キリンビール栃木工場跡地の今 撤去が進む専用線跡
1979(昭和54)頃、完成した当時のキリンビール栃木工場 高根沢町史 通史編Ⅱより

緊急事態宣言が発出される数日前、コロナ禍で世の中が混沌としている2020年(令和2年)4月2日、医療機器製造販売メーカーのマニー(本社:栃木県宇都宮市清原工業団地)が、2010年(平成22年)10月に閉鎖されたキリンビール旧栃木工場跡地を取得し、本社機能および関連施設の移転を発表した。

今は昔 ビールを運ぶ貨物専用線

栃木県塩谷郡高根沢町にあるキリンビール旧栃木工場の跡地は、約28.7ヘクタール、東京ドーム6個分の広さがある

高根沢町がキリンビール新工場を誘致し、栃木工場が稼働し始めたのが1979年(昭和54年)のこと。閉鎖に至る2010年までの31年間、高根沢町のシンボル的存在であり財政面ほか多くの恩恵をもたらした。工場の閉鎖から10年がたち更地になった跡地にようやく新たな企業の移転が決まったことは、町にとって朗報には違いない。予定されている2024年の運用開始が待たれるところだろう。

しかし、実際にこの地にキリンビールの工場があったことを知る人はどのくらいいるのだろうか。さらに、ビール専用の貨物線が敷かれていたことを知る人はもっと少ないだろう。

実際に工場が稼働していた時はもちろん、閉鎖になったことも当時の私は知らなかった。廃線に興味を持ちだした数年前、キリンビール栃木工場と烏山(からすやま)線の仁井田(にいた)駅を結ぶ貨物専用線の存在を知った。そこから時間を巻き戻し、工場の閉鎖も知ったのである。

廃線の中でも、森林鉄道や貨物専用線の跡地に強く惹かれる。このキリンビール栃木工場専用線跡もいつか訪れたい候補地の一つだった。

今回の記事は、ついに実現した専用線跡の訪問記である。ただし、何か新しい発見があったわけではないことを最初に申し上げておく。実際にこの地を訪問する前に、同地を訪問したいくつものブログの記事を読ませていただいた。その中で現地の事実として語られている以上のことは何もない。

廃線跡をたどる楽しみは、時間との競争でもある。年数の経過とともに以前あったものが撤去されたり、形がないほど朽ち果ててしまうことがある。それゆえに、時間経過によるその時々の記録がとても大事なのだ。

参考にさせていただいた多くの記事と同じように、これからこの地を訪問または知りたいと思う方々に、専用線の「今」をお伝えしたいと思う。

 

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下野花岡駅からアプローチを開始

紫色の線が予定ルート 赤い矢印が専用線跡。現在の烏山線とほぼ平行に走っている ☆クリックで拡大

 

キリンビール栃木工場の跡地は、下野花岡(しもつけはなおか)駅の東南方向の一画、烏山線の線路沿いに位置している。

栃木工場跡地と烏山線の間に道がないため、今回の探索では北側の少し迂回する道を歩き、五行川(ごぎょうがわ)近くの踏切を越え、そのまま専用線跡をたどり仁井田駅に抜けるルートを予定した(上の地図の紫色の線)。

写真を撮影した場所は、以下の地図番号を参考にご覧いただきたい。

 

 
 

下野花岡駅ホームの東端から線路わきの道にでる 青色①から東方向を撮影

線路沿いの道をしばらく歩き、最初の踏切(寺下踏切)を左折して、北回りの迂回路に入る。

写真右端に見切れている森のようなものが烏山線と栃木工場の間に植樹されている樹々 青色②から東方向を撮影

 

栃木工場の北側に立ち並ぶ樹々を見れば、工場の大きさが多少なりとも想像できる。

青色③から東南方向を撮影

青色④から東南方向を撮影

五行川を渡ったら、右折して南へ向かう。

この写真の奥に烏山線が走っている 青色⑤から東南方向を撮影

青色⑥から南方向を撮影

 
さて、ここで1つ想定外の問題が発生した。
予定ではこのまま烏山線を越えて、栃木工場入口ゲート近くまで行くはずだったのだが、なんと、踏切(第八花岡踏切)が閉鎖されている(この場所の撮影が漏れていた!もう!)。いやいやいや、まぢですか。

烏山線の鉄橋が目の前に。赤丸で囲った部分に工場入口のゲートが見える。左側にある踏切は鉄柵で囲われ通れない 青色⑦から南方向を撮影

 

通行禁止の第八花岡踏切 さらに北に迂回する

 

 

通れないものは仕方ない。しょうがないので来た道を引き返し、上の地図の緑色①→②→③と迂回して③の伏久(ふすく)踏切から工場入口に引き返すことにした。

架線がない烏山線を電車が走る。蓄電で走行できる新型車両ACCUMで可能になった 緑色①から南方向を撮影

やっとのこと、伏久踏切に到着。このまま踏切を渡り、右折して工場入口まで戻る。

緑色②から南方向を撮影

専用線に並走する道をたどり、栃木工場跡地に向かう

正面が専用線廃線跡。写真左側に見える細い道を歩いて行く 緑色③から南西方向を撮影

 
踏切を渡り、右手(西方向)を見ると、彼方に工場を囲む樹々が見える。初夏から夏にかけて、緑萌える風景は美しいのだが、廃線探索には不向きな季節だ。なにしろ何もかも草に覆われて何も見えない(ことが多い)。

大沼川に架かる橋梁が残っている。茶色い柵の向こうに見える水色の柵は烏山線に架かる橋梁だ 緑色④から北方向を撮影

水がきれいだ

右手奥に小さな標識が見えてきた。錆び具合から、専用線があったころのものだろう。

標識を赤い丸で囲んだ ☆クリックで拡大 緑色④から西方向を撮影

標識に近寄って反対側から見てみる。「20停止目標」と書かれている

次に現れた小さな川に架かる橋梁  緑色⑤から北方向を撮影

専用線跡の撤去が進む栃木工場跡地周辺

 
工場入口に到着する。麒麟麦酒専用線五行川橋梁には工事の白い布が掛けられている。
専用線はこの橋を渡り、ゲートの奥まで続いていたのだ。

緑色⑥から西方向を撮影

 
目の前の橋から右方向に視線を向けると、先ほど閉鎖されていた鉄柵が目に入る。本来ならこのフェンスの間に第八花岡踏切があった。そして撮影している私が立つ場所には、専用線にまたがる麒麟第八花岡踏切があったはずなのだ。

緑色⑥から北方向を撮影

麒麟麦酒専用線五行川橋梁を北側から撮影

 
実は一番楽しみにしていた、工場入口ゲート近くにあった踏切の一部と「とまれみよ」の標識も撤去されてしまっているようだ。草に覆われているだけと思いたいが、過去の写真と見比べると、撤去されてしまった可能性が高い。跡地に移転する企業が決まったわけだから、工事が進み撤去されていくのも当然のことではある。

麒麟麦酒専用線五行川橋梁を南側から撮影

工場入口ゲートを背にして、専用線跡を臨む。もう何が何だかまったくわからない 笑  緑色⑥から東方向を撮影


専用線の場所から、並走する道に戻る。これから4年の間に、周辺の道路なども変わっていくのかもしれない。

緑色⑦から東方向を撮影

 

 

仁井田駅に向かうため、今歩いてきた道を引き返し、伏久踏切まで戻る(緑色③の位置)。専用線が烏山線から分岐するのは伏久踏切と、もう一つ東寄りの第二氏家街道踏切の間になる。このまま専用線跡沿いの道を歩いて行きたいところだが、残念ながら道がない。仕方ないので、伏久踏切を再度渡り、烏山線の北側を並走する道を歩くことにした。

冷子川に架かる烏山線の橋梁  緑色⑧から南方向を撮影

第二氏家街道踏切に到着。再度踏切を渡り、烏山線の南側を通る道で仁井田駅に向かった。

緑色⑨から東方向を撮影

キリンビールの栃木工場建設の話が持ち上がり、輸送体制について検討されたとき、様々な状況を勘案し全量をトラック輸送とするのは問題があると判断された。専用線敷設が検討されたのは、このためである。

実際には、全体の2/3がトラック、1/3が専用線による二本立ての輸送体制で行われたようだ。

しかし、せっかく施設した専用線は思いのほか短命で終わる。1979年(昭和54年)から始まった専用線貨物輸送は、1985年(昭和60)仁井田駅の貨物取扱廃止により、わずか6年ほどでその役目を終えることになる。

廃止に至る大きな理由の1つが、当時の国鉄が発表した合理化計画で、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正よりヤード機能が全廃されることになったことだろう。典型的なヤード貨物であるビールを扱う工場は、その余波をまともに受けた形になった。

キリンビールの専用線が現在も残っているのは、仙台工場のキリンビール仙台工場専用線だけのようだ。廃線ではなく、リアルタイムの専用線を見に行きたい。数年前の自分なら考えもしないようなことを、最近あれこれ思うのである。

 

姉妹サイト「ときどき、無人駅」で関連記事を掲載しています。

 

下野花岡駅 ~寿老人~
仁井田駅 ~布袋尊~

 

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