コンテンツ
令和の時代になってから、どういうわけか私の中で「廃線」がブームだ。
にわかラグビーファンならぬ、にわか廃線ファンである。
廃れていく荒廃感と、現世にしがみつくように残されている鉄道遺構の妙が、廃線の魅力の一つであろうと思う。
もちろん、そうしたところにも魅かれるのだが、それ以上に、その地域の人々の「このまま風化させまい」という執念が感じられる廃線に興味がわく。そうした必死さは、決してスマートなものではなく、地域に還元される収益に結実しないこともあるが、それも含めてその土地の歴史の一つとして刻み込まれていくのがいい。
数か月前、昨年の秋のことになるが、「廃線小路(はいせんこみち)」という単語が目に飛び込んできた。
どこにあるか、どんな背景の廃線か、その時はまったくわからなかったけれど、間違いなく私の好きな廃線に違いない、そんな直感があった。
静岡県の大井川に沿うように走る大井川鐡道。現在の終点は井川(いかわ)駅だが、以前はその先に堂平(どうだいら)駅があった。もともとは大井川上流部にダムを建設するための貨物駅だったが、1971年(昭和46年)に旅客列車の運行を終了している。
その後40年以上の時を経た2013年(平成25年)、井川ー堂平間の線路跡地を利用した井川湖畔沿いの遊歩道が作られた。「廃線小路」と別名を持つこの遊歩道は、当時の線路がそのまま残されており、線路の上を歩く「廃線ウォーク」ができる貴重な場所なのである。
はじめての大井川鐡道
大井川鐡道の始発駅、金谷(かなや)駅から千頭(せんず)駅までの39.5kmが開通したのが1931年(昭和6年)のこと。これが現在の大井川鐡道本線である。
その後、中部電力が井川ダムや畑薙ダムなどの建設のために敷設した専用鉄道を引き継ぎ、1959年(昭和34年)8月に千頭駅から井川駅までの25.5kmが、大井川鐡道井川線となった。
本線と井川線の直通運転はなく、井川線に乗車するには千頭で乗り換えねばならない。(理由についてはまた別記事で)
日程にもよるが、千頭から井川までいける下り列車は、4本しかない。千頭発井川行きの最終は13時35分なので、列車のみで移動する場合は事前の行動計画をしっかり立てておくほうがよいと思う。
(大井川鐡道の時刻表はコチラ)
今回は奥泉駅前の宿に前泊し、井川駅には10時59分に到着した。もっと早い時間に来たかったのだが、列車がないので仕方ない。そう簡単に来られない場所にやっと来ることができたのだ・・と実感する。
上の写真左側が、千頭からの列車が到着したホーム。
右側にカーブしている線路は、廃線になった堂平駅方向に延びている。黄色いチェーンが張られ、一般客は立ち入ることができない。
でもせっかっくなので、規制チェーンぎりぎりまで近寄って写真を撮る。暗くて何も見えないのだけれど。
このトンネルの出口は、どんなふうになっているんだろうか?
壁、迫りくる「井川ダム」
井川駅は少し小高い場所にある。
改札を出て折れ階段を降りると、目の前は県道60号南アルプス公園線だ。
道路に向かって右に曲がり、数分歩けば井川ダムに到着する。
こちらが、1957年(昭和32年)に完成した日本初の中空重力式コンクリートダムの井川ダムだ。
その堂々たる姿は圧巻の一言。
ダムの天端(てんば:ダム本体の上部)が広い歩道になっているので、その場所から井川湖を眺める。
この日は青空が広がり、空の青を映した湖面が吸い込まれるように美しかった。
ここからすぐ近くに井川ダム渡船場があり、井川本村まで15分ほどで行くことができる。
船上から眺める紅葉の山々はまた格別らしいが、今回は時間の関係で乗船できず。次の機会にはぜひ乗ってみたい。
いよいよ廃線小路へ
こちらが廃線小路(井川湖畔散歩道)の散策マップ。静岡市の「井川湖畔遊歩道のご案内」ページからダウンロードできる。
井川ダムの駐車場から湖沿いに歩いていくと、遊歩道入口の案内板が見えてくる。
落葉を踏みしめながら歩いていくと、突然、線路が現れる。
思わず「おおぉ」と声がでる。
廃線路との対面で舞い上がってしまった私は、ここで大きなミスをした。
実はこの線路が始まる場所の背後に、井川駅でみたトンネルの出口があったことに後で気付く。
なぜ振り返らなかったのだ>自分
しかし、その時はまったく気が付いていないのだけれど、散策マップの①の場所から撮ったもの(下の写真)に、トンネルの出口が写っていた。薄暗くてわかりにくいが、写真をクリックして拡大してよくみてほしい。トンネルの出口はシャッターでふさがれ、緑色ネットの柵で近づけないようになっている。
落葉樹が多い場所では、枕木が見えなくなるほど枯葉が積もっている。
赤や黄に燃える木々が、本来ならわびさび感が漂う廃線を、まったく別世界に変えてしまったようだ。
数が合わないトンネル番号の謎
廃線小路には、距離は短いがトンネルが1つある。
出口の見えないトンネルは怖いけれど、抜ける側が最初から見通せると、「あ!トンネルだ」と高揚感を持ってトンネル内部に進んでいくことができる。
トンネルの入り口、コンクリートの左側に正方形の塗り跡が見える。
群馬県、碓氷峠の廃線ウォークで多くのトンネルをくぐり抜けた経験が影響しているのだろう。
トンネルのナンバリングが気になるのだ。
しかし、番号は薄れてしまって、まったく判別することができない。
トンネル出口、陽ざしに輝く樹々が見える光景が、本当に好きだ。
トンネルを抜けて振り返る(散策マップ②)。
こちらでは番号が判別できた。「65」と書かれている。
これは、通常であれば、千頭から数えてトータル65番目のトンネルということになる。
さて、ここで井川線について少し補足しておきたい。
総延長25.5kmの井川線には14の駅があり、橋が54(2154m)、トンネルが61(7651m)ある。
なんと全区間の1/3が、橋を渡っているか、トンネルをくぐり抜けているかだ。
下の図は、奥泉駅に掲示されていた配置図だ。これをみれば、どこにどんな長さの何番目のトンネルがあるかが、一目瞭然である。
話を戻そう。
現在の大井川鐡道井川線では井川駅までに全部で61のトンネルがある。
先の写真で確認したように井川駅からすぐのところに1つトンネルがあった。
そして、今回のトンネル・・・とくれば、順番に数えれば、このトンネルは63番目のはずである。
しかし、判別間違いでなければ、このトンネルは65番目なのである。
2つ数字がずれているのはなぜなのだろうか?
この謎は、1990年(平成2年)10月に、アプトいちしろ駅と接岨峡温泉駅の間を、新線に付け替えたことと関係しているのかもしれない。
新線付け替えに関しては、また詳しく別記事で書きたいと思うが、新線付け替えにより新しく奥大井湖上駅ができた。この駅は湖の上を大胆に通過するようなルートとなっているが、旧線ルートの時よりも通過するトンネルの数が減ったのではないだろうか。その数が「2」と考えると、つじつまがあう。
なくなってしまった旧線のトンネル番号を欠番にせずに、新線で番号を降り直したとしたら、この廃線小路にある63番目のトンネルが、昔は65番目であったということに納得がいく。そういう可能性があるという話ではあるのだが。
廃線小路も終わりに近づいてきた。
燃えるような紅葉をいつまでもみていたい。
このあたりでは、線路を見ずに上ばかりみていた気がする。(ごめんね、廃線)
線路がぐぐっと左にカーブする。
その先で2手に線路が分かれたところで、ぷっつりと線路は途切れている。
このあたりが、かつての堂平駅があった場所なのだろう。
幻となった本当の井川駅
堂平駅跡まで実際に歩いてみて、強く実感したが、堂平から井川の町の中心部まではまだ遠い。
井川駅からは、3km以上の距離がある。
せっかくここまで鉄道を作ったのだから、地元民の利便性を考えたら、町の中心部近くになぜ駅を作らなかったのか不思議に思う。
奥泉駅に掲示されていた昭和30年頃の資料によると、大井川上流にある畑薙ダム近くまで井川線を延長する計画はあったようだ。もちろん、井川の町の中心部にも駅ができるはずだった。
しかし、現実には井川線は延長されず、町中の駅も幻におわってしまった。
理由をうかがい知ることはできないが、なんとも残念な話である。
堂平駅跡からは、少し周辺をうろうろしたのだけれど、その話は別の記事で書きたいと思う。
最終的には、廃線小路の終端から北上し、反時計回りに県道60号を歩いて井川駅まで戻ってきた。
下の写真は北方向から井川駅を撮影している。
右側に見える線路は、引き上げ線。
ぐるりと一周して駅にたどりつく。
目の前の橋は、井川駅到着時に目にしたトンネルへ続く橋だ。
時刻はまだ14時を少しまわったところなのに、駅の待合室は人気もなく妙に薄暗い。
水色のベンチとストーブの取り合わせが妙におかしく、口元がゆるむ。
上り列車の発車まであと40分弱。
ストーブの灯をみつめながら、今日の廃線小路の景色をゆっくり思い出すことにしよう。
次に続く、、、