![【後編】沼に咲く古代蓮、水中の不思議](https://soloppo.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC06374.jpg)
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そもそも「沼」の定義はなんだろうか。
そんなこと真剣に考えたことなかったので、ただ漠然と
大きい水たまりが「沼」で小さいみずたまりが「池」、
そして沼のほうがちょっと泥っぽい・・と思っていた。
こちらのサイトに、「湖 沼 池 泉 潟 浦」の違いが解説されている。
シンプルで明快な説明で、目から鱗がぼろぼろと剥がれ落ちる。
ダム湖などは、環境省の分類上は「池」になるとは驚きだ。
四方を陸地に囲まれ、海とは離れたところにある水のたまった場所であること
さらに水深が5m以内で、沈水植物の生育が認められることが、「沼」と呼べる条件のようだ。
ここでまた一つ疑問がでてきた。
「沈水植物」なんて植物、聞いたこともない。
もちろん、「沈水植物」は分類名だろうし、
漢字から水に沈んでる植物だろーなーぐらいの想像はつくけれど、
いま一つぴんとこない。
調べてみると、昭和60年に神戸市立教育研究所から発行された
「神戸の水生植物」という書籍に、わかりやすい解説が載っていた。
![](https://soloppo.com/wp-content/uploads/2021/06/1400601.png)
神戸の水生植物 神戸の自然14 碓井信久著・神戸市立教育研究所刊より転載
ざっくりとした言い方をすると、水底の土中に根をはる植物の中で、
蓮のように茎も葉も水の上にあるものを「抽水植物」、
睡蓮のように、葉が水面の浮いているものを「浮葉植物」、
全体が水中に沈んでいるものが「沈水植物」だ。
金魚鉢とかに沈んで揺らいでる松みたいな葉っぱ、これなどまさに、沈水植物だろう。
そして、根も葉も茎も全体がぷかぷか浮かんでるタイプを「浮遊植物」と分類するそうだ。
うーん、勉強になる。
![](https://soloppo.com/wp-content/uploads/2020/04/DSC06409-1024x682.jpg)
話を元に戻すと、水の底にわらわらと水生植物が生育している環境が、
沼と呼べる条件(の1つ)だということがわかった。
伊佐沼の水底には、どんな沈水植物が揺れているのか。
あれこれ調べていたら、驚くべき事実が判明した。
いや、もしかしたら常識的なことなのかもしれないけど、
私にとっては想像もし得ない事実だった。
満々と水をたたえ、古代蓮がひしめくように咲く伊佐沼は、
季節なりの多少の変化はあれど、一年中変わりないものと思っていた。
(農業用水の貯水としての役割があるので、多少の水位の増減はあるとは思っていたけれど)
しかし、夏が終わると沼から「水抜き」が行われ、見た目の姿は「沼」ではなくなる。
水を抜いたばかりの伊佐沼は、どろどろとした土があらわになる。
それまで水中に暮していた小魚や蛙たちは、抜かれた水といっしょに移動したのだろうか?
そして冬を越え、ちょうど桜が咲くころに、
古代蓮の植え付け作業が行われるという。
作業するのは「伊佐沼の蓮を咲かそう会」を中心としたボランティアの方々。
悪化した伊佐沼の水質の改善や古代蓮の育成のため、
25年も前から活動が続いているとのこと。
手作業による植え付けが終わると、
再び水が満たされ、また水辺の生き物たちの世界が繰り広げられる。
そして古代蓮もまた、夏に向けて美しい花を咲かせるべく根をはり茎をのばす。
私が抱いていた「沼」のイメージは、水も風も淀んだ停滞するものだった。
しかし伊佐沼は違う。人と自然の共存した、変わりゆく沼だ。
多くの人の手をかりて立て直したこのビオトープの世界が、
このまま続いていくことを切に祈りたい。