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岩手県南部に位置する住田町の3つの橋を紹介するシリーズの最終回。2回目から半年もたってしまったが、最後は町を代表する「昭和橋」である。
(※本記事の写真は、2021年9月に現地を訪問して撮影したものです)
★1回目と2回目はコチラ↓
架け替えが決まった昭和橋
1933年(昭和8年)に架橋された昭和橋は、さすがに老朽化は否めないが、モダンな親柱など堂々とした風格を今も感じさせる橋である。
90年近く町の中心部で人々の生活動線を支えてきた橋ではあるが、新しい橋に架け替えることが決定。2020年(令和2年)に工事スケジュールが発表された。
架け替えの理由は、老朽化が一番の要因だ。さらに幅員(橋の幅)が3.2mと狭く一般車両のすれ違いができないことに加え、もう1つ大きな問題があった。
まず、下の写真をみてほしい。直感的に(構成する部材などとは別に)最近の橋との違いがおわかりになるだろうか。
答えは橋脚の数だ。
橋の長さが73mなのに、橋脚が7本もある。自ずから橋脚の間隔は狭くなり、単純計算で9m程度しかないことになる。
現在、河川に橋梁を架設する場合は、計画高水流量(基本となる川の流量)から橋脚間の距離を算出する。規制緩和された中小河川であっても、最低間隔は15m以上なので、現在の基準は満たさない。ゲリラ豪雨などで水量の増量が頻発する昨今では、橋脚の間隔が狭ければ上流からの障害物が通過できず橋へのダメージも大きい。さらには、周辺地域への浸水被害も大きな懸念事項だ。
こうした状況を鑑み、昭和橋の架け替えが決まったのである。
昭和橋の下を流れる気仙(けせん)川は、鮎釣りのメッカとして知られている。
例年7月1日頃に解禁となり、9月下旬ごろまで鮎釣りが楽しめる。
歩行者用の仮橋を設置
昭和橋の架け替えは、まず下流側に仮橋を設置し、そののち昭和橋を撤去して同じ場所に新しい橋を架ける。新橋の幅員は7.8mと倍になり、橋脚は1本。鋼桁とコンクリートを合成した複合橋になるようだ(正確には確認できず)。
昨年の9月初旬の時点で、すでに仮橋は完成していた。
鮎解禁時期や稚魚放流時期を避けて、新橋建設工事は進められ、2023年(令和5年度内)の完成を目指すとのこと。
住田整備だより 2022.7 vol.46
https://www.pref.iwate.jp/res/projects/default_project/_page/001/014/522/sumita46.pdf
宿場町として栄えた「世田米」
※地図の気仙川、北側が上流です。気仙川の東側が「左岸」となります
住田町は、1955年(昭和30年)に上有住村・下有住村・世田米(せたまい)町の町村が合併し、「住」「田」の文字をとって住田町となった。世田米は住田町の中心となる地域であり、古くは奥州市の水沢から大船渡市の盛までをつなぐ盛街道の主要な宿場町だった。
このため、昭和橋の左岸側には昔ながらの家屋や土蔵が連なり、趣ある景観を残している。
1910年(明治43年)に遠野物語が発表されてから10年ほど経過した頃に、柳田国男氏がふたたび東北の地を旅している。仙台から北上して遠野を経由し八戸まで向かったようだが、遠野に向かう直前に世田米を訪れたようだ。
そののち発表された「雪国の春」の一節で、以下のように町の印象を記している。
其れにつけても世田米は感じのよい町であった。山の裾の川の高岸に臨んだ、とうてい大きくなる見込みのない古駅ではあるが、色にも形にも旅人を動かすだけの統一があるのは、幸いに新時代の災害にかからなかったおかげである。
柳田国男 『雪国の春』より
柳田氏が訪れたときには、まだ昭和橋は存在しなかった。
それから100年、時は流れ、昭和橋は長く続いた役目を終えようとしている。
「昭和橋 90年間ありがとう」の垂れ幕は、橋に語りかけたいというこの地の人々の感謝の気持ちだ。