素掘りトンネルの秘密地下工場 酒の天然貯蔵庫に再生

 

 

 

 

役目を終えた土木構造物は、撤去され痕跡がなくなってしまうものもあれば、ただその場で朽ちていくものもある。一方で、新たな役目を得て活用されている土木遺産もある。

栃木県那須烏山市にある素掘りトンネル群は、第二次世界大戦の末期に軍需工場として使われていた。

終戦後は長年放置されていたが、2007年(平成19年)から(株)島崎酒造が清酒の貯蔵庫として使用しており、現在は見学可能な洞窟酒造として一般に開放されている。
(見学可能な時期・時間帯があります。詳しくはこちらでご確認ください)

 

 

 

訪問日は開放日ではなかったが、事前予約をして中を見学させていただいた。素掘りトンネル群は、3本の縦抗と5本の横抗で構成された格子状の洞窟だ。通常なら見学者は中央の入り口から入るようだが、今回は大型搬入口から入り下図のようなルートで洞窟内を巡った。このあと掲載する洞窟内の写真は、ほぼルートに沿って撮影している。

 

洞窟内マップは島崎酒造様サイトより転載

 

 

 

  

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洞窟探検スタート

大型搬入口

 

洞窟酒造は小高い山の中腹にある。見学予約した時間に到着すると、すでにお店の方が待っていてくださった。鍵のかかった鉄扉を開けていただき、早速洞窟内に入る。

最初に、見学用の案内タブレットが手渡され、あとは自由散策だ。見学通路を歩いていけば要所要所でタブレットから音声ガイドが流れてくる仕掛けである。

 

 

 

 

右端の縦抗。長さは100mほどある

 

 

一定間隔で照明が灯っているので、洞窟内は予想以上に明るい。

洞窟内は平面構造だと思っていたのだが、大型搬入口を入ってすぐの右手に、下り階段がありちょっと驚く。 

 

階段を照らすライト

   

  

狭い穴の中をねじ込むように下り階段が続いている

 

 

お店の方に伺うと、この下には売店があるとのこと。この日は立ち入りできなかったが、一般開放日であれば階段を下りて売店にも立ち寄れるのだろう。

 

 

大型搬入口を入って正面には、洞窟酒造の概要を説明するパネルがある。

 

パネルのある場所では、タブレットから音声ガイドが流れてくる

 

 

洞窟内は100mの3本のメイン通路(縦抗)が並行して並び、ゆるやかな登り勾配で山を貫通している。さらに、縦坑と交差する60mの横抗が5本あり、総延長はおよそ600mである。

 

甲子園球場のグラウンドと比較すると洞窟の大きさがイメージできるだろうか

 

3本の縦抗は行き止まりではなく、山を貫通している。実際に縦抗を歩いていると、前方に外の明かりが漏れ見えるので、おそらくは山の中腹から反対側の中腹に抜けるような掘り方をしていると思われる。

下の3D地図は洞窟酒造のある山を南側から見たものだが、推測ではあるが、おそらく左(西側)から右(東側)方向に縦抗が3本並んでいるのではないかと思う。

 

Google 3D航空写真より

  

1944年(昭和19年)に東京動力機械製造(株)が疎開することになった。戦車を製造するため、当地に半地下の工場が建設されたのだ。このとき、隣接する場所に素掘りトンネルの地下工場が作られたという。(もともとあった素掘りトンネルをどの程度拡充して現在の規模にしたのかは不明)

戦時下において地下工場地の候補は、以下の条件を満たす必要がある。

①丘陵・山地の急こう配がある
②掘削した岩石や土砂を置く場所がある
③爆薬を使わなくても掘削できる柔らかな地質である

洞窟酒造のある山の地質は凝灰岩でやわらかく、それゆえにこれだけの規模の素掘りトンネルが作り上げられたのだろう。

 

 

 

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熟成のポイントは「ゆらぎ」

 

 

洞窟酒造内の貯蔵スペースは約2500平方メートルで、1.8リットル瓶で20万本が貯蔵できる。現在は1.8リットル瓶を中心に13万本が貯蔵されているとのこと。

 

 

 

酒瓶が貯蔵された横抗の向こうに、中央通路が見える

 

  

大型搬入口方向を振り返る

 

 

 

洞窟内で見学が許されているのは、全体の1/4ほどだ。右端の縦抗を進めるのは途中まで。そこから横抗を通って中央の縦抗へ行くことができる。横抗への曲がり角には、島崎酒造の代表酒「東力士(あずまりきし)」の顔出し看板がある。ここから顔を出して撮影すると、ちょうどいい具合に背景の洞窟も映りこむようライティングが工夫されているとのこと。

 

この近くの排水路には沢蟹がいることもあるとか?!

 

 

 

  

 

中央通路の縦抗には、鉄格子がはめられた鍵のかかったスペースも

  

 

 

洞窟内の平均気温は約10度だが、1日の時間帯や季節の移り変わりで5度から15度の気温のゆらぎがある。冷蔵庫のように一定ではない、ゆるやかな温度変化を伴うこの「ゆらぎ」こそが、酒類の保存には最適な環境ということらしい。

 

鉄格子に掛けられていた温湿度計

 

 

 

別の場所にあった温湿度計。洞窟内の場所によっても若干の違いがある

 

 

訪問時はちょうど平均的な気温の10度で、湿度は60%前後だった。

以前、同じ栃木県の宇都宮市にある地下空間の大谷採掘場跡を訪問したことがあるが、そちらも夏場になってくると湿度が非常に高くなりもやがでるほどだと聞いた。おそらくこちらの洞窟も、夏場になれば相当湿度が上昇するのではないだろうか。

 

 

 

現在は約800本のオーナーズボトルが保管されている

 

島崎酒造では、オーナーズボトルのサービスがある。客が購入した大吟醸酒を洞窟内で保管してくれるサービスで、わが子が成人するまでの20年・・など年数を指定して申し込める。 

 

 

それぞれのボトルには、メッセージの書かれたラベルがつけられている

 

普段は洞窟内の照明はついておらず、太陽光線は完全に遮断されている。温湿度のゆらぎ効果に加え、紫外線による劣化も防ぐ。長期間洞窟内で保管することで清酒の熟成は進み、かどが取れたまろやかな味に変わるのだ。

 

 

 

見学を終えて、洞窟の外にでる。ちょうど桜が満開の時期だったが、あいにくの冷たい雨。洞窟の中も外も気温差がほとんどなかったが、なぜだか洞窟内のほうが快適に感じられた。素掘りの岩肌が醸し出すあたたかみのようなものが、そう思わせたのかもしれない。

 

大型搬入口から再び外に出る

 

 

 

大型搬入口を出て右手に回り込むと、通常の一般見学用の入口がある。開放日なら、この木造りの扉を開けて中に入る。

那須烏山市の近代化遺産プレート(左)と土木遺産プレート(右)が並ぶ

 

  

 

2012年に「東京動力機械製造株式会社地下工場跡」として、土木学会選奨土木遺産に認定された

 

 

入口前の屋根付きのスペース。

 

 

やはり、生きた土木遺産というのはいいものだ。

かつての歴史を伝える役目も担いつつ、現代の時もしっかり刻んでいる・・そんな時間の厚みを感じるような場所なのだと思う。

 

  

 

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創業は嘉永2年

島崎酒造の店舗

 

 

洞窟を管理する島崎酒造の創業は1849年(嘉永2年)にさかのぼる。店内には代表酒の東力士のほか、熟成酒や酒粕を利用した食品やせっけんなど、多くの商品が店内に陳列されている。
(※許可をいただいて、店内を撮影しています) 

 

2代目の熊吉氏が無類の相撲好きであったことから、酒名を「東力士」としたとのこと

 

 

 

洞窟で低温熟成した「熟露枯(うろこ)」

 

 

 

明治、大正、昭和の店頭風景。時代を感じさせる貴重な写真だ

 

 

 

洞窟酒造へのアクセス

JR烏山線の終点「烏山駅」

 

 

洞窟酒造へのアクセスだが、公共交通機関で行く場合、最寄り駅はJR烏山線(からすやません)の滝駅である。

現地まで約1kmちょっとで、徒歩15~20分といったところだろうか。

タクシーを使うなら、終点の烏山駅まで乗車するといい。電車の到着にあわせてタクシーが駅前に待機しているし、待機していなくてもタクシー会社が駅の目の前にあるので配車も頼みやすい。

 

 

ちなみに、今回の洞窟酒造とは直接なんの関係もないが、烏山駅に降り立つことがあればぜひみていただきたいものがある。

駅の北側にある「腕木式信号機」である。

 

腕木という板を動かして信号の色を変える

 

 

以前の烏山駅で使われていた古いタイプの信号機で、鉄道遺産として場所を移して保管されているものだ。

腕木式信号機の後ろには、充電中の「ACCUM」(蓄電池駆動電車)の車両が見える。古いものと新しいものがこうして混在する風景というのも、またいいものだなと思う。

 

 

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