細長い半島をひたすら「西へ…」で、ようやくたどり着く佐田岬灯台

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年10月
難易度:■■□□(初級)

 クルマも歩きもとにかく「西へ西へ」、それでようやく四国最西端の佐田岬灯台(さだみさきとうだい、愛媛県伊方町)に到達できる。

「灯台クエスト」は、クルマをとめたところから書くことが多いが、今回はその手前から始めよう。地図でわかるとおり、佐田岬は四国から九州に向かって伸びる、非常に細長い半島だ。

(国土地理院)

 八幡浜市の中心街から北西寄りに、国道197号と国道378号の分岐がある。ここから佐田岬の駐車場まではほぼ一本道だ。約48kmあり、約1時間走りっぱなしなので、途中で運転に飽きてくる。

 とはいえ、三崎港までの国道197号は片道1車線、道の駅などもあり、走るのは比較的楽だ。この道は昭和の最後ごろに完成したようで、それまではかなり険しい道で「イクナ(197)国道」とも呼ばれていたという。この地形を考えると、もっともだと思える。

 運転しながらだとゆっくり見ることはできないが、ときどき海がだいぶ低い場所にあることが視界の片隅に入ってくる。30分ほどで、九州(大分県大分市佐賀関港)へのフェリーが出ている三崎港に着く。国道197号は佐賀関港から大分市街地まで続いていて、このフェリーも国道の扱い(海上国道)なのだ。

 三崎から先、県道256号に入るとだんだん急なカーブが増え、センターラインがないところも出てくる。そして佐田岬漁港を過ぎた残り3kmあたりからは対向車とすれ違うのが難しくなる。カーブもキツイのであまりスピードが出せない。「まだか?」という気持ちだけがぐるぐる回り続ける。

 

 駐車場に着いたときは、すでにひと仕事やり終えたような気分だった。案外広く、観光客と思われるクルマも何台かとまっている。これだけの道のりを来る人がいるんだなー、と自分のことはさておいて感心する。

 いや、安心している場合ではない。ここからさらに遊歩道を歩かなければいけないのだ。遊歩道の入口には、しっかりした案内図がある。道の傾斜度ごとに色を変えるという親切さだ。

 では行こう。竹の杖の貸し出しもある。どうしようか迷うぐらいの人は借りた方がいいと思う。

 歩き始めは傾斜も緩やかでいい感じ。灯台までずっとコンクリート舗装なので、足元も心配ない。

 と、安心するのもつかの間、つづら折りの下り坂になる。帰りはここをのぼるのかあ。

 

 その先に鞍部があり、左右に海岸におりていく道がある。

 左の海はこんな感じ。

 右には山をくり抜いて作られた施設がある。戦時中の軍司令部跡だ。海峡を挟む土地にはいろいろと軍施設の跡がある。近年トイレとして使われていたこともあるようで、分岐点にはそのような案内板もあるが、現在は使われていない(トイレは灯台下にある)。

 灯台へはあとひと山越えなければならない。おそらくあの電柱のあるあたりを通ることになるんだろう。

 

 と、予想したとおり、かなり急なつづら折りの上り坂だった。

 なんとかのぼり切ると、少し平坦な場所になる。ここは急峻な崖をL字型に掘ったことがはっきりわかる。それでも、防護ネットと手すりでしっかり対策されている。整備がすごくいきとどいている感じだ。

 

 椿山展望台への分かれ道。まずそっちに行ってみよう。

 ここにもきちんとした案内図がある。遊歩道入口のものよりも、岬の先端部分が詳細に描かれている。

 案内図からもわかるように、展望台に寄らずに灯台へ直行する道はやや傾斜が緩い。一方展望台にのぼる道はまたこんな感じだ。

 しばらくすると展望台を周回する道に出会う。19世紀後半に軍がサーチライトを載せた車両を周回させるために作ったという。

 展望台へは階段をあがっていく。もう少しだ。

 展望台から佐田岬灯台が見えた。その先は佐田岬と大分県佐賀関の間にある豊予海峡(速吸の瀬戸)、そして対岸の大分県だ。

 実は、これ以上灯台に近づくと、「九州を背にした灯台」という風景は写真に撮れない。灯台と九州を一緒に見たければ、この椿山展望台に来る必要があるだろう。

 

 周回路の反対側から階段をおりて灯台に向かう。のぼりよりも急なので、もし椿山展望台に寄るなら帰りより行きの方がのぼりがラクかもしれない。

 そして灯台の敷地に着いた。正面が灯台への階段、右の空き地がおそらく退息所(官舎)跡、画像が暗くてよくわからないが、右の門柱の上に見える茶色の建物がトイレ(いろいろ移転したが現在の場所はここ)。

 階段をのぼれば、佐田岬灯台に到着。椿山展望台を経由しなければ、駐車場から30分弱ぐらいだろう。

 なのだが、敷地が狭く、灯台の姿を写すことがほとんどできない。

 佐田岬灯台の初点灯は1918年(大正7年)4月。六角形の灯塔、複雑なバルコニーの装飾、持ち送り(バルコニーを支える構造物)のデザインなど、古い時代の作りのていねいさが見て取れる。

 

 灯台の写真をあきらめ、敷地から西を見ると、豊予海峡(速吸の瀬戸)とその先の九州が見える。佐田岬半島がいかに長細く九州に向かって突き出ているかがわかる。

 一番近くの陸地は高島だろうか。とすれば、その手前にあるアシカ島の海獺婆灯台(あしかばえとうだい)も見えるかもしれない。この日は天気が今ひとつだったので写真では見分けられないが…。

 右に目をやると、堤防でつながった御籠島(みかごじま)が見える。つまり、正確に言えば人の行ける四国最西端は、この御籠島なのだ。

 写真の左端に写っているのは、灯台を見るための御籠島展望所だ。その展望所から見る灯台の景色もなかなかいい。灯台の左下にある2つの穴は、砲台の跡だ。

 椿山展望台や御籠島展望所にも寄るなら、駐車場からの往復は1時間半を見ておくのがいいだろう。

 と、鳥の群れが飛んでいるのに気がついた。

 大きな望遠レンズを付けたカメラを設置していた人によると、越冬のため九州に向かうムクドリの群れだそうだ。一度九州に向かったが、途中でハヤブサに襲われ、戻ってきたという。ここが九州との距離が一番短いということを鳥もわかっているんだな。

 灯台から東方向、つまりこれから再び走破しなければならない佐田岬半島を見る。

 来るのにだいぶ時間がかかったが、遊歩道などの整備はきちんとされていて、危ない場所はほとんどない。椿山展望台では落ち葉の掃除をしている女性にも出会った。観光地という観点では(遠いことを除けば)なかなかいい場所だ。

 

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