「かようための橋」ではない! 鮮やかな朱色の通橋(かようはし)

 

 

 

 

東京では桜もすっかり散った4月半ば過ぎ、長野県北安曇郡の白馬村は遅い春を迎えようとしていた。

JR大糸線の信濃森上(しなのもりうえ)駅から北東に約1.5km、姫川と大糸線が交差する場所に第一姫川橋梁がある。1935年(昭和10年)に架けられた古い鉄道橋だ。

 

 

 

 

第一姫川橋梁のすぐ南側に、再塗装されて眩しいほど鮮やかな朱色がかった赤い橋がある。姫川第二ダムのすぐ下流に架けられた「通橋」だ。

 

 

 

 

 

 

橋の左岸にある親柱をみたとき、最初は「とおるばし?」と読むのかと思った。ちょっと珍しい名前だなと。

 

 

左手下流側に姫川第一橋梁が、右手に姫川第二ダムがある

 

 

「通」とかいて「かよう」と読む。

この橋を渡った先には、白馬連峰を望む美しい棚田で有名な青鬼集落がある。橋の名前は、そこに「通う」ために名付けられたものかと最初は思った。

 

 

しかし、国土地理院の地図をみてみると、「通(かよう)」という地区があることを発見!
どうやら通橋は、この地区の名前にちなんだもののようだ。

 

国土地理院地図より

 

 

下のストリートビューは通橋から北上して、そのまま北方向に通集落へ続く道と、ヘアピンカーブして青鬼集落へ続く道との分岐点だ。 

 

 

 

また次の画像は、JR大糸線の線路近くから、通集落方向を撮影したものだ。ストリートビューに写っていた白い壁の倉庫や茶色い壁の家屋が写っている。

 

中央にある茶色い壁の家屋の奥にある家々が通集落

 

 

 

調べてみると、白馬村には行政区という区割りがある。一般的に行政区といえば、全国にある政令指定都市の「区」を思い浮かべるが、白馬村のように住民自治組織を行政区と呼ぶこともある。

令和4年8月1日時点での白馬村の人口は8424人で、3979の世帯がある。

現在は30の行政区で構成されており、集落同士、集落内で助け合いながら日常の暮らしを支えている。

 

区割り図No.17が、通区だ   白馬村行政区区割り図より

例えば、通区の令和3年度の主な年間行事は以下の通り。

・1月 初集会、おんべ
・4月 春祭り・花見の会(親睦)
・9月 村民運動会参加、秋祭り
・11 月 温泉の会(親睦)

 

白馬村のそれぞれの行政区には、都会から失われてしまった古き時代の密な地域のつきあいが今もある。

自分自身がそうした場に居住して溶け込めるかどうかは別として、こうした集落の存在がなくならないでほしいなと、無責任な外野の立場から思うのだった。

 

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