歴史ある友ヶ島灯台、写真映えする砲台跡観光で島はにぎわう

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年6月
難易度:■■□□(初級)

 灯台クエストも観光もいっぺんにできる。これが、友ヶ島灯台(ともがしまとうだい、和歌山県和歌山市)のある友ヶ島のウリだ。

 和歌山市の西端と、淡路島(洲本市由良付近)との間はかなり狭くなっていて(友ヶ島水道または紀淡海峡と呼ばれている)、友ヶ島はちょうどその中間にある。

(国土地理院)

 江戸時代末期、イギリスが幕府と「大坂約定(大坂条約)」を結び、友ヶ島灯台(1872年8月(明治5年6月)初点灯)を建設した(させた)のは、上記地図を見れば納得できるだろう。

 昭和の年代になると、淡路島側(生石鼻灯台、高埼灯台)と和歌山市側(田倉埼灯台)の両岸にも灯台が建てられた。

 

 灯台だけではない。明治時代、友ヶ島水道を挟む両岸地域には、大阪湾を守るための砲台がいくつも作られた。その砲台跡はいまでも各地に残っていて、その中で一番見学しやすいのが友ヶ島なのだ。

 友ヶ島の観光のメインは、残念ながら灯台ではなく、写真映えする砲台跡を巡るハイキングだ。友ヶ島には、和歌山市の郊外、加太港(かだこう)から船で渡る。結構人気の航路なので、週末や観光シーズンは増便されているが、目指す船便(行きも帰りも)に乗り切れないこともあるようだ。

 友ヶ島に住んでいる人はいない。キャンプする人を別にすると、夜は無人になるので、取り残されないように注意してほしい。

 加太港の駐車場は、加太大橋の海側と山側の2カ所あるが、どっちかというと山側の方がいいと思う。海側は加太大橋からすぐに入れる一方で、混雑しているほか、切符売場まで防波堤の狭い通路(すれ違えない)を歩く必要がある。山側はすいているし、切符売場のすぐそばだが、狭い一方通行の生活道路を通らなければならない。

 

 では船に乗って出発。

 港から出るところに、加太港第3防波堤灯台がある。すっきりしたいい形だ。釣り人がわんさかいる。

 20分ほどで友ヶ島に到着。灯台クエストとしては珍しく、ちゃんとした“観光地”だ。

 海岸沿いの道を歩き出す。

 振り返ると桟橋が見える。乗ってきた船が加太港に戻るところだ。

 道は上り下りがあるじゃり道だが、灯台クエスト的にはかなり歩きやすいほうだ。

 

 分岐点には、主要ポイントまでの距離が書かれた標識が必ずあるので、道に迷うことはない。

 西向きの眺望が開けたところでは、対岸の淡路島が見えた。生石鼻灯台と高埼灯台が見えてもいいのだが、この写真では判別できない(逆に生石鼻灯台近くから友ヶ島灯台はちゃんと見えた)。

 第2砲台跡を過ぎると、海岸を離れ、山道っぽくなる。

 道はずっとのぼりだ。右が灯台、左が展望台。

 例の青い案内板のところまで来た。左は砲台跡。

 木のトンネルの向こうに見えた。

 

 友ヶ島灯台に到着。桟橋から歩いて25分ぐらいかかった。退息所(官舎)も残っている。

 手前になにかの残骸があるし、付属舎に這うツタ(?)もちょっと見苦しい。ここは大勢の人が来るところだし、もうちょっときれいにしてくれるといいんだけどな。

 銘板は、この時代のほかの灯台とちょっとデザインが違う。

明治5年6月27日初点灯於旧台
明治23年8月5日再点灯於新台

とある。明治23年に友ヶ島に最初の砲台を作るにあたり、じゃまになるので場所を動かした、ということらしい。そのときに当初の銘板を外し、これを付けたのだろう。

 

 敷地の奥にも道があるので行ってみると、ここにも砲台跡(?)があった。

 この上にあがると、灯台がよく見える。黄、青、赤の3つの光源が回転している。

 ここが、灯台の敷地の正門のようだ。桟橋から歩き始めたときに前方にいた2人の男性が、また写っていた。

 この日は臨時便が運行されていたので、約1時間後に帰りの便があった。当初の予定より1時間早く戻れるのはありがたいので、砲台跡などの観光はほとんどせず、桟橋にとんぼ返りした。往復で50分、灯台だけを見た友ヶ島の旅だった。

 

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