの少し場所を変えている。旧陣場駅は、現在の陣場駅寄り少し西にあった。上の地図Cは、過去と現在の同じ場所を比較した地図だが、左側のモノクロの航空写真は旧線が走っていた時代のものだ。オレンジ色の矢印が、先ほど見てきた第二下内川橋梁、緑色の矢印が旧陣場駅である。
陣場駅の駅に戻り、それらしき場所を探してみる。
雑草というより、雑木林のようになっている茂みの向こうに、コンクリートらしきものがみえた。
場所を変えて探してみると、ようやくそれらしいものが確認できた。あとで調べてみると、これはホームの一部ではなく、石炭をストックするための貯炭槽のようだ。その昔、蒸気機関車が走行していた頃、矢立峠を越えるための燃料となる石炭を補給していたのだ。
さらに南側に線路を発見し、一瞬小躍りしたのだが、実はこれは旧線を利用した架線敷設練習施設とのこと。まぁでも、旧線の一部には違いない。樹木が枯れ積雪のない季節に来れば、もう少しはっきりと状態がみえるのだろう。
これでひとまず奥羽本線旧線跡の旅はおしまいである。消化不良感は残るが、それでも、この区間一番の遺構、第二下内川橋梁が間近でみられた感動は大きい。
(勝手な願いではあるが)古い鉄道歴史の記憶を刻むこの遺構が、いつまでもここに残されたままであることを願って。