潮岬灯台と樫野埼灯台の探検度はゼロだが、歴史的観点から一応押さえておく

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年4月
どちらも探検度ゼロ

 

 潮岬灯台(しおのみさきとうだい、和歌山県串本町)と樫野埼灯台(かしのさきとうだい、和歌山県串本町)は、観光バスが来るようなところなのだが、どちらも歴史的・地理的に重要な灯台なので、取り上げることにした。

 1866年(慶応2年)、幕府はアメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ「江戸条約」で、8カ所の灯台を建設することを約束した(させられた)が、そのうちの2つが和歌山県串本町にある潮岬と樫野埼だ(ほかは観音埼、野島埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬)。

 潮岬灯台は木造灯台として、1873年(明治6年)9月に初(正式)点灯。1878年に現在の石造灯台に改築された。

 樫野埼灯台は日本最初の石造灯台として、1870年7月(明治3年6月)に初点灯。1954年(昭和29年)に改築された。

 どちらも、“日本の灯台の父”リチャード・ヘンリー・ブラントンが来日した最初期に設計したものだ。

 

 近い場所に2つも灯台が造られたのは、紀伊半島の南端、串本付近が海上航路の難所だったからだ。海流が速いうえに、このあたりは陸に近いところに険しい岩が多数ある。それでも関東と関西や九州を行き来する船はここを通らざるを得ないのだ。

 今回、灯台に行くために地理を調べて、地形を勘違いしていたことに気づいた。紀伊半島の南端が串本で、潮岬(しおのみさき)はその南にある大島の岬なんだと思っていた。

 子どものころ「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船~」という串本節を聞いた覚えがある。だから、潮岬は船で大島に行くんだ、と勘違いしても仕方ないのでは?

 

 実際には、南端の潮岬は串本市街と陸続き。(紀伊)大島はその東にあり、現在はくしもと大橋でつながっている。“仲をとりもつ巡航船”はもう廃止されている。

(国土地理院)

 ただ、地形図を見るとよくわかるが、潮岬がある場所と串本市街は砂州でつながっている感じだ。太古の昔には大島と同じように島だったこともあったのだろう。

 この地形を見れば、串本港や大島港は、悪天候を避けて船が寄港するのに適していることがわかる。いまのような大型船がない時代、串本はけっこうにぎわったのではないだろうか。

 気象情報でも「台風○号は潮岬の南西○○キロを北上中」とかよく聞くよね。なにせ本州最南端だからな。

 そして、潮岬の西端に潮岬灯台が、大島の東端に樫野埼灯台がある。西から来た船は潮岬灯台を、東から来た船は樫野埼灯台を見ると「ひと安心」と思ったに違いない。

 残りの串本トウジロ鼻灯台と苗我島灯台については別記事で書いた。

 戸島埼灯台は陸から近寄る方法がなく、到達した人がいなさそうなので、パス。

 

 さて、肝心の灯台までの道のりだが、探検度ゼロなので、それほど書くことがない。

 観光バスとかクルマとかがたくさん来ることもあるんだろう。潮岬にはだだっ広い駐車場がある。しかも有料(300円)だった。うーん、観光地。

 駐車場奥から歩道をあるけば、ほどなく潮岬灯台に着く。

 多くの人がいだく灯台のイメージに近いのでは。明治初期に造られたにしては、装飾が少なくシンプルだ。表面はなめらかで、表面がゴツゴツした多くの石造灯台とはちょっと違う。

 官舎(退息所)が残っているが、残念ながら中には入れない。海上保安庁の資材が置かれているそうだ。当時の室内を再現すれば、観光客は楽しめると思うんだけどな。

 

 次は「くしもと大橋」を通って、大島にある樫野埼灯台に向かう。

 広い駐車場(こっちは無料だ)からはりっぱな歩道ができていて、最初にあるのが串本町立トルコ記念館。その先にはトルコ絨緞やトルコアイスを売る店などがある。

 なぜトルコなのか。1890年(明治23年)にトルコの軍艦エルトゥールル号が樫野埼灯台付近で遭難し、大島や串本の人々が救助にあたったことがきっかけだ。経験のない外国船が荒天時にこんな場所を通ろうとしたわけで、遭難する可能性は高かったかもしれない。

 この先には「トルコ軍艦遭難慰霊碑」もある。

 

 10分ぐらい歩くと、樫野埼灯台が見えてきた。左にある騎馬像が灯台よりも目立っているが、これはケマル・アタチュルクの像。トルコ語表記をアラビア文字からアルファベットに変えるなど、現代トルコを作った“建国の父”だが、日本ではあまり知られていないよね。

 

 そして樫野埼灯台に到着。灯籠が大きいな。外側のらせん階段からバルコニーに行けるようになっている(このときは強風で閉鎖されていたけど)。

 なめらかに削られた石は潮岬灯台と同様だが、灯塔の真ん中が、昭和の改築の際にコンクリートで継ぎ足されたようだ。個人的に期待する「明治初期の灯台」とはちょっと違うな。

 ただ、敷地の外を海側に回ると、半円形の付属舎の円形部分が見られる。そうそう、この石積みの感じが“明治”っぽい。

 ここも官舎が残っている。潮岬灯台と違って内部を見学できるのだが、この日は休みだった(水曜、木曜が休館)。残念。

 

(国土地理院)

 

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