大久野島灯台を見るなら、うさぎ島よりも四国村で

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2023年11月
難易度:■■□□(初級)

 

 大久野島はなかなか複雑な歴史を持っている。明治時代に大日本帝国陸軍が作った砲台、第2次世界大戦までの昭和時代の毒ガス製造施設、進駐軍/アメリカ軍の接収、昭和後期の国民休暇村の整備など。そしていまは、島内に1000羽近いうさぎがいる「うさぎの島」として、観光客でにぎわっている。

 ということで、子ども連れ家族や外国人観光客に交じって、大久野島灯台(おおくのしま/おおくのじまとうだい、広島県竹原市)を見に行った。実は大久野島灯台自体も、ちょっと珍しい経緯をたどっているのだ。

 

 初点灯は1894(明治27)年5月。次の地図にある高根島灯台、小佐木島灯台、大浜埼灯台と同じ年だ。今治と大島(ともに愛媛県今治市)の間の来島海峡が難所のため、こっち側を迂回ルートとして利用しようとしたのだ。その詳しい説明は大浜埼灯台の記事に書いてあるほか、そのほかの矢印のある灯台は、別の記事で紹介する(記事末にリンク)。

(国土地理院)

 

 大久野島へは本州側の忠海(ただのうみ)港と、大三島の盛(さかり)港を結ぶフェリーで行く。土休日には三原港からの直行便もある。

 もうすぐフェリーが大久野島第二桟橋に着く。大久野島から帰るために乗船を待つ人の長い列ができている。

 休暇村の送迎バスが待っているが、多くの人は歩いていく。目的はもちろんうさぎだ。まだ先はあるのに、早くもうさぎを見つけて構い始める人たちも多い。

 観光客慣れしているうさぎは、人を気にせず悠々とすごしている。

 

 桟橋から5分ぐらい歩くと、もう灯台が見えてくる。写真右端は、三原からの船が着く第一桟橋。

 人工物を外してトリミングしてみれば、割とさまになっている。

 きれいに整備された海岸を歩いていくと、灯台は次第に見えなくなっていく。

 その先にある小さな砂浜(海水浴場になっている)から、来た道を振り返った。大きな鉄塔は、本州から大久野島と大三島への送電線を支えるためのもの。高い。

 

 この海水浴場の突き当たりに、灯台への上り口がある。

 そして数十段の階段を上れば…。

 大久野島灯台に到着だ。手前にかなり広いスペースがある。

 

 残念なことに、「がけくずれのおそれがあります」で近づくことができない。

 崖崩れがどんな感じかを見たいのだが、桟橋とは反対側の崖はこれぐらいしか見えない。

 ということで、古い写真を見てみよう。逓信省航路標識管理所が1904年に発行した「燈台要覧」に掲載されたものだ。今と違って木がほとんどないので地形がよく見える。おそらく写真中央またはやや左寄りのあたりが崩れかけているのだろう。一般の人にとっては、灯台が現状ぐらいの場所から見えていればいいだろう、ということで、今後崖崩れは補修されないかもしれない。

(逓信省航路標識管理所, Public domain, ウィキメディア・コモンズ)

 左には退息所(灯台職員の宿舎など)と思われる2つの建物が見える。現在、灯台手前の広いスペースになっているところに建っていたのだろう。

 肉眼ではわかりにくいのだが、ズームしてみると、灯塔は石造りっぽいが実はコンクリートであることがわかる。

 今見ているこの灯台は、1894(明治27)年に建てられた当時のものでなく、1992(平成4)年に改修された“2代目”なのだ。

 

 というわけで、現在の大久野島灯台は“難易度:入門”のありきたりな灯台でしかない。灯台クエストの本編は、実はこれから始まる、“初代大久野島灯台”を見に行く話なのだ。

 その“初代”は現存している。もちろん灯台として機能しているわけではないが。

 場所は33棟の建物を移築復元した野外博物館の四国村ミウゼアム(香川県高松市)。ここには、クダコ島灯台、鍋島灯台、江埼灯台という3つの灯台の退息所も保存されている。

 

 四国村は屋島の南側斜面にあり、行くには高松琴平電鉄志度線の琴電屋島で降りる。

 ここから歩いて10分弱で、エントランス(入村料を払う)に着くのだが、大変なのは村内に入ってからだ。1つの灯台と3つの退息所が保存されているエリアまでは、急な坂を10分ぐらい上らないといけない。これがきつい。

 上り終えた景色がこれだ。下に見える街中からこれだけの高さを上ってきたことになる。

 そして、初代大久野島灯台に対面だ。やっぱり明治の石造りの灯台はカッコイイ。

 海側はうまく撮れる場所がない。

 海を見る縦長の窓の内側や、中の階段などもよく見える(残念ながら上れないが)。

 外壁、内壁、階段など、いずれもきれいに塗装されている。さすがに施設内にあるだけのことはある。

 では初代と2代目を見比べてみよう。

 下が少し広がる灯塔、という点は似ているが、入口の形や銘板の位置は違う。上の灯籠の形状などはだいぶ異なっている。「同じ形を再現した」というわけではないようだ。

 ただ、昭和以降の改築では、コンクリートまたはFRP(繊維強化プラスチック)製で単純な円筒形になってしまうことがほとんどだ。多少なりとも「明治時代の灯台」の雰囲気を持たせたデザインにしたのは、現在大久野島が“観光地”であることを考慮したのではないか。

 

 初代も2代目も、多くの人の目に触れるようになっている大久野島灯台。こういう境遇になることも、なかなか珍しくおもしろいものだと思う。 

 三原近辺のほかの灯台記事はこちら。

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