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100年以上も昔のこと、JR奈良駅と加茂駅を直接つなぐ路線があった。路線距離はわずかに9.9km、途中駅は「大仏駅」1つのみ。大仏線(大仏鉄道と呼ばれることも)と呼ばれたこの路線は、1898年(明治31年)の開業から9年4か月で消え去った、幻の路線である。
廃線になった1907年(明治40年)に、レールや駅舎の撤去が始まり、現存するものは(たぶん)ない。しかし、一部の隧道や橋台などが今も点在していて、明治時代の煉瓦や石積みの鉄道遺構を間近に見ることができる。
下のルートマップに、大仏線の鉄道遺構が残されている場所をナンバリングした。見ての通り、大仏線は、奈良駅から加茂駅までをほぼ最短距離でつなぐルートとなっている。(ナンバーをクリックすると、写真が表示される)
今回の廃線探検ウォークは、奈良駅から加茂駅まで幻の大仏線跡を歩いてめぐる旅である。
スタートは奈良駅
開業当初の大仏線は、加茂駅から大仏駅までの8.8kmだった。諸般の事情から、奈良駅まで延長したのは開業翌年の1899年(明治32年)だ。まずは、1.1km北にあった大仏駅跡を目指す。ちなみに、行政や民間団体が作った大仏線跡を訪ね歩くための地図やイベントの多くは、加茂駅がスタート地点になっている。
奈良駅周辺には遺構など残っていなさそうに思えるが、そうでもない。例えば、奈良駅から500mほどの場所にある下長慶橋(しもちょうけいばし)の川底には、鉄橋橋脚の基底部が残っているらしい。2007年(平成19年)に発見されたということだが、驚きである。
ちなみに、橋脚の基底部の写真はない。水位が下がってないと見えないとも言われてるが、そもそも、そういった事実があることを完全に失念していたわけで・・・、必ずこういう失敗をしてしまうのが、旅のお約束。
橋を渡ればすぐ、大仏駅の跡地に突き当たる。
跡地は現在「大佛鐡道記念公園」となっているが、写真で見るよりずっと小さい。土地が三角形の形をしているので、地元の人からは「三角公園」として親しまれている。
大仏線を走っていた機関車の動輪を使ったモニュメントも建てられている。こうした歴史を語る記念オブジェのようなものは、大仏線以外にもよく目にするものだが、個人的には今一つぴんとこない。おそらく私の中では、実際にかつて存在した場所で、朽ちつつも今もそこにある、そういうものに魅かれるからなのだろうと思う。
大仏線唯一の黒髪山トンネル跡地へ
大仏駅を出ると、列車は大仏線で最も標高の高い黒髪山トンネルへ向かう。現在は鴻ノ池(こうのいけ)陸上競技場の横を通る県道44号を北上するルートだ。
奈良駅と加茂駅の標高はそれぞれ66mと38m、黒髪山トンネルがあった場所が98mである(国土地理院の地図による現在の測定値)。どちらの方向から来るにしても、一山超えるという感覚だったろう。
記録によれば、大仏線の最大勾配は25‰(パーミル)で、開業当時、イギリス製の赤い新鋭機関車であっても走行は困難を極めたという。
下は、廃線後も残されていた黒髪山トンネルの貴重な写真だ。長さ約86m、幅約5m、高さ約6mの黒髪山トンネルの入り口には、関西鉄道の煉瓦つくりの社章が奈良側に2つ、加茂側に1つ掲げられていた。
上の現代の写真と見比べると、本当にこの場所を機関車でけん引された列車が通っていたのだと、少し実感がわいてくる。
なお、奈良の今昔写真webサイトでは、昭和30年~40年頃の黒髪山トンネルの他の写真も閲覧できる。
昭和39年頃、県道44号線の道路拡張でトンネルは撤去され、この場所は現在のような切り通しの形となった。下の3D地図を見れば、かつての黒髪山の姿をイメージできるかもしれない。
スリムでも重厚な造りの鹿川隧道
黒髪山トンネル跡を過ぎ、ゆるやかに右にカーブして坂を下っていくと「梅谷口」交差点に出る。事前にチェックしていないとまずわからないが(一応道路脇に案内板はある)、今歩いている県道44号の真下に鹿川隧道がある。
下の地図で説明すると、梅谷口交差点手前の細い道を左折し、ぐるっと一周して44号線の下に戻れば鹿川隧道だ。
上の地図の方向を変えて3Dにしたものが下の3D衛星写真である。44号線の真下にあることがおわかりいただけるだろう。
実際に鹿川隧道の近くまで行ってみよう。
北側にある入口は樹々の葉が生い茂り、陽射しが届かないので少し薄暗い。
現在も水路として使われている鹿川隧道。中の煉瓦もしっかりと積まれていて、100年以上たってもびくともしていない堅牢さが伝わってくる。今回はアプローチしなかったが、南側の入り口からも鹿川隧道を確認できるはずだ。
廃線跡を追っていると数多くの隧道に出会うが、列車を通すためのトンネルというイメージがある。しかしこの鹿川隧道やこのあとにでてくる他の隧道の様に、大仏線では水や人の行き来を確保するための隧道があちこちに見られるのも特徴の一つだ。
赤と黒の煉瓦が美しい松谷川隧道
県道44号線をさらに北東に1km進むと、「梅美台西」交差点に出る。信号を渡ったすぐ先、先ほどの鹿川隧道と同じく道路下に松谷川隧道がある。
松谷川隧道へのアプローチは2つ、直進して関西鉄道の社章を掲げた案内板横の階段を降りていくか、交差点をいったん左折して交番横のスロープを降りていくかだ(下3D地図)。
梅美台西交差点に出る少し手前に、突然現れるこの建物。写真でもインパクトのある佇まいだが、実際に目の前に出現すると、思わず声がでるほどの迫力がある。煉瓦造りで螺旋状に渦巻いた、ジブリの世界を想像させるようなこの建物は、なんと京都府木津川市にある高さ47mの給水塔だ。お役所でよくぞこのアイデアが通ったものだと感心するが、ご当地特産のたけのこをモチーフにしたということだ。
全国初の水道施設のネーミングライツ(命名権の売却)を採用し、タツタ電線(株)をスポンサー企業に、現在は「タツタタワー 木津川市(木津南配水池)」と命名されている(平成30年1月に3年間延長)。
関西鉄道の社章を目印に、階段を降りる。
松谷川隧道の入り口は封鎖されているが、内部を見渡すことはできる。リズミカルに配置された赤と黒の煉瓦がとても美しい。トンネルの入り口部分のことをトンネルポータルというが、デザインを意識して切り出された花崗岩で縁どられている。
ルートは再び山を越えて
先ほど前を通過したタツタタワーあたりが奈良との県境で、今歩いている場所は京都府木津川市である。
このあたりは郊外型の大型ショップが立ち並び、見晴らしもいい。土地勘は全くないが、ファミリータウンとして住みやすい街なのかなと感じる。
県道44号線を道なりに進み、「梅美台」交差点で右折する。道路は直角に曲がっているが、実際の路線は右カーブをして「梅谷」交差点に続いていたのだろう(下図)。
梅谷交差点付近、以前は井関川を越える橋が架かっていた。橋梁跡のようなものがあるのかないのか、事前の調査でははっきりしなかったので、そのまま北上していく。
写真ではあまりはっきりとわからないが、肉眼ではちょっと驚くほど上り坂になっていることがわかる。それもそのはず、梅谷交差点の標高は65mでそこから約400m先の標高は85mを超えるのだから、まったく息が切れる。もちろん、機関車だって大変だったろう。
坂を上りながら、周囲を見渡す。あたり一帯には、小さなお城の様にもみえる家が建ち並ぶ。おそらく古くからこの地に住まわれている方々の家だろう。長い時間をかけて開発されてきた周辺の変化を、じっとみつめてきたのだろうな、そんなことを思いながら坂を上っていく。
大仏線は昔の名残を残す里山を通り抜け、加茂駅へ。後編へ続く。