和田山駅のレンガ機関庫と給水塔

 

 

 

文明開化の幕開けとともに、日本の鉄道は黎明期を迎え大きな躍進を遂げて行った。日本全国に着々と鉄道網が広がっていく中、多くの蒸気機関車が線路を駆け抜けていった。

山陰本線の和田山駅(兵庫県朝来市)が開業したのは1906年(明治39年)4月。時を同じくして播但(ばんたん)線の終着駅となり、2線の合流点となった和田山は、蒸気機関車の拠点としての役割も担うことになる。

1912年(明治45年)には、レンガ造りの機関庫が建設された。当時、レンガ造りの機関庫がいくつ造られたか定かではないが、100年以上経った今、現存するのはごくわずかだ。

和田山駅の北側に今も残るレンガ機関庫は、その数少ない土木遺産の一つである。

 

  

  

機関庫の役目を終えたあとは

豊岡機関区和田山支区のレンガ機関庫は、1991年(平成3年)に機関庫としての役目を終える。その後は倉庫として利用されていたらしいが、現在は朽ちるにまかせた状態となっている。

次の写真は2015年に撮影されたもの。撮影数年前には切妻の屋根も撤去され鉄骨がむき出しになっているが、窓などは大きく破損したところはないように見える。

 

左端にある白い円筒形の建物は給水塔
Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons

 

そして、下にある今月(2023年4月)撮影した写真と比べてみると、窓の破損など崩壊が進んでいるように見える。

 

和田山駅1番線ホームに停車中の列車内から撮影

 

窓には内側から板が張られている

 

東側の出入り口にはフェンスが設置されていた

 

すぐ南側には円山川(まるやまがわ)が流れており、機関庫と川の間には住宅が近接して建ち並ぶ。このまま放置してよい場所でもないと思われるので、いずれ解体ということになってしまう可能性が高い。

過去には、糸魚川駅(新潟県糸魚川市)のレンガ車庫は解体され、妻側の部分だけをモニュメントに残すという事例もあった。が、この貴重な土木遺産を、できればこのままの姿で安全に保全することができないだろうか。もちろん、多大な費用がかかるのも大きな課題なのだろうけれど。

 

 

 

 

給水塔にもレンガが!

 

実は、先のレンガ機関庫と同じくらいお宝感を感じたのが、機関庫の西側にある給水塔だ。

機関庫と同時期に設置されたのか、時期ははっきりしないが、かなり古いものと考えられる。当初、こうした設備をよく知らなかったので、二段構造の水槽だと思っていた。

ところが、1971年(昭和46年)頃に撮影された給水塔の写真を見ると(個人の方のブログに掲載されていた。資料として大変ありがたいことです)、給水塔の下段の部分がレンガ造りであることがわかった。

ということは、下段はかさ上げのための台で、上段が水槽なのだな・・と思っていたところ、さらに別の方のブログ写真で下段内部は空洞でちょっとした休憩室のような感じになっていることが判明。

そういえば、上の写真でも下段の東側と西側に入口のようなものがついている!

 

全体の大きさは違うが、JR中央本線の日野春駅(山梨県北杜市)に、下段がレンガ造りの構造を持つ古い給水塔がある。

 

中央が給水塔。左のやぐらにあるのは、鉄道職員用の貯水槽だ
Kouchiumi, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 

日野春駅は急勾配の途中にあるため、蒸気機関車への給水用に設置されたものだ。

 

 

和田山駅の給水塔は、いつ補修されたのか確認できなかったが、下段のレンガも含め、全体をあらたに塗り固めて現在のような姿になっている。

レンガ機関庫と同様に、この給水塔も鉄道史を語る土木遺産なのである。

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