ボルチモアトラスの雄 山都の谷に架かる一ノ戸川橋梁 

 

 

 

 

これまで幾度かとりあげてきたが、JR磐越西線は郡山(福島県)と新津(新潟県)を東西に結ぶ路線である。磐越西線の西側、山都(やまと)から馬下(まおろし)までは、阿賀川に沿って線路が右岸左岸をいったりきたりしつつ走行しているため、川に架かる古い鉄道橋がいくつも残っている。古い橋梁好きにはたまらない区間なのだ。

磐越西線と阿賀川の並走がはじまる少し手前(郡山方)で、一ノ戸(いちのと)川が阿賀川と合流する。合流直前に磐越西線が一ノ戸川を渡るための鉄橋が、一ノ戸川橋梁である(下の地図)。

 

 

 

 

 

一ノ戸川橋梁は、後述するボルチモアトラスという現代では稀少なトラス構造を含む鉄橋だ。全部で16支間、橋長約445m、山都町の広い谷に架かる黄色い長大橋をこの目で見るべく、実際に現地を訪れた。

 

一ノ戸川橋梁を走行する下り列車(写真右手が新津方)

 

 

 

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山都駅からスタート

山都駅には、これまた希少な明治時代に建造されたランプ小屋(油庫)が残されている

 

山都駅が開業したのは、当時の岩越線が喜多方から山都まで延伸開業した1910年(明治43年)である。

駅から一ノ戸川橋梁までは約1.5km。歩いても20分程度の距離にある。

 

 

駅をでて県道16号を東に歩いて行くと、やがて右手に遠く、目当てのものが見えてきた。

 

一ノ戸川橋梁を北側から望む

 

下の写真は、県道16号から南方向に見える一ノ戸川橋梁をちょうど真横の位置から撮影したものだ。歴史的鋼橋調査台帳(土木学会)に記載されているボルチモアトラス一般図を、同じ大きさで比べられるように写真に重ねてみた。

ボルチモアトラスは、分格トラスの一種で、トラスの斜材に補助材を入れ長い斜材を減らし軽量化した構造が特徴だ。一般図と見比べると、実際のトラス構造がより確認しやすくなるだろう。

 

左右の1つの橋桁(プレートガーダー)は約25.4m、ボルチモアトラス部分は約62.4mある

 

 

 

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大正生まれの橋が間近に

北側から一ノ戸川橋梁を望む。左手の道は県道16号に通じている

 

県道16号が大きく南にカーブする手前、右手に下に降りていく階段がある。階段を下りた目の前の道がやや近道となるので、そのまま南下していくと一ノ戸川橋梁の足下に出る。黄色い橋桁にはナンバリングがされており、県道の西側を通る道の上部の橋桁は5番だ。

 

 

橋の下をくぐる前に、左手方向(郡山方)をみる。 4→3→2とナンバリングされた橋桁が確認できるが1番は樹々の中で見えない。資料によれば、他の橋桁(プレートガーダー)は約25.4mだが1番だけは約16mと少し短い。

 

緑矢印は1番の橋桁がある場所。県道16号は2番の橋桁の下をくぐる(赤矢印)

 

 

橋脚の下は前後に半円形の台がついている

 

 

 

右手方向(新津方)もみてみる。6番目の橋桁に続いて、1連のボルチモアトラスが見える。通常の橋脚は約24mほどだが、上路式のトラスなので支える2つの橋脚は他のものより低くなっている。

 

 

7番目のボルチモアトラスの向こう側には、9連のプレートガーダーが続く

 

 

 

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1連だけトラスの謎

道路わきの橋脚は川岸ぎりぎりのところに立つ

 

 

 

 

橋をくぐり抜けたとき、上を見上げる。青い空と白い雲に黄色い橋桁がよく似合う。鉄道橋で黄色というのはあまり数は多くないように思う。

 

 

 

橋をくぐり抜けて、さらに道路を南下する。少し距離をとったほうが一ノ戸川橋梁の全体像がよく見えるからだ。

 

一ノ戸川の左岸、南側から一ノ戸川橋梁を望む

 

 

多少撮影角度の違いはあるが、上の写真がよく撮影される人気の構図である。特にSLばんえつ物語号(臨時快速列車)というSLが走行する時間帯は、多くのカメラマンがシャッターチャンスを狙う場所だ。

列車よりもなによりも、主役が「橋」の私にとっても、ここは橋全体を一望できる場所である。なにより、鉄道ファンでなくてもこの圧倒的な存在感を示すこの鉄道橋の眺めは、見るものの心に迫る。

 

郡山寄りに6連、新津寄りに9連のプレートガーダーがあり、中央に1連だけトラスを持つ構造が、一ノ戸橋梁の印象を強くするところである。

 

以前、知人にこの橋の写真を見せたところ「なんで1連だけ違うんだろう。全部同じ(プレートガーダー)じゃだめだったの?」と質問された。

土木を専門的に勉強していない私に、正確な回答が導き出せるはずもないが、ある程度の「推測」は可能だ。

 

下の画像は、一ノ戸川橋梁周辺のGoogle航空写真である。ちょうどうまい具合に南からの陽ざしで一ノ戸川橋梁の影が路線の北側に写っている。わかりやすいように、①~⑯まで橋桁の番号を書き込んでみた。

 

左方向が新津方、右方向が郡山方   Google航空写真より

 

航空写真を見る限り、川の流れる幅は狭く浅瀬も広い。⑦番にわざわざ200フィート(約60m)のトラスを持ってこなくても、普通の橋桁でつなげないのだろうかと私も思った。

しかし一ノ戸川橋梁の全体図(下図)をみると、単純に航空図で見える見た目とは違う川底・河川敷の状態があり、橋脚をたてるに適切な場所というのを計算し、結果として⑦番の場所には他の橋桁よりも長いトラスが採用されたのではないか。橋桁の中で最も一般的なプレートガーダーは、橋のたわみや強度の点から、支間(橋脚と橋脚の間)をあまり長くできないからだ。

  

左方向が郡山方、右方向が新津方  歴史的鋼橋調査台帳(土木学会)より

 

 

 

右岸からボルチモアトラスに接近

新津寄りの15番と16番の橋桁

 

それでは先ほど歩いてきた道を引き返し、一ノ戸川の右岸に行ってみる。右岸側から近付くと、ボルチモアトラスの真下に行くことができる。

左岸側の1番の橋桁はまったく見えなかったが、右岸側の16番の橋桁は草木の丈も低く、はっきりと姿が見える。

特に、新津寄りは土地自体の高さがあるので橋脚の高さも低くなり、各桁に明記されている塗装記録も肉眼でなんとか確認できる。

 

プレートガーダーに記された塗装記録

 

一ノ戸川橋梁が現在の色に塗り替えられたのは2009年の6月だ。

ちなみに、以前も紹介した同じ200ftのボルチモアトラスの蟹沢橋梁は、1996年10月の塗装なので、より年季の入った印象を受ける。塗装の時期が13年前ということももちろんあるのだが、錆などの状態をみても、蟹沢橋梁のほうが劣化の度合いが大きいように感じる。高さが低いことによる湿気や、雨水のたまりやすい地形的な問題がなどもあるのだろうか。

 

 

蟹沢橋梁の塗装記録

 

 

 

ボルチモアトラスに近づけそうな場所に到着。さきほどまで白い雲の間に青空が広がっていたが、だんだん怪しげな黒い雲が広がってきた。

 

右岸の北側から一ノ戸橋梁を望む

 

 

ボルチモアトラスの隣にある橋脚の足元に行き、真上を見上げてみる。橋桁の上に線路がのっかっているだけなのに、うっとりするくらい美しい。

 

この角度で列車が走行する様子をみてみたい

 

  

 

ボルチモアトラスを支える橋脚の前に移動。他の橋脚と同じく切石積だが、高さは低い。

 

郡山方を望む

 

 

トラスの真下に入ってみる。ボルチモアトラスの華奢な斜材が、左右上下に絡み合う様子は、なんともいえない味がある。

 

この色とデザインが、ちょっとレゴを想像させる

 

 

 

山都駅が開業した1910年(明治43年)の2年前、一ノ戸川橋梁は架設された。

 

 

 

アメリカン・ブリッジ製のトラス

 

 

 

上の写真をもう少し拡大してみよう。

 

 

多くの部材がピン結合している

 

 

「鉄の橋百選 近代日本のランドマーク」(鉄は「かね」と読む)の編者、成瀬輝男氏は、本の中で以下のように述べている。

 

この一ノ戸川橋梁は、ベースとしてプレートガーダーを多く並べた中に、1連だけトラスが架かっているというタイプをとっている。これぞピン結合の極致といったようなメカニックな美しさを持っており、鉄道写真家が、列車と橋梁の両方の美しさを十分に表現できることから、好んで撮影対象としたものである。

鉄の橋百選 近代日本のランドマーク  編者:成瀬輝男氏

 

まさに、遠くから眺めてもよし、近くに寄ってもよしな、一ノ戸川橋梁なのである。

 

 

 

一ノ戸川橋梁を列車が通過する音は、平成9年に「うつくしまの音の三十景」として認定されている。

最後に、季節や天候によって微妙に変わるという列車通過音を聞いていただこう。一ノ戸川のせせらぎと混然一体となり時を告げるという風情を感じていただけるだろうか。

  

 

 

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