希少な現役ボルチモアトラス 蟹沢橋梁

 

 

 

福島県郡山市の郡山(こおりやま)から、新潟県新潟市の新津(にいつ)までを結ぶ磐越西線(ばんえつさいせん)。この路線には明治から大正にかけての古い橋がいくつも残っている。

その中でも最も有名なのは一ノ戸川橋梁で、SLばんえつ物語号(快速列車)が鉄橋を走り抜ける様子は、撮影ポイントとしても人気がある。

 

 

 一ノ戸川橋梁      License:じゃんもどき, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

 

一ノ戸川橋梁の中央にある一区間(専門用語では支間)はボルチモアトラスという構造形式で、現役の鉄道橋では4つしかない珍しいものだ。

磐越西線には、この稀有な構造を持つ橋梁が2つある。有名な一ノ戸川橋梁の陰に隠れて目立たないが、もう1つの蟹沢橋梁(かにさわきょうりょう)も、一度は直接訪問したい鉄橋だ。

※本記事は2020年11月に当地を訪問した際の写真を使用しています。

 

西会津の沢を越えて

 

 

蟹沢橋梁があるのは、磐越西線の上野尻(かみのじり)駅から北に1kmほどのところ。阿賀川に並走する線路が小さな沢を越える場所に、鉄橋は架かっている。

下の3D画像では、磐越西線の線路が沢のところで下方に歪んでいるが、これは3D画像になっているため。

それでは赤矢印の地点から、現場の様子を写真で見ていこう。

  

阿賀川から南西方向を望む。左手方向には上野尻駅がある

 

 

 

100年橋梁が目の前に

阿賀川沿いの道を左折すると、蟹沢橋梁が姿を現す

 

上野尻を含む野沢から津川までの区間が開通したのは、1914年11月1日(大正3年)のこと。まだ岩越線と称されていた頃である(3年後に磐越西線に名称変更)。

上野尻駅はこのとき開業し、同じタイミングで蟹沢橋梁も架設された。大正・昭和・平成・令和を生き抜いてきた100年橋梁が目の前にある。

 

 

会津若松方の上路プレートガーダー(12.8m)

 

塗装記録部分を拡大した

 

 

3連で構成される蟹沢橋梁の両端はプレートガーダーで、会津若松側には「1」がナンバリングされている。塗装記録を見てみると、塗装4回目の前回は1996年の10月。四半世紀経過しているため水がたまる部分には錆が目立っている。

 

 

 

1連目と2連目の結合部分

 

 

次の写真が中央の分格プラットトラスだ。分格トラスとは、軽量化のためトラスの斜材に補助材を入れ長い斜材を減らしたものをいう。

 

62.408mの上路分格プラットトラス

 

 

蟹沢橋梁の魅力の一つは、鉄橋との近さである。直下に道路があることは珍しくないが、目線の高さにトラス構造があり、下のようなアングルで眺められるものはそうはないだろう。それだけに、実際にこの地に立つとふつふつとテンションが上がってくるのを感じる。

 

鉄橋の真下から新津方を望む

 

 

 

平均寿命は50年?! ピン結合トラス

橋長87.5m 中央のトラスは200ftタイプのアメリカン・ブリッジ製

 

蟹沢橋梁の下をくぐり、反対側から眺める。広角撮影なので鉄橋が少し歪んでいるが、中央部分はボルチモアトラスと呼ばれる分格トラスである。

先にも少し触れたように、ボルチモアトラスは以下のイラストのような構造を持つトラスだ。下のイラストは下路式(橋桁がトラスの下部にある)なので、蟹沢橋梁のような上路式の場合は上下さかさまのイメージとなる。

 

ボルチモアトラス   License:Fmiser, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

 

 

 

トラスに近づいてみると、部材が結合している箇所に丸い留め具のようなものが見える。これはピン結合と呼ばれ、この鉄橋が製作された時代に採用されていたものだ。

 

☆クリックで拡大

  

 

しかし、ピンの摩耗やピン穴の拡大により、鉄橋の各部にさまざまな悪影響を及ぼすため、以下の引用文のように、このタイプの鉄橋の平均寿命は50~70年程度とされている。

 

クーパー型ピン結合トラスの開通から撤去までの平均寿命は、東海道本線で47年、北陸本線で55年、中央本線で66年、山陰本線で69年などとなっている。

明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)-第9回日本土木史研究発表会論文集(1989年6月)-より

 

しかし、上述の論文でもふれられていたが、その平均寿命を越えて現存する鉄橋もある。絶対的な交通量の差もあるとはいえ、蟹沢橋梁は製作された1911年(明治44年)から実に110年の長寿橋となっている(2021年10月現在)。

 

 

ピン結合の部分にはゆるみを目視するためなのか、白いテープ(塗装?)のようなものが見える

 

 

 

 

鉄橋を支える切石積みの土台

さきほど通ってきた道路が目の前に見える

 

 

ボルチモアトラスの真下は、少し開けたスペースがあり、阿賀川のほうにくぐり抜けることができる。1連目のプレートガーダーと、ボルチモアトラスの下に、それぞれ切石積みの橋台・橋脚がある(上の写真)。

 

 

すぐ上の写真とは逆方向、3連目のプレートガーダーがある方向を望む

 

少し開けた場所に続く道をくだっていく。

 

 

 

開けた場所から一段高いところにボルチモアトラスを支える低い橋脚がある

 

トラスの真下をくぐる。新津寄りのトラスの橋脚も一段高い場所にあり、3連目のプレートガーダーを同じく切石積みの橋台が支えている。

撮影しているときは気が付かなかったのだが、上の写真の赤丸の中にあるものは、橋の銘板かもしれない。

 

 

トラスの一部には何やら文字が

 

 

橋脚のすぐ上のトラスには、文字の書き込みがあった(上の写真)。なにか点検の書き込みだろうか?
それにしても、ピン結合の部分は相当に劣化していて、少し心配になる。

 

 

 

再び1連目のプレートガーダーがある方を望む

 

 

車の排気音で後ろを振り返ると、鮮やかな赤いトラックが、蟹沢橋梁の下をくぐり抜けていった。鉄橋を走行するSLも悪くないが、こんな赤と緑の取り合わせもなかなかである。

 

 

最後に、阿賀川の対岸から、蟹沢橋梁を撮ってみた。トラスのすぐ下にあるコンクリートで固めた護岸に、小さな穴があるのがご覧いただけるだろうか。おそらく、ここから沢の水が阿賀川に注がれているのだろう。

 

阿賀川右岸より、対岸を望む

 

 

この地区の阿賀川沿いには多くの桜の樹がある。蟹沢橋梁も、冬を越えれば、うす桃色の桜の花に彩られた春を迎える。

 

 

参考文献
・歴史的鋼橋集覧 土木学会
・小西純一ほか「明治時代に製作されたトラス橋の歴史と現状(第5報)」『第9回日本土木史研究発表会論文集』1989年6月

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