ぬくもりを残す無人駅 わたらせ渓谷鐡道~上神梅駅~

 

 

 

 

群馬県の桐生市から栃木県の日光市足尾町をつなぐわたらせ渓谷鐡道は、その名の通り渡良瀬川に沿って敷設された鉄道路線である。昨年の春に、始発の桐生から終点の間藤(まとう)まで旅をした。今回は一年ぶりの再訪、前回は車窓から眺めるだけだった上神梅(かみかんばい)駅を訪ねた。

 

 

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渡良瀬渓谷の玄関口

桐生から間藤まで直線距離で約30km(路線距離は44.1km)  Google 3D航空写真より  ☆クリックで拡大

  

桐生駅の標高は111m、終点の間藤駅は662m。標高差およそ550mをわたらせ渓谷鐡道は走りぬけていく。わたらせ渓谷鐡道には17の駅があるが、上神梅は桐生から数えて6番目。住宅街を通り抜ける車窓が一転し、緑と花に彩られた景色に変わる最初の駅である。

上神梅駅は1912年(大正元年)に開業し、当時の駅舎がほぼ当時の様子で残されている。四季折々のよさはあるが、なんといっても春の美しさは格別だ。

 

 

 

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郷愁をよぶレトロな駅舎

 

上の写真は、駅舎の北側から撮影したもの。駅舎にかぶさるように咲き誇る白い花は花桃だ。

 

 

 

 

駅舎全景。手前の北側半分が待合室、南側半分はかつての事務室

 

駅舎は入口の西側から北をまわり、ホームの東側にかけてコの字に一間(いっけん)の庇がついている。腰高の羽目板や木枠の窓ガラスが多用されているところなど、明治から大正にかけて建てられた駅舎の特徴がよく表れている。

 

 

 

 

駅舎の北側側面には木のベンチ

 

庇の下にあるベンチはどっしりと、そしてひんやりとしている。木の表面の感触はなんともいえず懐かしい感じで、なぜか子供の頃の夏休みの記憶を呼び覚ます。ベンチとホームの間には木製の臨時改札口がある。その昔、鉱業で栄えた土地の歴史を語る証でもある。 

 

 

 

 

  

 

駅舎の前に、最近ではあまり見かけなくなった公衆電話ボックスがあった。これが妙に駅舎の雰囲気にマッチしている。

 

 

  

 

待合室から改札とホームを臨む

 

待合室の中は薄暗い。外のまぶしいくらいの明るさとは対照的だ。木肌の露出したレトロな内装に、地域の子供たちの絵が華を添えている。

かつて駅員が検札していたであろう木枠も傾いている。それもまた味である。

 

 

 

  

待合室の北西の角

 

待合室の一画にも木製のベンチが作りつけられている。隅にある座布団は地元の方の手作りだろうか。

 

 

 

 

待合室の南側

 

待合室の南側には、事務室につながっていたはずの窓口があるが、今は板でふさがれている。その味気無さを埋めるように、掲示物や手作り感のある色々なものが所狭しと置かれている。

 

 

 

  

待合室の南西の隅には整然と掃除道具が並べられていた

 

上神梅駅は、古い造りの駅であるにも関わらず、駅の周辺・待合室・ホームと、どこにもうらぶれた感じがない。その理由の一つが、床はもちろん、目だったところに蜘蛛の巣一つない清潔感だ。古きものを維持するには、人の手による清掃というのが大きな威力を発揮することを改めて実感する。

 

 

 

 

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登録有形文化財に指定されたホーム

桐生方を臨む

  

上神梅駅のホームは1面1線。108mの長さがある。少し幅のあるホームの片側には、公園かと思うほどの手入れされた花々の鉢が整然と並んでいる。筆者は春にしか訪問したことがないが、別の季節の写真などをみると、まったく違う雰囲気の植物に変わっていたりして、通年で世話をされていることがよくわかる。

 

 

 

 

ホームから改札方向を臨む

  

ホームからみた臨時改札

 

 

 

 

上神梅駅の駅舎は1912年(大正元年)に竣工しているが、昭和初期に増築されている。その後大きく改修されることもなく古の姿を残していることから、2008年(平成20年)に国の登録有形文化財に指定された。興味深いのは、駅舎だけでなくプラットホームも同文化財に指定されたことだ。

 

☆クリックで拡大  License:皓月旗, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 

上の写真からは、ホームが立ち上がっている場所を確認できる。2段の石積みの上にコンクリートブロックが並べられているように見える。実は間知石(けんちいし)と呼ばれる石垣などにも用いられる石を4段積み上げているということで、下の2段は埋もれた状態なのだ。

また、上の写真を見ていただいて、ホームの位置が低いと感じなかっただろうか。筆者もホームに実際に立っているときは気が付かなかったのだが、写真でみると普段自分が乗り慣れている電車のホームよりも高さがない。

実はこのホーム、「760ホーム」と呼ばれることもある、ホームの高さの規格の中では0.76mと最も低いタイプのものだ。地方の一部のホームは0.92m、首都圏などの一般的なホームは1.1m、新幹線ホームでは1.25mとのこと。

ホームが低いため、わたらせ渓谷鐡道の列車は乗降口にステップがある。何度も乗り降りしているのに、まったく記憶がなく、写真を確認して「あぁステップあったな」と思い出す。まったく人の(私の・・か)記憶とはあいまいなものである。

 

桐生駅に停車する間藤行き列車。乗降口にちらりとステップが写っている

 

 

 

 

 

2番線ホームは今いずこ

間藤方を臨む

  

わたらせ渓谷鐡道は、昭和の時代までは旧国鉄の足尾線だった。1989年(平成元年)にわたらせ渓谷鉄道として再出発している。上神梅駅は旧国鉄時代は2面2線のホームだったようだ。

 

 

下の写真のように、間藤よりのホームの先を見ると、ホームの直前でレールがぐっと曲がっており、その近くにかつて列車が分岐していたはずのレールの残骸が見える。何年か前の写真をみると、現在のレールともう少しつながった状態だったが、完全に分離させるようレールを撤去したようだ。

 

 

かつての2番線のレールは、芝桜の盛土の中に消えている

 

 

 

 

2番線のレールは一部残っているが、ホームはどこにいったのだろうか。もちろん、撤去されたには違いないのだが。3D地図で駅周辺を俯瞰してみると、駅の東側に不自然に植え込みが無くなっている場所がある(下地図赤矢印)。今は駐車場になっている一帯に、2番線ホームがあったことが現在の地図からも想像できる。

 

青矢印は駅の場所  ☆クリックで拡大  Google 3D航空写真より

 

 

ちなみに、撤去されたホームは本当に2番線だったのだろうか?当時の記録が調べきれなかったので、正確なところはわからない。そもそも、●番線というのは、どういうルールでつけるのか。

調べてみると特に絶対的ルールはないようだが、国鉄時代では、駅長室に近い線路を1番線としていたとのこと(参考:「駅のプラットホーム、番号はどうやって付けている? 欠けたり戻ったりすることも」 乗り物ニュース)。私鉄などでは下り線を若い番号にするというところもあるようだが、いずれにしても、旧国鉄の路線だった上神梅駅は、現在残っているホームが昔から1番線で間違いないだろう。

 

 

以上で、上神梅駅の話はおしまいだ。
春の花でむせかえるほどの、どこか人の気配がする無人の駅を、感じ取っていただければとてもうれしい。

 

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