コンテンツ
「ねじりまんぽ」という言葉を初めて聞いたとき、なんだかわからないけど面白い言葉の響きだなと思った。「まんぽ」は古い時代の方言で、トンネルを表す言葉だという。
明治から大正にかけてあらたな鉄道が次々と敷設されていった時代、ねじりまんぽの多くは鉄道路線を支える堅牢なアーチ橋として造られていった。レンガを斜めに積み上げる工法で強度を高め、線路や道などが斜めに交差する場所に採用されたのだ。
コンクリートが広く使われるようになると、レンガ造りのねじりまんぽの時代は終わりを告げたが、数は少ないながら現存しているものがある。
今回は、京都・岐阜・福井にある3本のねじりまんぽを紹介していこう。
琵琶湖疎水 ~蹴上インクライン~
おそらく最も有名なものは、琵琶湖疎水にあるねじりまんぽだろう。
琵琶湖の水を京都に運ぶ水路を建設することで上水道や農業用水を確保し、水力利用による産業の活性化を狙いとしたのが琵琶湖疎水だ。京都市の蹴上(けあげ)付近には、蹴上インクラインと呼ばれる台車に乗せた船を通すための傾斜鉄道が作られた。
上の案内板の文章を読むと、線路の下をくぐるトンネルを、強度を高めるためにあえて斜めに掘ってねじりまんぽとしたようにも受け取れる。
次の画像は蹴上駅(地下鉄東西線)の北、三条通側(西側)からねじりまんぽを撮影したものだ。100年以上経っても、当時の華やかさを残し、なおかつ、堅牢さをあわせもつ堂々とした風格がある。
琵琶湖疎水らしく、ねじりまんぽのアーチ上部には扁額(へんがく)も設置されている。
明るい外からトンネル内に入ると、斜めの天井部と相まって、かるく目が回るような不思議な感覚になる。
トンネル内の下部は、水平にレンガが積まれている。連続したニッチも意匠として美しい。(トンネルのニッチといえば、一般的には非常用の退避空間を指す。でもここでは「ニッチ」と呼ぶのがしっくりくる感じ)
ねじりまんぽの東側は西側よりもだいぶ傷みが進んでいる様子。扁額も判別できない(2020年撮影時)。
ねじりまんぽの上には、インクラインのレールが今も残っている。春になれば線路脇の桜が咲き誇り、一大観光名所になっている。
甲大門西橋梁 ~東海道本線~
2本目のねじりまんぽは、樽見鉄道の東大垣駅(岐阜県大垣市)の少し東にある。完成したのは琵琶湖疎水とほぼ同時期の1887年(明治20年)。甲大門西橋梁はいまも東海道本線の下を歩行者が通る現役のトンネルだ。
(甲大門西拱渠と呼ばれることも。拱渠(きょうきょ・こうきょ)とはレンガのアーチ橋のこと)
付近の地図をみると、東海道本線と交差する道はもともと斜めに位置していたように見える。斜めにせざるを得なかったねじりまんぽなのだろう。
交差する斜め具合が少し大きいためか、坑口(トンネル出入口)の4重アーチに段差ができている。下の画像では左側が顕著だ。
琵琶湖疎水と同じく、車は通れない狭さ。秘密基地の入り口のようだ。
ちなみに、甲大門西橋梁の西にもレンガトンネルがある。おそらく同時期に造られたものだが、こちらは線路と直角に交差しているので、ねじれてはいない。
眼鏡橋 ~えちぜん鉄道三国芦原線~
東尋坊が近くにある三国港はえちぜん鉄道三国芦原線の終着駅だ。開業したのは1914年(大正3年)で官設鉄道の貨物駅としてだった。
3本目のねじりまんぽは、駅ホームの東端から眺めることができる。
これまでの2本と逆で、ねじりまんぽの中を列車が通っていく。地図をみたほうがわかりやすいのだが、交差具合はなかなかの鋭角だ。
近くで撮影できなかったので、列車の中から動画を撮影した。トンネルを通過するのはあっという間なのでねじれ具合は目視できなかったが、坑口のレンガのずれ方をみれば、かなり角度がついていることがわかる。
動画は22秒ほど。トンネル通過時はスロー再生で編集している
現役のねじりまんぽは、西日本にまだいくつもある。できれば全部訪ね歩きたいが、なかなか難しい。
日本だけじゃなくて、外国にもねじりまんぽがある。また別の機会に、世界のねじりまんぽを紹介したい。