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映画やTVドラマには物語がある。インパクトの大きな筋立ての物もから起伏の少ないおだやかなものまで、人を惹きつけてやまないものには、それぞれの「物語」が秘められている。
【物語を彩る名脇役の土木たち】シリーズ2回目の今回は、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をとりあげたい。昭和という時代を色濃く、そして人とのつながりを紡ぎあげた同作は、2005年11月の公開後に評判を呼び、興行収入35億円、観客動員284万人を記録した。
その人気を後押ししたのは、忠実に再現された昭和30年代の風景だ。ミニチュアとCGを駆使した風景・街並みに、なんともいえぬ郷愁を感じた人も多いだろう。
そんな映画本編の中には、ミニチュアでもCGでもない、実際の土木をロケしたシーンがいくつか登場する。その中から、今回は3つの土木を紹介しよう。
まずは、2分ほどの劇場予告をご覧いただこう(再生ボタンを押すと、音がでます)。
集団就職のSL 夢を抱えて渡る橋
映画本編の冒頭で、青森から集団就職する六子(むつこ=愛称ろくちゃん:堀北真希)たちをのせた蒸気機関車が、がっしりとした鉄橋を走り抜けるシーンが登場する。六子たちの夢や希望を象徴するシーンでもある。
この鉄橋は実在する。それも青森から東京へというルートからは遠く離れた九州、福岡県中間(なかま)市にある鉄橋だ。
撮影に使われた実際の路線は、JR九州の筑豊本線である。中間駅と筑前垣生(ちくぜんはぶ)駅の間には九州で唯一鮭が遡上する川とも言われている遠賀(おんが)川が流れ、この川に架けられた「遠賀川橋梁」がロケ地となっている。
実際に映画登場シーンと同じ角度(少し遠い場所からだが)から、Googleのストリートビューでみたものが下の画像だ。
橋脚やトラスなど見比べてみても、そのまま映像として使われていると思われる。
もちろん、SLはCGによる再現だ。とはいえ、この筑豊本線、かつては石炭を運ぶ多くのSLが実際に走っていた。この鉄橋も1923年(大正12年)に架設されたものなので、ロケ地採用となる条件は十分に満たしているのである。
なお、上の航空写真からもわかるように、この区間の筑豊本線は複線で遠賀川には2つの鉄橋が並行して架けられている。赤矢印が上り路線、青矢印が下り路線だ。
映画では青矢印の下り路線を、逆行する形でSLが走っていることになるのだが、それはまあご愛敬である。
ちなみに上の3D写真、下り列車が走る左側の鉄橋は先にも書いたように大正時代に架設されたもので、右側の鉄橋は1971年(昭和46年)に新しく架設されたものだ。上り列車が走るこの右側の鉄橋の左横に、なんだか妙なものがくっついているのがおわかりになるだろうか。妙なもの・・というか、まさに橋桁を取り外した橋脚のように見える。
実はこの遠賀川橋梁には、新旧のいくつものが橋が架けられ撤去され移設され・・といった面白く興味深い歴史がある。この話はまた別記事でぜひとも紹介したいと思う。
一平と淳之介が通うレトロな小学校
主要登場人物の一平と淳之介が通う小学校のシーンは、映画の中で何度か登場する。その中で、夏休みの登校日を忘れた一平があわてて学校に走っていくシーンが上の画像だ。
この建物は、岡山県真庭(まにわ)市にある旧遷喬尋常小学校(きゅうせんきょうじんじょうしょうがっこう)だ。1907年(明治40年)に建てられた歴史ある校舎で、1990年(平成2年)までは実際の小学校校舎として使われていた。
大変に趣のある貴重な建造物で、国の重要文化財にも指定されている。
旧遷喬尋常小学校の公式サイトはコチラ。またPR動画がYouTubeで公開されており、校舎の内部を見ることができる(以下の動画)。
一平と淳之介が途方に暮れた橋の欄干
映画の中盤以降、行方知れずだった淳之介の母の消息がわかり、一平と淳之介が高円寺にいるらしい淳之介の母親を訪ねていくエピソードがある。都電を使っていくのだが、電車賃は片道分しかない。結局、淳之介の母には会えずじまい。帰りの電車賃もない2人は、雨のそぼ降る中で橋の欄干に腰掛けてうなだれるシーンがある。
初めて映画を見たときは、橋の後ろに何か建物があるのだな・・ぐらいに思っていたのだが、実際に調べてみるとこれは単なる橋ではなく、水門の一部だということがわかった。
実際の水門の写真をご覧いただこう(下の写真)。
これは、岡山県倉敷市玉島にある通称「港水門」で、高潮対策のために1948年(昭和23年)設置された防潮水門である。
映画では電球色の灯りが等間隔に並び、いい味をだしていたが、これが映画の演出なのか実際に同じ灯りがあったのかは今となってはわからない。というのも、地域に愛されていたこの水門は老朽化のため2012年(平成24年)に取り壊されてしまったからだ。
現在のGoogleマップで確認すると、溜川排水機場とマークされているあたりに新しい水門ができている。
以前の港水門が撮影されていた写真で周囲の家屋と照らし合わせると、下の地図の青点線で囲んだあたりに、港水門があったようだ。
新しい水門や排水機場は、武家屋敷のようなデザインが採用されている。下の画像は、水門のすぐ下流の橋から水門と排水機場を見たものだ。
2012年に港水門を解体するにあたり、地域の希望などもあり、港水門の一部をモニュメントとして残すことになり、当時のメディアでも報道された。
そうした記事をいくつか読んだのだが、実際にそのモニュメントがどこにあるのか、調べた限りどこにもその記載がない。土地勘も全くないので、地元の方ならすぐわかりそうなことも全くわからない。そこで地道に水門近くを歩き回り(もちろん、Googleのストリートビューで)、やっとそれらしいモニュメントを見つけたときは、思わず歓喜の声をあげた(すぐ上の地図の赤点線で囲まれた場所)。
ここで自信たっぷりに紹介して間違っていたら冷や汗ものなのだが、水量調整で門の開閉をしていたギアの一部や門の石柱(初代のものもあるらしい)などで作られたモニュメントということなので、下の画像にあるもので間違いないだろう。
映画の中につくられたかりそめの世界は、長い年月を経て何か魂が宿ったような「土木たち」との共演で、より確かなものとして見る者の心に届くのかもしれない。