19世紀開通の「ガラビ橋」、映画で使われるほどの美しさ

 

 

 

フランス南部にある中央高地には、コース(Causse) と呼ばれる石灰岩台地が多くみられる場所だ。この地方を南北に縦断する鉄道路線は、通称「コース線」と呼ばれている。

廃線も噂される超ローカル線ではあるが、それゆえの牧歌的な魅力に満ちた路線でもある。コース線についてはまた別記事で語ることにして、今回はコース線の中でも最も有名な鉄道高架橋「ガラビ橋(Viaduc de Garabit)」を紹介したい。

なお、筆者はフランスを訪問したことがない。当然、フランス語も全くわからない。さらに言えばフランスの鉄道事情など何の知識もない。が、ガラビ橋を知り知識を深めるにつれ、知り得た背景をお伝えしたくなった次第。もしかしたら頓珍漢なことを書いてしまうかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 

 

70年代オールスター映画のロケ地

License : Julo CC BY-SA 3.0

 

 

そもそも、縁もゆかりもないガラビ橋をなぜ知り得たか・・というきっかけをお話ししよう。まず上の写真をみていただきたい。2005年ごろに撮影されたガラビ橋である。
この橋のショットをみて、どこかでみたことがあるような・・と思われた方、それはもしかしたら昔ご覧になった映画の中でかもしれない。

下の写真は、その映画のクライマックス、橋の中央に列車が進入しているシーンである。橋の色こそ違えど、上の写真と同じ場所で撮影されたことは間違いない。

 

 

 

クライマックスシーンでアーチ橋が出てくる映画・・でお気づきの方もいると思うが、その映画は1976年に公開された「カサンドラ・クロス(The Cassandra Crossing)」である。
イタリア・イギリス・当時の西ドイツ・フランス・アメリカの合作映画で、豪華な俳優陣でも話題になった。

映画の簡単なあらすじは以下の通り。

 

細菌を浴びた過激派がヨーロッパ大陸縦断列車へ逃れた。車内には伝染病が広まり、機密の漏洩を恐れた軍は秘密裏に列車をポーランドへ運び隔離しようとするが、その路線には老朽化したカサンドラ大鉄橋が横たわっていた……。

引用元 allcinema online 

 

最初にこの映画をみたのはTVでの放送か、VHSのレンタルビデオだったか、はっきりと覚えていない。が、ソフィア・ローレンの存在感(あと、エバ・ガードナーも)に圧倒されたことは覚えている。

ご存知ない方は、下のオリジナル予告の動画をどうぞ。

 

 

 

1884年完成の錬鉄製のアーチ橋

 

 

ガラビ橋は、中央高地のマルジュリド地方に流れるトリュイエール川に架かる鉄道橋である。今から130年近く前の1884年に建設された。

先ほど出てきた2枚の写真は、上の地図で言えば橋の東側(おそらく上流側)から撮影したものだ。

 
下は、橋から少し離れた東の高台にあるサービスエリアから撮影したと思われる写真。橋全体の様子が一望できる。

 

ガラビ橋は長短7本の錬鉄製の橋脚があり、最も長い橋脚の高さは80m。全長は約565mで、両端に71mと46mの煉瓦造りの高架橋がある。

アーチスパンは約165m、高さは52m。渇水時で川面からの高さは95mほどもあるという。(以前は渇水時には120m以上あったようだが、1960年頃、下流にGrandvalダムができてから水位が上昇したようだ)

 

 

  

 

鉄橋の幅は、「6m(上部)20m(アーチ基部)」とある。主桁のラチストラスの部分が6m、レンガ造りの台に結合しているアーチの下部が20mということだろう。

  
 

  

上の写真、煉瓦造りの土台の向こうに道路がみえる。その道路から逆に橋を見上げたものが、下の写真だ。

 
 

 

Google ストリートビューより

 

 

プレートには「1880-1884」と着工から竣工までの期間が掲示されている

 

  

 

 

 

 

 

 

橋の北側にある道路を行けば、煉瓦高架橋のすぐ直下まで近寄れる。

 

Google ストリートビューより

 

 

 

ガラビ橋を設計したのは

 

ガラビ橋の設計・施工にはギュスターヴ・エッフェルが関わっている。そう、あのエッフェル塔を作ったエッフェル社の社長である。

日本国内において鉄道黎明期の時代にはそうであったように、フランスでも長い区間は段階的に路線が開通されたはずだ。フランス南部にある町とパリとを結ぶルートは現在でもいくつかあるが、南のベジエと北のパリをほぼ最短距離で結ぶ路線では、1885年以前はマルブジョル (Marvejols) と ヌサルグ (Neussargues)の間に鉄道路線がなかった(上の地図の赤マーク地点)。

フランスのWikipedeiaによれば、この区間に鉄道建設の話が持ち上がった時、ガラビ橋の建設は入札なしにエッフェルが請け負うことになったとある。それは、ポルトガルのポルト市に1877年に建設されたマリア・ピア橋(Maria Pia Bridge)に理由がある。エッフェルが手掛けたこの橋と、ガラビ橋とは、建設における技術的問題が似ていたからということのようだ。

実際にマリア・ピア橋(下の写真)とガラビ橋はよく似ており、姉妹(兄弟?)橋ともいわれている。

 

ドウロ川に架かる全長353mのマリア・ピア橋

 


マリア・ピア橋(1877年)、ガラビ橋(1884年)などを手掛けた後、世界で最も有名な塔の一つ「エッフェル塔」が建設された。ガラビ橋の竣工から5年後のことである。

ちなみに、1996年に発行された200フラン紙幣には、ギュスターヴ・エッフェルの肖像が描かれているが、その後ろにはガラビ橋がモチーフとして使われている。

 

 

 

ガラビ橋の竣工の翌年、1885 年 11 月に単線として開通したこの路線も、ベジエからヌサルグまでは1日1本と極めて運行本数が少ない状況になっている(2017年時点)。

この美しい橋が、廃橋になってしまわないことを祈りたい。

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事