ウヅ鼻灯台が扉を開いた“来島海峡時代”

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年3月
難易度:■□□□(入門)

 

 馬島(うましま)の4灯台、残るは一つ、南端にあるウヅ鼻灯台(うづはなとうだい、愛媛県今治市)だけになった。鼻が詰まったような名前だが、場所は「渦ノ鼻(うずのはな)」だ。鳴門海峡ほどではないが、その付近の潮が渦を巻いているから、というネーミングだろう。

馬島4灯台の位置。青線は歩いた経路(国土地理院)

 馬島がどこにあるか、なぜ灯台密度が高いのか、今治から馬島への行き帰り行程、などはこちらで書いている。

 一つ前の小浦埼灯台はこちら。

 小浦埼灯台に行ったあと、しまなみ海道の下をくぐり、馬島港に来た。

 港と向き合うようにいろいろな碑が立っている。「火力発電完成記念」は1962年(昭和37年)、「電気導入完成記念」は1971年(昭和46年)。そういえば、来島洲ノ埼灯台の近くに高い鉄塔と送電線があったな。来島、小島を経由して電力が来ているようだ。

 島内の住宅はこの先に集中していて、「島民以外は入らないで」という立て札がある。

 この右手を見ると、小さな切り通しがある。

 

 その切り通しを過ぎれば、真正面に灯台が見える。

 灯台の左にチラッと見えるのは馬島神社の屋根だ。右端には遠くに今治船舶通航信号所の電光標識が「↑(流速が速くなる傾向)」を表示しているのが見える。この電光標識は、潮流の向き、速さ、速さの傾向を示すもので、難所来島海峡にはなくてはならないものだ。

 堤防沿いには新しそうなグランピングとリゾートホテルがあり、舗装道路があるので、灯台までの道はまったく迷うことがない。

 堤防の突き当たりは神社への階段だ。

 鳥居のある広場を過ぎるとさらに階段。さっき見えていた山を登るのはわかっていたが…。

 

 ようやく神社に到着。すると社殿に隠れるように灯台の灯塔が見えた。

 社殿の横に、灯台への入口がある。

 だいぶ階段を下りないといけない。神社の境内から海側に下りたところにあるロケーション、というと、渡波尾埼灯台(わたのはおさきとうだい、宮城県石巻市)がそうだったな。

 

 ウヅ鼻灯台に到着。馬島港から10分ぐらい。

 初点灯は1938年(昭和13年)2月。1960年代以降(小浦埼灯台は推測)に建てられたほかの3灯台に先駆けて建設された。灯籠の形とかも明治からのデザインを引き継いでいる感じがする。

 これで馬島4灯台をクリア…と喜びたいところだが、どうにも全体像が見えない。

 仕方ないが、境内の方から撮った灯籠との組み合わせで満足するしかない。

 探照灯のような大きなライトが2つ。どうも灯台自身を照らすためのようだ。

 

 結局、ウヅ鼻灯台が一番よく見えるのは、海からだ。

 灯台の役割を考えれば、それもそうだ。しかもウヅ鼻灯台は、東の燧灘(ひうちなだ)方向から来た船が、来島海峡に差しかかるときに最初に見る灯台だ。灯台自身を照らしているのも、そういう重要さのためかもしれない。

 

 前述のように、ウヅ鼻灯台の初点灯は1938年(昭和13年)。1900年(明治33年)初点灯の中渡島灯台(ナガセ鼻灯台の記事で触れている)を除けば、来島海峡の(ほぼ)最初の灯台と言ってもいいだろう。

 布刈瀬戸/三原瀬戸航路の9灯台がすべて1894年(明治27年)に設置されたのに比べると40年以上あとのことだ。

 これは、明治から昭和初期までメインとして利用されていた布刈瀬戸/三原瀬戸航路が、ウヅ鼻灯台の設置を機に、来島海峡経由メインに切り替わった、ということを示すものではないのか。

 とすれば、現在の“来島海峡時代”の扉を開いたのが、このウヅ鼻灯台と言えるだろう。

 

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