廃施設を抱えた町に息づく願い わたらせ渓谷鉄道の旅11

 
 
わたらせ渓谷鉄道、各駅を順に旅するの第11回。最終回です。

前回の記事はコチラ

 
前回は間藤(まとう)駅を出発し、県道250号を北に歩くこと1km、間藤水力発電所跡までやってきた。

地図2  灰色線は廃線跡   Googleマップより  

 

廃線が交差する本山小学校跡地への道

クリックで拡大   地図2の④

さらに道を進んでいくと、 新たな案内板が目に入る。
足尾銅山の最盛期、1916年(大正5年) の上間藤(かみまとう)の写真が掲示されている。足尾一の賑わいをみせた当時と今、時代の流れとともに多くのものが失われ変化していったが、道筋は昔のままだ。

 
 
すぐ先の交差点、左折して細い道に入る。地図通りならば閉校した本山(ほんざん)小学校に続くこの道の途中で、廃線と交差するはずだ。

地図2の⑤ 左折して松木川にかかる橋を渡る
地図2の⑥ 川の色は澄んだ深い緑色

 
 

 
松木川に架かる橋を渡り、道なりに南下していくと、すぐに小さな橋があり、その下を廃線がくぐっていく。すぐ先はトンネルの暗い入り口が、線路を飲み込んでいる。

クリックで拡大  地図2の⑦ 橋の上から北方向を振り返るとトンネルが確認できる
地図2の⑦  橋の上から松木川のある方向をみる。線路が間近に見える

 
わたらせ渓谷鉄道の最大勾配は、沢入(そうり)駅と足尾駅間の23.5‰(パーミル)だが、実は廃線区間の間藤駅と足尾本山駅間は30.3‰ある。貨物列車の最後のひと踏ん張りという区間だったのだろう。

クリックで拡大   地図2の⑧ 間藤駅方向に続く線路。木立の右奥に見える白い建物が本山小学校

 
道は行き止まり、目の前に2005年(平成17年)に閉校になった本山小学校の建物が見える。閉校してまだ15年程度の校舎は、少なくとも外見からはそれほど荒れた印象は受けない。この建物の後ろ側に、昭和初期に建てられた講堂があるはずだが、目の前の校舎の窓ガラスに「防犯カメラ設置中」と貼り紙が。立ち入ってよいのか判断つかなかったため、今回はこのまま来た道を引き返すことにした。
 

クリックで拡大    地図2の⑨ 本山小学校は通洞駅近くの足尾小学校に統合された

 

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今も居住者あり 旧南橋足尾銅山社宅

クリックで拡大   足尾赤倉郵便局付近から松木川方向をのぞむ。右奥に見えるのが旧南橋足尾銅山社宅

 
再び県道250号に戻り、 深沢橋を渡ってさらに北に進んでいく。
周辺見渡す限りほぼ枯れた茶色の世界だが、夏にもなれば鮮やかな緑で覆われる様子がGoogleストリートビューで確認できる(2019年8月の撮影)。

間藤に到着したときは小雪が散らついていたが、天気は回復傾向、青空が見えるようになってきた。

地図2の⑩  深沢橋から東方向をのぞむ

 
 
次の松木川に架かる橋の手前にも案内板がある。
再び橋を渡り、廃線路に近づいてみる。

クリックで拡大   足尾銅山小学校の生徒たちの集合写真   

 
 
橋を渡った先はT字路になっている。このあたり一帯が南橋(なんきょう)と呼ばれる地区で、足尾銅山最盛期には多くの社宅が立ち並んでいた。

地図2の⑫  案内板の後ろ、石積みの上に廃線が通る

 

 

近年、取り壊しなどもあって数は減っているが、かつての社宅が修繕されながらも現役で残されている。様々な事情で荒れた時期もあったようだが、少なくとも今は非常にこざっぱりと手入れされているように見える。

現在は 新規の受け入れを行わない南橋特別市営住宅 (日光市)として管理されているという話だ。今後5年10年と時の流れとともに、この南橋地区も姿を変えていくことになるのかもしれない。

地図2の⑬ いつからこの色なのか不明だが、青い屋根が印象的
手すりにぶらさがる銀色の飾りはなんだろうか
社宅前にあるごみ集積所?には、吊るし飾りが

 
 

残るトンネルは1つ 終点に向かう廃線路 

クリックで拡大  地図2の⑭  もともとの橋の緑色と鉄さびが絶妙な雰囲気を醸し出している。橋下のゴミが残念だ

 
 
地図2をみるとわかるように、社宅前の道と廃線はかなり近接している。 地図2の⑫ の写真では、廃線のほうが高い場所にはあるが、それほどの高低差がないこともわかる。
このため、線路近くまでは用意に近づくことができる。もちろん、線路内に立ち入りは出来ないが、すぐそばで線路を眺めることぐらいは可能なのだ。

クリックで拡大   1つ上の写真の橋を、線路の上から撮影したもの。正面に進めば足尾本山駅へ

 
再び、社宅前の道に戻る。地図上では足尾本山駅方向に道は続いているが、通行止めで先には進めない。

クリックで拡大  左手の土手上に廃線が通る。中央に見えるのは、足尾本山駅へ向かう最後のトンネルだ

トンネルの部分を拡大してみた。いつメンテナンスされたのかわからないが、入口近くにある腕木式信号機が小綺麗になっている。この場所は廃線ウォークイベントで見学者が歩くことがあるので、お化粧直ししたということだろうか。

 

 
 
橋を渡り、県道250号に戻る。松木川の上流にみえるベージュの建物が、本山製錬所。そのすぐ左側奥が、足尾本山駅のあった場所だ。

クリックで拡大   地図2の⑪ さきほど眺めたトンネルが画面中央左側に小さく見える
クリックで拡大  県道250号から先ほどのトンネルを見る。岩肌と融合した様子はもう山の一部のようだ

 
 

世界遺産登録を目指す 足尾銅山の産業遺産 

クリックで拡大    地図2の⑮   本山製錬所の左側に、緑色のガーダー橋が見える

 
 
ちょっとした広場のような交差点にでる。観光客訪問を考慮してか、交差点の一角には公衆トイレもある。交差点左手にあるのは新古河橋で1993年(平成5年)に架設された。

新古河橋の上流側に隣接している橋は、1890年(明治23年)年末に完成したドイツ製で、足尾銅山を代表する産業遺産だ。

クリックで拡大   橋板は木造。現在は通行止めで渡ることはできない

 

 
この古河橋、完成後の翌年1891年(明治24年)には、橋上に電気鉄道が敷設されたという。別記事「古の馬車鉄道が通った道 わたらせ渓谷鉄道の旅8」でもふれたように、当時はまだ軽便馬車鉄道や牛車鉄道が活躍していた時代だ。旧足尾鉄道の貨物線、足尾本山駅まで開通したのは 1914年(大正3年)。このときから、まだ20年以上も先の話なのだ。
 

クリックで拡大  状態を維持するのが大変そうな木の手すり
枠組みは鉄骨である。完成から130年経過していることになる

 
 
新古河橋を渡りきると目の前に本山製錬所が。1884(明治17)年から稼働し、銅山閉山後も、約100年以上にわたり製錬作業が行われた。近くまで来ると、さすがの迫力だ。安全上無理からぬことだが、中を見学できないのが残念だ。

クリックで拡大  足尾本山駅に続く最後のガーダー橋、出川橋梁

 
 
ガーダー橋をくぐりぬけて、来た道を振り返る。
下の写真、左手方向が足尾本山駅のあった場所である。

地図2の⑯

Googleのストリートビューで、もう少し近づいて確認できるパノラマ画像がある。(地図2の⑰の位置)

 
 
松木川をはさみ、対岸から本山製錬所の産業遺産群を眺められる場所に移動した。
10年ほど前から、設備の解体が進んでいるという話だが、まだまだ存在感抜群の産業遺産が点在する。

クリックで拡大  地図2の⑱  3つの硫酸タンクもまだ残されている
クリックで拡大  1916年(大正5年)に建設された巨大煙突 

 
 
2006年(平成18年)に足尾町は合併し日光市となった。その翌年、足尾銅山に関連する産業遺産群を世界遺産登録にするべく世界遺産登録推進検討委員会が設置された。歴史上大きな公害問題もあり、反対意見も根強かったと聞くが、世界遺産登録への流れは今も続いている。
(詳しくは日光市の「足尾銅山の世界遺産登録に向けて」をどうぞ)

間藤駅から足尾本山駅跡まで実際に町中を歩いて、強く印象に残ったのは、おそらく高齢化が進み人口も減っている過疎感はあっても、うらぶれた荒廃感を感じなかったことだ。(もちろん、廃線や産業遺産群のわびさび感はあるのだが)
なぜだろう、なんとも不思議な違和感の理由がやがてわかってくる。それは、このまま町を、人々の生活を、過去の歴史とともに消えさせたくないという強い願いが町全体から漂っているのだ。ごく一部に荒れた場所はあったが、どの道もどこの家も建物も、経年劣化はあるもののきちんと手入れがなされ、外部から訪れる私たちにある種の気概をみせている。

2014年(平成26年)に群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産登録されたことで、足尾銅山の世界遺産登録に向けての活動にも熱が入ったというが、答えが出るのはおそらくまだまだ先になることだろう。伐採のしすぎで樹々が失われた山々にも植樹が進んでいると聞く。足尾の山々が昔の様に緑に覆われる時、また新しい風が吹くのかもしれない。

 

全11回にわたり続けてきた、わたらせ渓谷鉄道の旅もこれで終了である。
たった1日の旅だが、多くの歴史的背景にふれることができ、自然の美しさとともに充実した時間をすごすことができた。

間藤駅に戻り、桐生駅行きの列車に乗り込み、もう一度あの桜と花桃の花を見られる幸せをかみしめつつ帰途についた。

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