わたらせ渓谷鉄道、各駅を順に旅するの第3回。今回は鉄道から少し離れて歴史に消えた廃校の話をしたい。
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中野駅をでた列車は、やがて小中(こなか)駅に到着する。山間を流れる渡良瀬川に沿って集落が点在し、わたらせ渓谷鉄道はその集落をつなぐように敷設されている。
古くから村々の合併を重ねてきたこの地には、合併により廃校となった古い校舎がまだ残されている。
小中駅からすぐの場所に明治時代に建設された校舎があるのだが、その話をする前に、この近辺の集落の歴史について少し説明しておきたい。
わたらせ渓谷鉄道の駅は17あるが、終点寄りの北部の4駅、原向(はらむこう)から間藤(まとう)までは栃木県日光市にある。南部の桐生から運動公園までと本宿・水沼の6つが群馬県桐生市、残りの大間々・上神梅(かみかんばい)と花輪から沢入(そうり)までの7つが群馬県みどり市の駅となる。
恥ずかしながら、わたらせ渓谷鉄道のことを調べるまで、「みどり市」を全く知らなかった。ひらがなの市名で想像がつくように、周辺の市町村合併により2006年(平成18年)に誕生した比較的新しい市である。
みどり市の北部にあった旧勢多郡東村(あずまむら)には、花輪・神戸(ごうど)・沢入などの集落があり、現在もわたらせ鉄道の駅名として残っている。
この地の歴史をさらに遡ると、1989年(明治22年)に小さな村々を統合して東村が誕生したことがわかる。
こうした背景の下、近隣の分教場(小規模の教場)を統合して明治7年に設立されたのが、杲小学校 である。非常に珍しい名前だが、「杲」とかいて「ひので」と読む。
2001年(平成13年)に、杲小学校は沢入小学校・花輪小学校とともに廃校となり、みどり市立あずま小学校に統合された。(時系列的には、合併によりみどり市になったのは2006年)
現在、杲小学校に残された校舎は再利用などされておらず、荒廃が進みつつあるようだ。
気になるのは、この小学校の名前の由来だ。「杲(ひので)」に関わる地名があったのかと思ったのだが、根拠確かな資料を見つけることができなかった(地元の県立図書館などの郷土資料を調べればわかるかもしれない)。
ただ、明治22年に東村という名前で統合されたことから、「東」という名に縁が強いことは想像がつく。
例えば、東という漢字を分解すると「日」と「木」になる。この2つを組み合わせた 「 杲 」という漢字には、以下のような読みがある。
- 音読み:コウ
- 訓読み:あきらか、 たかい
(ちなみに、「杲」で「ひので」と読ませる希少な名字が存在するようだ)
明治初期のこの地域の様々な背景などは知る由もないが、もしかすると日が昇るような未来への希望を込めた名前として、東から転じて、杲小学校と命名したのかもしれない。
話が少し脱線するが、 木の上に日をのせて「ひので」と読ませるとはうまいことを言ったものだと最初思った。木の下に日がある「杳」の訓読みが「くらい」というのも納得だ。
それならば、「東」という漢字はどうだろう。同じ感覚で考えれば、木の間から日が昇るからこそ「東」なのだ・・と思わないだろうか。(私はそう思った)
しかしどうやら、それは違うようなのだ。こちらの「漢字コラム2「東」―日は木の間から昇ってくる?」になかなか面白い説明がなされているので、興味ある方はぜひご覧いただければと思う。
なお、合併により誕生したみどり市立あずま小学校には、廃校となった3つの小学校の校歌が飾られている。あずま小学校の公式ブログの「自慢ですが・・」というタイトルの記事に、写真が掲載されている。現小学校の校歌と合わせて歌詞を見比べるのもなかなかおもしろい。
今回はスケジュールの関係で杲小学校跡地への訪問がかなわなかったが、次の機会には、ぜひ訪問したい。
古い校舎を吹き抜ける風の匂いを感じることができるだろうか。
次は、いよいよ花桃の里、神戸駅へ