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前編・中編と、太平洋セメント(旧日本セメント)専用線の廃線跡をたどってきた。後編の今回は、いよいよ終点「高本駅」を目指す。
前回までの話はコチラ
廃線跡は、下の地図㉕から㉔までの細い道だ。東松山市が2016年からウォーキングルート「まなびの道」を整備する計画を発表した。現在は、「まなびの道」の構成要素として「廃線敷ルート」が整備されているハズである。
ちなみに、葛袋採掘場から南下した列車は、地図の赤色丸あたりを経由して走っていた。
事前に廃線ウォークのルートを検討するにあたり、⑲で東側の道に入り、うねうね適当にいけば廃線跡にでられるだろうと考えていた。
雨が降り出し、廃線跡を歩くのをあきらめる
葛袋産業団地の西側の道を南下しているあたりから、霧がでていた。水田の風景がいい感じで写真など撮っているうちに、うかつにも⑲の分岐点を見逃してしまう。(こういう失敗がよくある)
さすがに目の前に小山が近づいてきて、おかしいなと思う。スマホの地図サービスで現在位置を確認し、道を間違えたことに気が付いた。でも、⑳の場所からも廃線跡にアプローチできることはわかっていたので、さほど焦らず。とはいえ、傘が必要なくらい、雨が降り始める。雨にぬれる樹々は美しいけど、傘をさしながらの撮影はちょっと面倒で、少し疲れを感じていた。
⑳の分岐点で山の中に入る狭い道を上っていったのだが、どうみても住宅の庭のような場所に分け入ってしまう。注意力散漫になっていた私は、㉕に通じる獣道(うそです。たぶんうんと細い道)をまたも見逃していたのだ。
志のある廃線ウォーカーなら、ここであきらめることなんて絶対にしないはずだけど、この時点で私のテンションはだだ下がる。雨の中の山道(←遊歩道という名の登山道みたいなのを何度も経験)を想像して、その中を歩くのが嫌になってしまっていた。
といっても、ここで引き返すのはもったいない。今回、見たかった鉄橋が廃線跡の終点近くにあるのがわかっていたので、水田のすぐ下の一般道を歩いて向かうことにしたのである。
住宅のすぐ後ろに残る廃線跡
水田の前の一般道ウォークは快適だった。広々と視界が開けた場所というのはいいものである。途中に何本も住宅の間を抜けて廃線跡に近づく道があったが、地図をみてもわかるように廃線跡に直結した道じゃない。まず高低差(廃線跡のほうが高い)があるしね。
㉑の場所まで歩いてくると、一般道と廃線跡の間の距離が狭まっていて、何か橋らしきものがみえた。
この橋だろうか? ちょっとワクワクしてきた。
少し歩くと、T字路にぶつかる。左折すれば廃線跡の終点に行けるはずだ。
でも、このT字路、実は四叉路だった。これから左折する道のちょっと手前に細い道が奥に続いている。
もちろん、入ってみる。
お!橋だ。鉄橋だ。これが、見たかった橋・・・・・なのか?
私は事前に、何年か前の鉄橋の写真を見ていた。50年以上たって、くたびれた、でも存在感のある鉄橋の写真だった。そのイメージからすると、目の前にある鉄橋は全く違う。が、場所的にこれに間違いないだろう。
なんていうか、来るのが遅かったな・・というのが正直な感想だけど、メンテナンス・維持を考えればこうしたほうがいいには違いない。
終点高本駅はすぐそこ
㉓の場所から坂を上っていくと、ほどなく廃線跡をたどる「廃線敷ルート」の終点がみえてくる。
もう少し坂を上って、高本駅に通じる道に近づいてみる。すでにゴルフ場に再開発されているため、道の先にはゴルフ場関連の施設があるだけだ。この道を通って貨物列車が走り抜けた妄想を頭に描き、ここで引き返すことにする。
終点から「廃線敷ルート」を逆にたどる
見たかった鉄橋の姿も確認できたし、このまま来た道を引き返してもよかったんだけど、せっかくなので少しだけ廃線跡の道をたどってみることにした。
とりあえず、さっきの鉄橋までいってみよう。
もっとすごい獣道を想像していたけど、全然違った。2年ぐらい前に整備されただけあって、うっそうとした緑はあるものの、意外に歩きやすい。おかしな道になったら、いつでも引き返すぜ・・と思いながら、どんどん歩いて行く。
調子に乗ってずんずん歩いて行くうちに、道半ば以上来てしまった。もう引き返せないな。
下の貨物列車の写真は、廃線敷ルートにあった掲示板のもの。やっぱり写真で見ると実感がわく。走行している場所が、今歩いている場所なのか産業団地の東側なのか正確にわからないけど、「サヨウナラ」の文字をみると胸が熱くなる。
まさかの遺構がこんなところに
もう廃線敷ルートが終わろうという、㉕の場所に近づいたとき、明らかに最近作ったものじゃないものがあるのに気が付く。下の写真でわかるだろうか。
下の写真(これは高坂駅に一番近い踏切。この場所から廃線跡が確認できる)にも類似したものが映っている。そう、踏切に設置される柵(正式名称わからない)が残っていたのだ。踏切だったと思って、もう一度上の写真を見ると、なんだか正面から列車が音を立ててやってきそうな気がする。
コンクリートのトンネル(こういうのトンネルっていうんだろうか)。短いんだけど、中を通るとトンネルの匂いがする。
トンネルを出てすぐの急階段を上る。実際に列車が走っていた時って、この高低差はどうなってたんだろう。
階段を上りきると、ちょっとした広場にでる。地図の㉖の場所だ。目の前にさらに上に続く階段と水平方向に続く手すりがみえる。おそらくこのルートが、現在通行止めになっているという「ばんどう山第1公園」に続く道なんだろうな。
反対側に向きを変えて、ゴルフ練習場の脇を通る道に戻る。向かって右方向に進めば、⑲の方向にでるはずだ。
ちなみに、私が事前にチェックした複数の地図(Googleマップも含め)には㉕と㉖をつなぐ道が細かくのっていなかった。現地を歩いてはじめて、立体交差で道がつながっていることがわかった。
下の写真の道を右に進むとすぐに右手にお墓がある。おそらく、このお墓の右側すれすれに列車が通っていたんじゃないかなと思う。
専用線の出発点、高坂駅へ戻る
高坂駅を出発して、約3時間。往復距離にして15km弱(あちこち寄り道したから)の廃線ウォークは終了。整備されてしまっているので、予想通り当時のままの遺構はほとんどなかったが(踏切跡はよかったな)、遊歩道としては雰囲気も良くおススメの道である。
最後に、高坂駅と葛袋駅の当時の写真を載せる。葛袋駅は少し現代的な雰囲気もあるので、昭和50年代だろうか。
貨物列車が醸し出す力強さの後ろに見え隠れする哀愁のようなものが好きだ。
現役の使命を終えて、廃線跡が残るのみとなれば、その残り香には強く惹きつける何かがある。その何かを感じ取りたくて、また次も廃線ウォークにでてしまうのだろうなと思う。
- 2020年5月22日【前編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪
- 2020年5月23日【中編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪
- 2020年5月24日【後編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪