【佐渡の土木旅#2】佐渡島の大間港 土木技術の変遷がわかる石積みの塔【世界遺産】

 

 

 

大間港にあった、石積みとコンクリートの二層構造の塔のようなものは何か。

その答えは、現地案内板の写真の中にあった。

まずは同じような位置から撮影された新旧2枚の写真を見ていただきたい。

 

1938年(昭和13年)に撮影された写真 佐渡市提供の現地案内看板より
2023年 海側から撮影

1938年(昭和13年)頃の大間港の様子 佐渡市提供の現地案内看板より

 

糸巻のように見えたコンクリートの正体は、クレーンを設置する台座だった。台座の上に操作室がありクレーンを操作していたのだ。

資料によると、石積みとコンクリートからなる台座は、1914年(大正3年)頃に設置されたものらしい。現在の様子(下の写真)と見比べると、台座だけが今も残っているのだなということがよくわかる。

 

2023年に撮影

 

たたき工法でわかる時代の変遷

左側のクレーン台座の下部や、右側の防波堤の一部にたたき工法が使われている

 

ここで、大間港の建設時に話を戻そう。大間港の工事は約5年を要し、1892年(明治25年)に完成した。当時はコンクリートが普及していなかったため、「たたき工法」を用いて港が建設された。「たたき」とは、消石灰と土砂を水で練って混ぜたもので、石積みと組み合わせる工法が採用されていた。

これまで紹介してきた現在の大間港の遺構には、色とりどりの石で固められたものが多くある。

石積みとコンクリートの二層構造のクレーン台座2基は、1914年(大正3年)に設置されたと現地の案内板に書いてあった。それを読んだとき、明治時代に造られた石積み台座の上に、大正時代になってから後々コンクリート製の台座を追加で設置したのだと思ってしまった。

ところがそうではないことが、別の写真から判明した。

まずは、ほぼ同じ角度から撮影した新旧の2枚の写真をみていただきたい。 

 

  

 

モノクロの写真と説明文を見る限り、昭和13年の時点では、石積みの台座の上にクレーンが乗っていて、このあとに現在残る遺構のようにコンクリート部分が追加設置されたことになる。

つまり、大正3年(もしくはそれ以前)にたたき工法によるクレーン台座が設置され、昭和13年以降にその石積み台座を利用してコンクリート部分の増設が行われたということだ。おそらく台座の高さが十分でなかったということなのだろう。

また、新旧2枚の写真にあるトラス橋にも注目だ。

モノクロ写真の橋は現在のものと違うように見える。実は赤錆びたトラス橋が架けられたのは1945年(昭和20年)頃で、それ以前は木製の橋だったと記録にある。これは、その木製の橋が写っている貴重な写真でもあるのだ。

 

3つ目のクレーン台座

大間港周辺図 佐渡市提供の現地案内看板より

大間港周辺図を見ると、クレーン台座が3つあることがわかる。赤丸で囲んだ台座が、石積みとコンクリートの二層構造になっているものだ。

そして黄丸で囲んだ場所にあるクレーン台座は、細身の塔のような形ですべてコンクリートでできている。

 

防波堤の先に設置されたクレーン台座

 

冒頭のモノクロ写真中央部にも、クレーンが設置されたこの台座がしっかり写っている。設置は1935年(昭和10年)とのことで、このあとに、石積み台座にコンクリート分を追加設置していることになる。時代が進み、この頃にはコンクリートが普及していたということだろう。

 

このクレーン台座の近くまで、コンクリート製の防波堤が延びているが、平成4年度に造られたことを示すプレートが埋め込まれていた。

 

 

船を進水させる斜路も

防波堤の先端部から撮影

 

防波堤の先端部から北方向を振り返って撮影したのが上の写真だ。防波堤の途中までは、たたき工法で造られた石積みになっていることがよくわかる。

二層構造の2つのクレーン台座の間には小屋がある。小屋の入口から海面に向かってレールが敷かれているのが見えるだろうか。船を進水させるためのスリップウェイと呼ばれる斜路で、いつ設置されたかは不明だが、1938年(昭和13年)の古い写真には同じ場所から船を進水させる様子が写っている。

 

スリップウェイから小屋方向を撮影

 

小屋の内部。建築年は不明だが、そこそこ古いものじゃないかと思う。梁と柱に斜めの補強材が設置されているが、木材の色が違うので、後の時代に補強されたものだろう。

 

  

小屋内部からスリップウェイ方向を撮影

 

次で大間港の紹介は最後だ。

外海近くにそびえたつ、2本脚の遺構の正体をリポートしていく。

 

 

次回に続く

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