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小学生の時に、日本で一番長い川は「信濃川」と教わった。全長は367kmだが、実際は新潟県域を通る153kmが信濃川で、それより上流の長野県域を通る214kmは千曲(ちくま)川と呼ばれている。
古牧(こまき)橋は、長野県の中野市と飯山市の県境を通る千曲川に架かる橋だ。千曲川の名称については諸説あるが、「千回も曲がりくねる川」が由来という説もある。
実際に地図をみてみると、古牧橋の前後は川が90度に曲がり、川の流れが急であろうことが容易に想像できる。
古くから交通の要所だったこの地の行き来には、渡し舟などが利用されていたが、1921年(大正10年)に舟橋が架設された。腰巻橋という名前だった。
舟橋ってどんな橋?
舟橋とは、どんな橋かご存じだろうか。川の中に舟を並べてその上に板を渡し通行できるようにした橋のことだ。この説明ではピンと来ないかもしれないが、次の写真をみていただきたい。舳先を川上に向けた船をぎっしり並べて固定し、その上に橋桁となる板が渡され簡単な橋となっている。
日本でも舟橋は奈良時代からあったという記録もあり、仮設にしろ常設にしろ、古くから利用されていた橋の形式のようだ。
時が流れ、水害により腰巻橋は1956年に流出。水害に負けない永久橋を・・ということで、1959年(昭和34年)、腰巻橋のすぐ下流に新橋の工事が着工し、4年後に完成となった。このとき橋の建設に関わった守谷商会さんのサイトに、新旧の腰巻橋の写真が掲載されていて、貴重な舟橋を見ることができる。
なお、新しい腰巻橋は、その後「古牧橋」に名称を変えている。
古牧橋に行ってみた
JR飯山線の蓮(はちす)駅から徒歩10分弱で、古牧橋に行くことができる。
駅の東側を通る国道292号に出てしまえば、迷うことのない一本道だ。
古牧橋の左岸側に到着。上流側には歩道橋がある。
歩道橋部分は、1984年(昭和59年)に造られている。
気がつかれた方もいるかもしれないが、冒頭にでてきた古牧橋の橋脚と、さきほどの守谷商会さんのサイトに掲載されていた古牧橋の橋脚が違う。
確かな記録が確認できなかったので推測になるが、歩道橋を増設するときに橋脚の補強工事が行われたのかもしれない。
歴史を感じるゲルバートラス
古牧橋は、ゲルバートラスという形式の橋だ(カンチレバートラスとも呼ぶ)。簡単にいえば、片方が固定された2つの梁の間に、吊られた桁がのっかっている構造で、吊桁はヒンジ(蝶番のようなもの)でつながれている。ドイツ人のゲルバーが考案したもので、複雑な計算を回避しつつ長い橋をつくることができたため、コンピュータが発達していない時代に採用されることが多かった。
橋のトラスを構成する三角形の頂点部分(橋桁と接するところ)を見比べると、さきほど説明したゲルバートラスの構造が感覚的にわかりやすい。
次の写真が通常の接点で、三角形の辺を構成する鋼材はしっかりつながっている。
そして、次の写真は橋の別の箇所だが、右側の鋼材の上に左側の鋼材がのっかっている。
次の図解は古牧橋のものではないが、一般的なゲルバートラスの構造を説明したものだ。青字の部分が吊桁となっている。
徒歩だとわからないが、車でゲルバートラス橋を通過すると、吊桁の部分を通るときには他の部分より揺れを大きく感じやすい。
橋を渡り切って右岸側に来る。橋の銘板がとりつけられているが、表面が磨滅してほとんど読むことができない。
訪問日は目に眩しい青空の晴天だったが、前日までの雨で千曲川は少しあらぶっていた。
赤いゲルバートラス橋は60歳を超えたところ。まだまだ頑張っていただきたいものである。
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