春になると湖面から姿をみせる 曽木発電所遺構

 

 

 

 

鹿児島県の北部、伊佐市を流れる川内川の上流に、見え隠れを繰り返す不思議な建物がある。秋から春にかけて水中に沈み、春をすぎればその姿を現す。どこか西洋的な雰囲気を醸すレンガ造りのその建物は、かつて近隣地域に電力を提供した曽木第二発電所の遺構である。

 

 

 

 

 

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ダムの貯水位で姿を変える

鶴田ダム管理所サイトより転載

 

近代工業の発展に大きく貢献した曽木第二発電所だが、その役目を終えたのは1965年(昭和40年)のこと。1954年(昭和29年)8月の豪雨による川内川の大洪水により鶴田ダム建設が計画され、その結果、発電所はダム湖に沈むことになったのだ。

 

ダムを造ることで、居住地や先に造られていた土木構造物が湖底に沈むというのは珍しい話ではない。ただ、歴史的構造物が、四季のうつろいに応じて現れたり隠れたりするのは、そうはない。

上のグラフは、鶴田ダムの貯水位がどの位置になれば、発電所の姿が現れるかを示したもの。平成28年から令和3年までの平均貯水値をグラフ化しているので、時期による発電所の沈み具合がわかるのだ。

とはいえ、冒頭の写真は6月に撮影されたもので、グラフによれば全体像が見えていておかしくない時期だが、2/3は沈んでしまっている。このあたりは自然の気象状況にもよるので、あくまでも参考程度と考えた方がいい。

 

鶴田ダム管理所の曽木発電所遺構のページには、季節ごとの発電所の写真が掲載されている。こういうのをみると、同県でないまでも同じ九州にすんでいたら、季節ごとに足を運ぶのになぁと関東居住の自分が少しうらめしくなる。

仕方ないので、ストリートビューをみて少しでも行った気分を味わってみる。

 

 

 

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はじまりは「曽木の滝」

高さ12m、幅210mの曽木の滝。滝の上部に見えるのは旧曽木大橋 2008年時
撮影:河川一等兵, Public domain, via Wikimedia Commons

 

曽木の滝は、第二発電所から上流に1.5kmほどのところにあり、東洋のナイアガラとも呼ばれる景勝地だ。

余談になるが、上の写真で写っている旧曽木大橋は解体されてすでに存在しない。もともと老朽化ということもあったが、滝を鑑賞するうえで橋の存在がじゃまになるという意見もあった。このため新しい曽木大橋は滝の下流に架けられ、新しい橋からじゃまものなく滝を眺められるようになったという。

 

さて、話は100年以上前にさかのぼる。1906年(明治39年)、近隣にあった牛尾金山では採掘による地下水の出水が著しく、排水のための電力が必要だった。このとき近くにある曽木の滝で電気が作れないかという話が持ち上がる。滝の落差を利用した水力発電だ。

1907年(明治40年)に建てられた曽木第一発電所の出力は800kW。金山だけでなく周辺地域への電力供給も行った。

さらに下流に第二発電所を建てる計画の最中、1909年(明治42年)9月に豪雨による川内川の大洪水で、なんと第一発電所は倒壊してしまう。そうした被災を乗り越え、翌年の1910年(明治43年)に第二発電所は完成した。

 

 

曽木発電所遺構 2018年9月撮影 伊佐市HPより

 

発電所の中には水車と発電機がセットで4台設置されていた。水車はフォイト社製、発電機はシーメンス社製で、どちらもドイツの製品だった。1台の出力は1590kWで、合計6360kW。第一発電所のおよそ8倍の、当時国内最大級の発電量だった。

上の写真は渇水期の9月に遺構全体が姿を現したものだが、おそらく2階建ての高さの右側が発電機棟で、左側の3階建てが事務棟と思われる。遠目の写真からでは判別しようもないが、文化遺産オンラインに記載されていた情報によれば外壁のレンガはイギリス積みとのこと。この時代のレンガ構造物に特徴的な積み方の一つである。

 

 

数々の苦難を乗り越え、今は静かに湖にたゆたう発電所遺構だが、さらなる悲劇が襲い掛かる。 

記憶に新しい令和3年7月豪雨災害で、発電所の一部が倒壊してしまったのだ(下の写真)。

こうやって壊れ始めてしまうと、遺構はもろい。なんとかこれ以上壊れないことを祈るばかりである。

 

2021年(令和3年)7月 撮影 伊佐市HPより

 

※参考資料

株式会社工営エナジー 新曽木発電所 水力発電ものがたり 

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