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到達:2022年10月
難易度:■■□□(初級)
地味な灯台に行くときは、やはり事前準備が大事。それを旧福浦灯台に行って実感した。
今回、灯台に到達するまでにちょっと迷ってしまったのだが、要因は主に3つある。
・福浦港の形がややこしい
・旧福浦灯台と福浦灯台が別の場所にある
・旧福浦灯台と駐車場が少し離れている
「ここだろう」と思ったところに灯台はなかった
江戸時代から明治時代にかけて、北前船が寄港した能登半島の町、と言えば輪島が思い浮かぶと思うが、実は福浦(ふくら、石川県志賀町)もかなり発展した港だったようだ。そのとき、船を安全に港に入れるように誘導したのが旧福浦灯台だ。
今回、旧福浦(きゅうふくら)灯台に行ったのは、近く(巌門という景勝地)にいて、しかも時間が少しあったので、「ちょっと寄ってみよう」とその場で思い立ったからだ。
だが「ここだろう」と見当をつけてたどり着いたところに旧福浦灯台はなかった。小高い場所に祠があり、そこに登って見渡すと、眼下の海岸とその反対側に灯台の小型版のようなものが2つ立っていた。
あとで調べたところ、この2つは「福浦港導灯(前灯)」「(後灯)」というものだった(1950年点灯)。導灯とは、低い前灯と高い後灯の2つが縦に並んで見えるように船を進めれば、安全に港に入れる、というものだ。知らなかった。
ここは、次の地図上部の「福浦港導灯(前灯)」のマークがある場所だったのだ。
地図をざっと見て「港の南側に行けばいい」と考えたのだが、福浦の入江は2つあって、北側の入江を“福浦港”だと勘違いしていたのが原因だった。
ところが、Googleマップで現在地と「福浦灯台」をその場で調べるとさらにわけがわからなくなった。福浦灯台がすごく離れた場所に表示されているのはなぜ?
旧福浦灯台とは別に福浦灯台がある
やっと判明したのは、旧福浦灯台は福浦港を挟んで福浦港導灯の反対側にあり、福浦灯台はもっとずっと南(地図の左下)にある、ということだった。旧福浦灯台とは別に(新)福浦灯台が違う場所にある、ということを知らなかったのが敗因。
だが、どの道を行くと旧福浦灯台にたどり着くかがまだはっきりしない。ネット記事などを調べて「少し離れたところに旧福浦灯台駐車場がある」ことがようやくわかった。カーナビの目的地は「旧福浦灯台駐車場」に設定するのが一番よさそうだな。
旧福浦灯台を含む福浦港のあたりは日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に含まれていて、ところどころに案内板もある。ただ、道路の目立つところにいくつもある、というわけではないから、それだけを頼りにするわけにはいかないだろう。
要は「事前によく調べてから行け」ってことだ。
駐車場から灯台までは500mぐらい、歩いて10分ほどだ。案内板を確認し、住宅街を抜けて海岸の方に向かう。
海岸近くのつきあたりを右へ行くと旧福浦灯台、左へ行くと「腰巻地蔵」と「極楽坂」がある。実は腰巻地蔵のすぐ隣に(新)福浦灯台があるのだが、福浦灯台はどうも“観光するもの”とは捉えられていないようで、どこにも案内がない。もしあなたが福浦灯台に行く場合は「腰巻地蔵」の案内に従えばいい。
2年後に、(新)福浦灯台に行ったときの話はこちら。
あと120m。このへんまで来るとやけに案内が親切だ。
見えた。
もう少し。
到着。見晴らしがいい。写真右手奥が福浦港、左に見えるのはおそらく防波堤。サインのローマ字が「FUKURA」ではなく「FUKUURA」になっているな。
なかなかりっぱなたたずまいだ。ただ、この形状は個人的にはあまりときめかない(なので当初来るつもりがなかった)。
福浦港の付近は露出している岩が多く、灯台の必要性が高かったことをうかがわせる。
「日本最古の(西洋式)木造灯台」は本当か
旧福浦灯台のウリは「日本最古の(西洋式)木造灯台」。本当だろうか。
「日本最古」「日本で最初」をうたう灯台はいろいろあるので、どういう種類の中でなのか、「現存する」とか「当初の場所に現存する」なのか、修飾語をよく確認しないといけない。さらに、案内板、パンフレット、ネット記事などはだいたいどこかからの引き写しで、根拠がはっきりしないことが多い。根拠となる資料がなにかも重要だ。
というわけで、いくつかある福浦灯台の資料から、矛盾のないものを抜き出すと以下のようになる。
1608年(慶長13年) | 福浦在住の船持ち日野長兵衛が、港の入口の岩頭でかがり火を焚く |
1690年前後(元禄年間) | 同じ場所に灯明堂を建設。日野家は代々灯明役を担う |
1876年(明治9年) | 日野吉三郎が灯明堂の形態を残した木造の灯明台を建設 |
1905年(明治38年) | 日野家から管理を受け継いだ福浦村が灯台を再建 |
1952年(昭和27年) | 別の場所に福浦灯台を建設し、旧福浦灯台の使用を終了 |
1984年(昭和59年) | 福浦灯台を建て替え |
「日本最古の(西洋式)木造灯台」というのは、1876年の灯明台建設を指しているようだ。灯明堂や灯明台がどのようなものかがわからないが、現存するものとほぼ同じ形のものになったのが1876年、という解釈らしい。
海上保安本部のWebページには、(新しい)福浦灯台の点灯開始を「1905年3月18日」としているものがあるが、これは1952年(昭和27年)にした方がいいのではないかと思う。
ちなみに「日本最古の西洋式灯台」は、1869年(明治2年)に点灯した、レンガ造りの観音埼灯台(神奈川県横須賀市)だ。旧福浦灯台より早い。
旧福浦灯台が「最古」と主張する根拠(文献など)は示されていないが、ほかに主張しているところはなさそうだ……と思ったら、あった。
同じように「日本最古の(西洋式)木造灯台」をうたっているのが、旧堺燈台(大阪府堺市)。こちらの建設は1877年(明治10年)なので、旧福浦灯台の1年あとだ。
堺市のWebページでは、「現地に現存する洋式木造燈台としては、わが国で最も古いものの一つとして」と書いてある。Wikipediaの記述は「現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして、国の史跡に指定されている」。
どちらも「のひとつ」とあるので、矛盾はない。ところがこの「のひとつ」を読み飛ばす人も多いようで、「明治10年建築のわが国最古の木造洋式燈台」「当初の場所に現存する日本最古の木造洋式燈台です」のような記述をしている(公式サイトの)Webページがいくつかある。
参考になるのが、個人ブログ「旅のホームページ」にある「灯台用語集」のページだ。これによると古い木造灯台として次のものが挙げられている。
今津灯台(兵庫県西宮市) | 1810年(文化7年) |
旧安乗埼灯台(旧三重県阿児町) | 1873年(明治6年) |
旧福浦灯台(旧石川県富来町) | 1876年(明治9年) |
旧堺灯台(大阪府堺市) | 1877年(明治10年) |
今津灯台は、現在も現役の航路標識として使われている民営の灯台で、「灯明台(和式灯台)」と呼ばれたりしている。今回、和式と洋式(西洋式)がどう違うかは踏み込まないでおく。2023年以降、港湾工事のため移築される予定のようだ。
旧安乗埼(あのりさき)灯台は、1948年(昭和23年)に鉄筋コンクリート造りに建て替えられ、その後船の科学館(東京都品川区)に移築復元されている。
とすると旧福浦灯台は「当初の場所に現存する、日本最古の西洋式木造灯台」である可能性が高い、と言えるだろう。理由はわからないが、別の場所に(新)福浦灯台が建てられたことで、地図上の紛らわしさを生んだ一方、「当初の場所に現存する日本最古」という称号を得ることができたのだ。