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ダムを見に行きたいなぁ。なおかつ、バスとか使わず駅から歩いて行けるダム。さらに言うと、ダムの近くにいい感じの線路があったり、古い橋が架かっていたらいうことないな。
などと好き勝手思っていたら、ちょうどいい感じのダムが埼玉県の寄居駅近くにあった。古くはないが、ダムの近くに2つの橋があり、全部まとめて1枚の写真に収められたらいいんじゃない?などと軽い気持ちで5月のとある日に、件の玉淀(たまよど)ダムにいくことにした。
今回は、そんな玉淀ダムへの探検ウォークの記録である。
スタートは寄居駅
玉淀ダムの最寄り駅は寄居(よりい)だ。秩父鉄道と東武鉄道とJR東日本の3社が乗り入れている。都心部ならいざ知らず、埼玉県のはずれともいえる場所で3社乗り入れはかなり珍しい。何か立地的というか鉄道歴史的に訳がありそうな気がする。
駅の管理は、秩父鉄道が行っている。ホームや連絡通路にある簡易改札機へのタッチで他線への乗換ができるが、これが慣れていないとスムーズにいかない。
例えば、八高線から東武東上線に乗り換える場合、まず八高線ホームの階段近くにある簡易改札機にタッチして、そのあと連絡通路にある簡易改札機に2度目のタッチをする。これで、東上線のホームへ行くことができる。
ところが、八高線の階段下でタッチを忘れてしまう(忘れるというか、ここでタッチする必要はないと思ってしまう)と、連絡通路でタッチしてもエラーになる。いったん寄居駅の改札をでて、再度入場しなければならず、最初はわけがわからなかった。
寄居駅は3面6線のホームがある。北側(上の写真では手前側)から、JR八高線、秩父線、東武東上線と並んでいる。
寄居駅の西側では、秩父線と八高線がしばらく並走するが、やがて2つの路線は交差し、八高線は秩父線の下をくぐり南へ向かう。
最初に行くのはダム下流の河原
寄居駅を出たら、国道140号を目指そう。国道140号を西に歩いていくと皆野寄居バイパスへつながる道路が高さをあげ左に大きくカーブしていく。そこまでくれば、玉淀ダムはあと少しだ。
もうしばらく歩くと、左手に大きな駐車スペースがある。ここまでくれば、ダムの下流にある折原橋と末野大橋の一部がちら見えする。このまま、駐車場の先を左折して進んでいこう。
道を突き当たったら右折する。2本の道があるが、河原に出るのは左手の細く草木でうっそうとした道だ。
河原に出る前に折原橋を下をくぐる。折原橋は2001年(平成13年)に竣工し、ちょうど20年経過したところだ。
探検気分高まる河原
折原橋をくぐり抜けると、目の前に玉淀ダムが現れる。この日は黒い雨雲と青空に浮かぶ夏のような雲と、くるくると空が表情を変える天気だったが、それがダム周辺の景色にいい変化を与えている。
ダムの手前に、廃屋が見えてきた。壁の大半がなく、台風でもくればひとたまりもないような雰囲気だ。
そういえば、河原に下ってくる前に飲食の古い看板があったような気もする。以前は景勝地でもあるこの地で観光客相手に飲食店が営業されていたのかもしれない。
歩いてきた方向を振り返ると、先ほどくぐり抜けてきた折原橋がみえる。
折原橋からダムを見る!
河原まで歩いてきた道を引き返し、序盤で2分岐していた道まで戻り、今度は右の道を進み折原橋に続く方向に行ってみる。この橋は両サイドに歩道があるので、写真を撮影するのに好都合だ。
玉淀ダムを撮影したものでは、上の写真のように末野大橋とセットになったものが多い。折原橋から撮影した写真だ。
なんとか折原橋も仲間に入れないかと、無理やり広角で撮影してみた(上の写真)。いまいちだね。
ダムとは反対側の下流域には視界を遮るものがないので、折原橋から癒しの景観を楽しめる。
玉淀ダムへ
折原橋のたもとに玉淀ダムへの案内板がある。矢印に従い道を歩いて行く。
ダムが近づいてくる。それほど大きいダムではないが、やはり迫力がある。
関係者のみが入れる施設の門は閉まっているが、その右側の細い道は進入可能だ。道の中央にカラーコーンが置かれているので、車の進入は不可ということだろう。
先ほどの道を歩いて行くと、左に曲がる道がある。その道の右手には屋外変電設備?がある。
すぐに突き当たるので、さらに左折する。
また突き当たるので左折。ちょっと迷路のようになっているが、そのまま歩いて行けば、ダムの堤頂部にあるキャットウォークに出る。
理由は?と言われると困るのだが、私は上部にトラスがのっかっている構造のダムが好きだ。萌えるのである。しかもこの色がすごくいい。
ドローンで空撮でもしない限り(認められていないかもしれないが)、2つの橋と玉淀ダムを正面からきれいに収めた写真を撮るのは不可能だ。
が、なんとか雰囲気だけでもと体をひねって、いや自分の体をひねる必要はないのだが、撮影したのが上の写真。お天気も味方をして、ちょっといい感じに撮れたのでうれしい。やっぱり、青い空と白い雲があると、水辺の風景はとても映えたものになる。
「田舎教師」などの作品で知られる田山花袋(1872-1930)が1918年(大正7年)にこの周辺の地域を訪れ、紀行文「秩父の山裾」に感想を記している。
そしてこの鉢形の城址のある、その当時は立派な天嶮として役立った数百仭の一面の絶壁にあたって、大きく東北に弧線を描いて、そして関東平野へと流れ出ていたのである。長瀞の渓潭が好いとか、三峰に至る間の山水が好いとかいったとて、何うしてこれとは比較になろうと思われるほどそれほどその眺めはすぐれていた。私は敢えて言う、東京付近で、これほど雄大な眺めを持った峡谷は他にはない、と。
「秩父の山裾」より
ダムの建設などもあり、田山花袋が絶賛した荒川の眺めとはまた違う部分もあるだろう。が、後世に造られた人工的な建造物もまた、時の流れの中で玉淀の地に深く溶け込み、美しい景観を彩る一部となっている。
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