残暑が続く中、日本列島お盆休み。
台風もくるようなので、 お休みの方も、そうでない方も、どうぞお気を付けください。
私といえば、日曜日、35度を超える猛暑の中で入間川へお出かけ。
といっても水浴びとかじゃなく、大正時代に作られた土木遺産を見に行く。
場所は、埼玉県の入間市。西武池袋線が入間川を通過する鉄橋沿いにその土木遺産がある。
まず目指すは西武池袋線の仏子駅!
ちなみに、「仏子」とかいて「ぶし」と読む。実はずっと「ぶっし」と読んでいた。心の中で。
たぶん、仏陀(ぶっだ)から、その読み違いが来てるような気がうっすらする 笑。
初めて降り立つ仏子駅は、ホームの真横にお墓がたくさんあって、
さすが仏の駅だと妙に納得。
上の写真は仏子駅に到着した派手な電車。鉄道に詳しくないので、何かの記念車両かなーぐらいに思っていたが、『レストラン列車 西武 旅するレストラン「52席の至福」』という全席レストランの特別車両らしい。こういう美味しい列車に一度ぐらい乗ってみたいと思う。
さて、西武池袋線の前身である武蔵野鉄道が開業したのが、大正4年(1915年)。池袋から飯能までの全44.2kmの路線だった。
仏子から飯能方面へ行くには入間川を横断する必要があり、このとき鉄橋が作られた。現在の路線で言えば、仏子と元加治の間に位置する。
開業当初は単線であったが、昭和44年(1969年)に仏子から 笠縫(かさぬい)信号所間が複線化された。
(現在は 笠縫信号所は廃止されている)
この時に、古い鉄橋の横に新しい鉄橋が作られ、古い鉄橋は使われなくなった。
素人考えだと、そのときに古い建造物は撤去してしまいそうなものだけど、50年たった現在でもほぼそのままの姿を残していると聞いて、これは行かねばなるまい!と思ったのだ。
仏子駅から西方向、入間川方向へてくてくと歩いていく。
距離にすると1kmちょっとだが、住宅街の道はくねくねしているし、
途中お寺に寄ったりなど、ふらふらしてたら、汗が滝のように噴き出す。暑いよ。
西武池袋線の南側から入間川に近づくと、それらしきモノがみえてきた。
が、それ以上先には進めないようにロープが張られている。
左方向(南西方向)に迂回して、川にもっと接近できる場所を探すと、
堤防の上を行く遊歩道があった。
まっすぐ進めば、西武池袋線に突き当たるはず。このまま遊歩道を進んでいこう。
桜の樹が、葉を茂らせ木陰を作ってくれている。春になれば桜が咲き乱れるんだろうな。
前方右手に、さきほど見つけた煉瓦が見えてきた!
視線を左にふると、お目当ての鉄橋が見える。
チラ見えする煉瓦の橋脚と鉄の桁橋、そして目に染みる緑の取り合わせが素敵。
この取り残された古い鉄橋は、「旧 入間川橋梁(きょうりょう)」と呼ばれている。
入間川橋梁はいくつもあるため、区別するために前後に(西武池袋線)といった路線名を付けることもある。
さきほどから目に入っていた煉瓦造りは、橋台といい、橋の両端を支える土台となるものだ。
煉瓦の積み方は、長い煉瓦と短い煉瓦を一段ずつ交互に積み上げるイギリス積み。
橋の桁を支える台座の後ろに積み上がった煉瓦は、パラペット(胸壁)といって保護壁のような役割らしい。
ちなみに、パラはラテン語由来で「備える」、ペットは「胸」を意味し、2つを組み合わせた造語とのこと。
パラとつく言葉はいろいろあって、すぐに思い出すのはパラリンピックの「パラ」だろうか。
ただ、話が長くなるので割愛するけど、このパラと今回のパラとは多分語源が違う。
化学の世界でパラ(para)で始まるものがあるけど、これは「反対の」というギリシア語で、基の位置関係を表す接頭語 だが、これも違う。
もう少し調べてみると、パラシュート( Parachute )のパラが意味的に近いかもしれない。
parare はイタリア語で「守る」、 chuteはフランス語で「落ちる」、
この2つを組み合わせた「パラシュート」のパラは、意味的にもラテン語由来のものかもしれないなと思う。
話は戻って、こちらの橋桁。
サビついた躯体をひどく劣化しているとみるか、完成から100年を経てもまだ風格をみせているとみるか、見る人の感性や仕事上の立場などによって違うのかもしれない。
後編は、旧入間川橋梁の全体像をご覧いただきます。つづく・・・