平らに見える海岸線に灯台がある不思議――行ってわかる事実もある

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2023年6月、9月
難易度:いずれも■□□□(初級)

トップ画像:平舘灯台(左上)、安井埼灯台(右上)、陸奥黒埼灯台(左下)、白糠灯台(右下)

 

 多くの灯台は、岬の先端や島など、複雑な海岸線の場所に立っている。そのため、市街地からは離れていて、行くのに時間や手間がかかるのが一般的だ。

 ところが、比較的平らな海岸線に立っている灯台が4つ、青森県陸奥湾周辺にある。どれもクルマで容易に近くまで行ける。なぜそこに? 地図で想像がつくものもあるが、現地に行って納得するものもあった。

  

(国土地理院)

 

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平舘灯台:道の駅からすぐ着いてしまう

 平舘灯台(たいらだてとうだい、青森県外ヶ浜町)は、「道の駅たいらだて」のすぐそばにある。

 道の駅に車を止め、歩き出すと…。

 

 

 もう着いた。

 

 

 灯台の向こう側は海(陸奥湾)だ。パッと見た感じでは海岸線がまっすぐで、なぜここに灯台があるのかはよくわからない。

 

 

 海側から見た平舘灯台。塔高が割と高いが、それ以外とくに特徴がない感じ。

 

 

 現場でははっきりしないが、地図で灯台の場所を見ると、ある程度納得できるだろう。

 冒頭に挙げた陸奥湾の地図を再度見てほしい。津軽海峡から陸奥湾に入るちょうど入口なのだ。対岸の下北半島には大魚島灯台(およじまとうだい)があり、平舘灯台とのコンビで、陸奥湾入口の守衛を担う形になっている。

大魚島灯台については、次の記事で詳しく書いている。

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安井埼灯台:なにより風変わりな外観が目を惹く

 こんな形の灯台は日本でこれだけではないか? 安井埼灯台(やすいざきとうだい、青森県平内町)は、場所がどうこうよりも前に、形に目が行く。

 

 

 そこそこ幅のある四角い柱の形、上辺が西洋の城を思わせるデコボコ、窓がないこともあいまって「謎の組織が作った秘密施設」のような雰囲気を感じる。

 初点灯は1949(昭和24)年5月。終戦後に新時代の灯台の形の普及を模索したのだろうか。それともどこにもないような唯一無二の設計を狙ったのだろうか。

 

 そして、安井埼灯台のある場所も、ちょっと不思議だ。ここから南に小湊漁港が広がっているのだが、防波堤や岬の突端ではなく、少し内側に入ったところにあるのだ。

 

(国土地理院)

 

 小湊漁港から旧道(と思われる道)を北上していき、住宅が途切れたあたり、左の小高いところに…。

 

 

 急に安井埼灯台が現れるのだ。

 

 

 道路から灯台の敷地に続く階段を上る。やっぱりなんか「ほかと違う」感じがある。

 

 

 別方向から見てみる。やっぱりなんの建物かわからないよなあ。

 

 

 灯台を離れ、県道9号「夏泊ホタテライン」を北に向かうと、遠くから灯台が見える場所があった!

 

 

 なるほど。北(津軽海峡)から南下してきた船から見えるようになっているんだな。ただ、それなら岬の突端に建ててもよかったのでは、という気もするが。

 

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陸奥黒埼灯台:昭和20年1月初点、がカギかも

 もう一度、陸奥湾内にある灯台を見てみる。

 

 (国土地理院)

 

 平舘灯台を目印に、津軽海峡から陸奥湾に入ってきた船が、(青森湾ではなく)陸奥湾の右側(東側)に入るときは、陸奥弁天島灯台と陸奥大島灯台の間を通る。

陸奥弁天島灯台と陸奥大島灯台についてはこちらで紹介している。

 そしてさらに右上(北東)の大湊湾に行く際に、陸奥黒埼灯台(むつくろさきとうだい、青森県むつ市)が目印になる。ただ、この場所のはそれほど目立った岬ではなく、灯台が必要なのかな?という気がしないでもない。

 国道338号の近くなので、行くのも割とラクだ。国道からの一本道を少し行くと、広い畑の先、森の木々に隠れるように陸奥黒埼灯台が見えてくる。森の向こう側が海なのだが、海に灯光が届いているのか、ちょっと心配な感じだ。

 

 

 あぜ道を歩いていけば、あっさりと到着する。先人のブログでは、草が手入れされていなくて近づきにくい、とあったが、敷地周辺は最近草が刈られたようだ。

 

 

 この向こうに海があるのだが、その気配は感じられない。高さが木に負けそうになっているし、もう少し海側に建ててもよかったのではないだろうか。

 

 

 銘板を見たところ、初点灯は1945(昭和20)年1月。終戦間近という時期になぜ作ったんだろう。調べてみると、近くにある陸奥弁天島灯台も同じ1945(昭和20)年1月だった。

 実は、陸奥湾のさらに奥(大湊湾)、大湊には海軍の重要な根拠地があったのだ。たしかに大湊は非常に奥まった場所にあるので、軍港としては固い守りができる。この2つの灯台は、軍の艦船を安全に誘導するために、戦時中にもかかわらず建設されたのではないかと想像した。

白糠灯台:現地へ行ってわかる、その存在意義

 ここまでの3灯台とは違い、白糠灯台(しらぬかとうだい、青森県東通村)は陸奥湾ではなく、太平洋に面している。そして斧の形をした下北半島の柄の部分、とくに太平洋側は平らな海岸線が続いている。尻屋崎の近くには南北17kmという日本最大級の猿ヶ森砂丘もある。

 

(国土地理院)

 

 

 そういう地形のところにも、白糠灯台と陸奥塩釜灯台(むつしおがまとうだい、青森県三沢市)がある。ちょっと不思議だ。

 国道338号を白糠灯台に向かって北上すると、泊港を過ぎたあたりでバイパス(泊・白糠トンネル)と旧道に分かれる。旧道はこのあたりから緩やかな峠道になる。広域の地図ではわからないのだが、このあたりは小高い山が海岸まで迫っているのだ。

 その峠の後半で、白糠灯台が見えてくる。

 

 

 峠が終わり、白糠漁港が近づいたところに、白糠灯台への入口がある。案内標識などはないから、場所は事前によく調べておかないと見落とすと思う。

 

 

 細い道をちょっと走れば…。

 

 

 白糠灯台が目の前に姿を現す。

 

 

 端正な形の白い灯台が、青空の背景によって引き立っている。

 

 

 落ち着いてあたりを見回すと、この灯台は海に突き出した岩山に立っていることがわかる。

 

 

 左は白糠漁港だ(漁港は写真左の奥)。

 

 

 右はわりと険しい海岸線に波が打ち付けている。

 

 

 広域地図では平坦に見えた海岸線にも、実はこういう場所があったのだ。白糠灯台、現地に来てみればその存在意義がはっきりとわかった。

 前掲の地図にもう一つ、陸奥塩釜灯台というのがあるが、今回ここには回れなかった。こここそ、平坦な海岸線からちょっと離れた住宅街にあるように思える。それでも行ってみたら何か発見があるだろうか。

 

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