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仙台と山形をむすぶJR仙山線が全線開通したのは1937年(昭和12年)のこと。このとき大半の区間は非電化であったが、山寺から作並までの区間は当初から直流電化された(図1)。
1893年(明治26年)に開通した横川から軽井沢を運行する碓氷線(信越本線)では、連続するトンネルによる蒸気機関車の煤煙が乗務員に深刻な健康被害をもたらした。仙山線においても約5kmにおよぶ仙山トンネル内の煤煙問題を避けるため、当初から仙山トンネルを含む山寺と作並の区間が電化されたのである。
奥新川(おくにっかわ)変電所は、同区間に直流電源を供給するため建設されたもので、東北地方において初めての直流変電所となった。
すでに役目を終えて久しい奥新川直流変電所は、貴重な土木遺構として姿を変えつつも保存されている。紅葉深まる晩秋、仙山線の線路沿いにひっそりとたたずむ奥新川直流変電所の跡地を訪問した。
目的地へのルートを確認
奥新川直流変電所跡は、仙山線奥新川駅から直線距離で700mほど。実際に訪問した方の記録を読むと、一本道で迷うこともなさそうだ。ただ事前にGoogleマップの地図や航空写真をみても、実際のルートが確認できない。未知の場所に行くとき、事前にルートがはっきりわからないというのは、どうも不安になる。
変電所跡に続いていると思われる道は、すぐわかる。おそらく私と同じ目的ではないかと思われる青年も何か入念にチェックをしていた。
注意事項が書かれた看板の下に周辺のマップがある。
実は上のマップ地図Bは、訪問する前にネットにあるものを見ていたのだが、今一つ正確に把握ができなかった。実際に歩いてみて、変電所跡は二の沢と三の沢の間にあることがわかった。
地図Cは3Dにして、地形をわかりやすくするため少し地図の向きを回転している。こうしてみると、●ノ沢と呼ばれている谷筋がわかってくる。
遊歩道と思っていたのは
遊歩道はまっすぐ伸びている。勾配もほぼなくとても歩きやすい。落葉を踏みしめながら歩いて行くと、突然前方にバトルアックスのようなものを持った人影が見えて、けっこうビビる。
近づいてみれば、電動草刈り機を担いだ作業員の方だった。ごめんなさい、ジェイソンに遭遇したのかと思ったよ。
少し開けた場所にでる。遊歩道は、一ノ沢付近で仙山線と交差するのだが、その近くまで来たということだろう。
ちなみに今歩いている遊歩道だが、車の往来は可能だと思うが(ぬかるんでいるところで轍の跡があった)、それほど往来があるとも思えない。そのわりに、やけに道がしっかりしている。踏み固められているというか。
実はこれは訪問後に知ったことなのだが、この道はかつて存在した森林鉄道の線路跡なのだ。廃墟検索地図さんに掲載されている情報によると、新川森林鉄道は仙山線が全線開通する直前の1936年(昭和11年)に開業したようだ。総延長は5.1kmで、切り出した材木を運び、奥新川駅で貨物車に積み替えていたのではないかと思う。
その後、新川森林鉄道は1960年(昭和35年)に廃止となり、同じタイミングで奥新川駅の貨物の扱いも終了している。
60年前まで、この道に列車が走っていたと思うと、また感慨もひとしおである。
訪問した日は、作業員の方々のほか、お子さんや女性など数人のグループともすれ違う。こんな場所ではかなり珍しい。
仙山線の下をくぐる。正確な高さはわからないが、この下を森林鉄道が通ったのなら、鉄道車両は小ぶりのものだったんだろうな。
仙山線の下をくぐると、道はヘアピンカーブ(っていうのかな)で再び仙山線の下をくぐる。実際に歩いているときは単なる遊歩道と思っていたので何とも思わなかったが、ここに森林鉄道の線路があったというなら話は別。こんな急カーブ、よく回れたものだなとちょっと不思議な気がする。
ヘアピンカーブの一ノ沢周辺の道は、非常に湿気が多く歩きにくい。
再び、仙山線に沿って道は続いていく。たいした距離ではないのだが、初めての道なのでずいぶん歩いている気になってくる。変電所はまだなのか。
道の左手に奥新川神社が見えてくる。以前はこの周囲にも集落があったようだが、今は昔といった様子。ただ神社周辺はこざっぱりとしていて、定期的に手入れがなされている感じだった。
神社までくれば、変電所はあと少しである。
さらに数分歩く。
やっと変電所の土台らしきコンクリートが見えてきた。到着である。
仙山線の歴史を物語る土木遺構
直流電化区間への電力供給で貢献した奥新川直流変電所だが、仙山線全線が交流電化に切り替わった1968年(昭和43)にその役目を終えた。建物は長い間、荒廃するにまかせていたが、2008年(平成20年)、骨組みを残し外壁などは撤去。新しく敷地内に建設された資料館に、交流を直流に変換する回転変流機などの設備の一部が保存されることになった。
外壁がある時代の変電所も見てはみたかったが、骨組みだけというのも、なかなか味がある。
よくよく近づいてみると、骨組みは線路のレールで組まれていることがわかる。他の方の訪問記の中で、レールの一部に海外製品の刻印のようなものが散見されたとのことで、事前に知っていたら確認できたのに・・とすごく残念だ。日本の鉄道史がこの建物の中に組み込まれ、今も私たちにその歴史を教えてくれているのだ。
資料館は施錠されているので、中に入ることはできなかった。内部を撮影したが、かなり映り込みがあり、見づらいものになってしまった。
ちなみに、上の写真は仙山線から撮影したものだ。変電所が仙山線に近接した場所にあったことがわかる。
遊歩道にもどり、一段高い場所にある変電所跡を見上げる。奥新川の秋もまもなく終わる。
遊歩道はまだ続いていくようだが、ここで今回の探検ウォークはおしまいだ。美しい紅葉を見ながら、のんびりと熊鈴を鳴らしながら奥新川駅まで引き返すことにしよう。