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埼玉県東松山市にある太平洋セメント(旧日本セメント)専用線の廃線跡、前回は関越自動車道に架かっていた葛袋3号橋の橋台を確認したところまでやってきた。今回は、その続き。
前回までの話はコチラ
廃線跡を離れひとまず迂回することに
上の地図は、前編の最後に登場した衛星写真だ。赤丸は廃線跡を表しているが、衛星写真を見る限り、⑩の葛袋2号橋を渡り細い道を北上して廃線跡をたどっていけるようにも見える。(事前に行けるかも・・と考えていた)
ただ葛袋2号橋の上からそちらの方向を眺めたときに、ロープが張ってあるように見えた。
このため、今回は素直に迂回するルートをとることにした。
ちなみに、帰宅してから再度調べたところ、時期は違うが実際に歩かれた方のブログを拝見したところ、下の地図の青色丸のところで(廃線跡は)行き止まりになっていたようだ。
そもそも、あとで青色丸のすぐ下の道路を通ったのだが、それなりの高低差がある。(目視なのではっきりわからないが数十メートルはあったような)
これって、実際に貨物列車が走っていた当時、勾配はどうなっていたんだろうか。
廃線の歴史は土地開発の歴史
専用線が現役で走行していたころの資料などを探したが、みつけられなかった。そこで国土地理院の古い衛星写真をチェックしてみることにした。
上の衛星写真で見ると、さきほど高低差があった道路の場所は、葛袋採掘場の一角で(断定はできないが)今よりも土地の高さがあるようにみえる。つまり、上の地図の青色丸地点からそれほど急な下り坂にはなっていなかったと思われる(下り勾配じゃなかった可能性だってある)。
せっかくなので、もう少し広い範囲の衛星写真を見てみよう。
上の衛星写真、①がさきほど拡大してみていた葛袋採掘場で、そのすぐ南にあるのが高坂カントリークラブだ。長いうねうねした芝らしきものの先にある少し濃い目の楕円が、まるで猫の手の肉球みたいにみえる。高坂カントリークラブは専用線が敷かれた3年後の1958年(昭和33年)にオープンしている。
専用線の終点、高本駅があったのが②のあたりで、この周辺が高本採掘場だと思っていたのだが、この衛星写真を見る限り③の場所もそうなのかな?という気がする。その場合、②と③の場所の輸送はどうしていたんだろう。何かベルトコンベアみたいなものがあったんだろうか?素人なので全然見当違いのことを言ってるかもしれないけど。
なお、専用線が廃線になったのち、この②と③の場所は清澄ゴルフ倶楽部としてオープンしている。
ちなみに、2009年(平成21年)の衛星写真が下の写真だ。
採掘場の跡地はきれいにならされて更地になっている。
そして下の写真が、2020年のもの。ずいぶんと様変わりしたのがわかるだろう。現在は東松山葛袋産業団地として物流の拠点となっている。
もう1つのまなびの道を目指して
話しがだいぶ横道にそれたが、廃線ウォークを続けよう。
葛袋3号橋の橋台を見た後、上の地図の⑦の場所までもどり、少し北上して関越自動車道の下をくぐる。
上の地図の⑬でT字路に突き当たったら左折する。地図ではわかりにくいが、産業団地に向けてぐっとカーブしながら坂を上がっていく感じ。
⑭の場所までくる。土地開発されてしまっているので廃線の具体的な跡は確認できないが、専用線のルートはこのまま道なりに進んでその後南下するはず。ところが道標は左を示している。おかしいな、近道があるってことだろうか。
それじゃあと、左折して⑮の位置まで来た。道標はさらに左折を示している。でもね、そっちは現在通行止めなんだよね。それに、この場所に線路は通ってなかったよ?とぶつぶつ考えていたら、思い出したことがあった。
確か、東松山市のサイトに、まなびの道の通行止め区間が掲載されていたっけ。
これだ↓
ちょうど道標のある⑮の場所は、上の地図では「4」の場所である。「4」~「8」までの通行止めの赤色線の区間は、廃線敷ではなく、そこにいたるまでの遊歩道的なものなんだろう。
もちろん、今回はその場所は通らない。よって、もともと予定していた道を歩くわけなんだけど、これがけっこう回り道なのだ。下の地図で説明すると、⑮から⑯まで歩いて、そっから北上して⑰を経由してまた南下するわけだ。だったら最初から「化石と自然の体験館」の前の道を進んでおけばよかったんじゃないって話なのである。
とりあえず⑯まで歩いて、このまま西に突っ切ることができれば楽だよねと思った。⑰を経由すれば1km弱の回り道になる。そこで、近くにいた某急便の警備員さんに通り抜けができるのか?と尋ねてみた。親切な警備員さんで、「ゴルフ練習場に行くんですよね?残念ながら通り抜けできないんですよ」と教えてくれた。
本当に通り抜けできないのかな?といぶかりつつ、仕方ないので再び北上。⑰の場所まで歩く。
そのまま、南下する。しばらく歩いていくと、親切な警備員さんが「通り抜けできない」と話していたのが、うそではないことがわかってくる。疑ってごめんなさい。
右手側には豊かな田園風景が広がる。水田に導水され始めた時期で、鉄塔が映りこんでいる。
そして、正面に見える小山の中を、専用線が走っていたのだ。
このあたりから、霧雨のような雨が降ってきた。
まだ傘をささずになんとかなるが、このあと、どうなるだろうか。
つづく (次回でおしまいです)
- 2020年5月22日【前編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪
- 2020年5月23日【中編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪
- 2020年5月24日【後編】太平洋セメント東松山専用線 小ぬか雨の廃線探訪