到達:2023年2月
難易度:■□□□(入門)
灯台を見に行く楽しみのピークは、遠くにチラッと見えてから全体の姿を現すまでの時間だと思う。さらに「その灯台がカッコイイ」なら文句なしに盛り上がる。
男木島灯台(おぎじまとうだい、香川県高松市)はカッコイイというよりも、美しいと言うべきだろう。日本の灯台はほとんどが白一色なので、外国の灯台のようだ。抜群の風格を持つ男木島灯台に出会うまでの行程をお伝えする。
出発は急峻な坂道
灯台は役割上、島に建つものも多い。“シロート”には手が出せないようなすごいロケーションの灯台もあるが、男木島灯台はそうではない。
男木島までは、香川県高松駅近くにある高松港から定期船(フェリー)で行く。2時間に1本で1日6便。1本あとで帰ることにすれば、島に2時間20分滞在できる。
男木島に行く途中、女木島(めぎじま)にも寄港する。両者をあわせて「雌雄島(しゆうじま)」といい、船を運航する会社は「雌雄島海運」、船は「めおん」。シマシマの派手な船体は2021年就航という新造船だ。
高松から40分で男木島に着く。急な傾斜地に家々が建ち並んでいて、島には平地があまりなさそうだ。
町の中心を通りながら灯台へ向かおう。鳥居をくぐって細い道を上っていく。手前にあるのは防潮堤だが、高さは50cmぐらいと低い。
すると、いきなりこうなる。それぞれの家に積まれた石垣が、昔の人の苦労を物語っている。
息が苦しくてたまらない。男木島は高齢者が多いようだが、毎日この坂を上り下りするのは相当の苦労だろう。それとも慣れてしまってへっちゃらなのか。
すでに港はこんなに下の方に見える。
やっと道の上りが一段落した。左にあるのは井戸の跡ではないか。水の確保はどの島でも大きな課題だ。1976年からは給水船、1997年からは海底送水管で、高松から水を運んでいるという(Wikipediaより)。
家がまばらになるあたりで、ようやくきつい上り道も終わる。
今回のように集落の中を通るのではなく、港から来る道もある(写真左方向)。その合流地点。灯台へは正面の道を進む。
別の道はこんな感じなので、バイクや軽自動車なら通れる。ただし上らなければいけない高さは同じなので、どっちの道を通っても苦労は大差ないよ。
この先に人家はなく、舗装された平坦な道がずっと続く(このときは平坦だと思っていたが実は緩い下りだったのだ、帰り道が緩やかな上りであることで気づいた)。歩きやすく、あまり“探検感”はない。
家はないが、石垣部分は結構多い。いつごろまでか、このへんにもポツポツと家があったようだ。
歩き始めて20分ちょっと、おお、見えてきた。
暖かい色合いと上品な形が美しい
そして到着!
美しい。
塔の上部のデザインも、派手ではないが地味すぎない上品さがある。
灰色と黄褐色の中間のような、暖かい色合い。それぞれの石、さらに石の各部分で微妙に色合いが違うところが味わい深い。同じ高松市で産出する「庵治石(あじいし)」が使われているのだ。ほかの明治期の灯台に比べて表面がなめらかだし、そもそも白く塗装されていないのは、庵治石を使ったことが理由だ。
庵治石については以下の別サイト記事で詳しく触れたので、そちらを参照してほしい。
銘板には「明治28年12月10日初点」とある。ブラントンやマクリッチといった外国人技術者がイギリスに帰国してからすでに10年以上。このころは技術を受け継いだ日本人たちが意気揚々と設計/建築していたのではないか。
灯台の向かいには、退息所(灯台守の宿舎)と思われるものが3棟残っている。これらも同じ庵治石でつくられている。昭和時代の終わりごろまで、灯台守(通常は2家族)がここで暮らしていたのだ。
正面は現在「男木島灯台資料館」として公開されているが、“原則日曜日と祝日のみ開館”のようだ。右手前の建物は現在トイレとして使われている。これはありがたい。
男木島灯台は、男木島の観光スポットとして必ず挙がるほどなので、この日も平日にもかかわらず、5~6人、観光と思われる人が来ていた。
そのほかにりっぱなカメラを持った人が2人。
男木島の北にある直島、豊島、小豆島はすぐ目の前に見える。瀬戸内海を東西に行き来する船は、ほとんどがこの細い水道を通るので、それを撮影するようだ。
さて、あとは港に帰るだけ。せっかくなので高松に帰る前に、女木島に寄ってみよう。女木島にある灯台の話はこちらで。
最後に、男木島にある残りの2つの灯台を紹介しておこう。男木港一文字防波堤灯台(「防波堤南灯台」かもしれない)。
ちょっと見えづらいが、男木漁港1号防波堤灯台。