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そもそも「沼」の定義はなんだろうか。
そんなこと真剣に考えたことなかったので、ただ漠然と
大きい水たまりが「沼」で小さいみずたまりが「池」、
そして沼のほうがちょっと泥っぽい・・と思っていた。
こちらのサイトに、「湖 沼 池 泉 潟 浦」の違いが解説されている。
シンプルで明快な説明で、目から鱗がぼろぼろと剥がれ落ちる。
ダム湖などは、環境省の分類上は「池」になるとは驚きだ。
四方を陸地に囲まれ、海とは離れたところにある水のたまった場所であること
さらに水深が5m以内で、沈水植物の生育が認められることが、「沼」と呼べる条件のようだ。
ここでまた一つ疑問がでてきた。
「沈水植物」なんて植物、聞いたこともない。
もちろん、「沈水植物」は分類名だろうし、
漢字から水に沈んでる植物だろーなーぐらいの想像はつくけれど、
いま一つぴんとこない。
調べてみると、昭和60年に神戸市立教育研究所から発行された
「神戸の水生植物」という書籍に、わかりやすい解説が載っていた。
神戸の水生植物 神戸の自然14 碓井信久著・神戸市立教育研究所刊より転載
ざっくりとした言い方をすると、水底の土中に根をはる植物の中で、
蓮のように茎も葉も水の上にあるものを「抽水植物」、
睡蓮のように、葉が水面の浮いているものを「浮葉植物」、
全体が水中に沈んでいるものが「沈水植物」だ。
金魚鉢とかに沈んで揺らいでる松みたいな葉っぱ、これなどまさに、沈水植物だろう。
そして、根も葉も茎も全体がぷかぷか浮かんでるタイプを「浮遊植物」と分類するそうだ。
うーん、勉強になる。
話を元に戻すと、水の底にわらわらと水生植物が生育している環境が、
沼と呼べる条件(の1つ)だということがわかった。
伊佐沼の水底には、どんな沈水植物が揺れているのか。
あれこれ調べていたら、驚くべき事実が判明した。
いや、もしかしたら常識的なことなのかもしれないけど、
私にとっては想像もし得ない事実だった。
満々と水をたたえ、古代蓮がひしめくように咲く伊佐沼は、
季節なりの多少の変化はあれど、一年中変わりないものと思っていた。
(農業用水の貯水としての役割があるので、多少の水位の増減はあるとは思っていたけれど)
しかし、夏が終わると沼から「水抜き」が行われ、見た目の姿は「沼」ではなくなる。
水を抜いたばかりの伊佐沼は、どろどろとした土があらわになる。
それまで水中に暮していた小魚や蛙たちは、抜かれた水といっしょに移動したのだろうか?
そして冬を越え、ちょうど桜が咲くころに、
古代蓮の植え付け作業が行われるという。
作業するのは「伊佐沼の蓮を咲かそう会」を中心としたボランティアの方々。
悪化した伊佐沼の水質の改善や古代蓮の育成のため、
25年も前から活動が続いているとのこと。
手作業による植え付けが終わると、
再び水が満たされ、また水辺の生き物たちの世界が繰り広げられる。
そして古代蓮もまた、夏に向けて美しい花を咲かせるべく根をはり茎をのばす。
私が抱いていた「沼」のイメージは、水も風も淀んだ停滞するものだった。
しかし伊佐沼は違う。人と自然の共存した、変わりゆく沼だ。
多くの人の手をかりて立て直したこのビオトープの世界が、
このまま続いていくことを切に祈りたい。