絶景!神威岬灯台

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年9月
難易度:■■□□(初級)

 これまで行った中で一番と言える景色に向こうに、神威岬灯台(かむいみさきとうだい、北海道積丹町)は立っている。

 駐車場から灯台までは、かなりのぼりくだりがあり、「両側とも険しい崖」といいう遊歩道を片道20分ちょっと歩く必要がある。ただしりっぱな防護柵が作られているし、道に迷う心配もまったくない。結構多くの観光客が来ていて、なかには杖をついている人、犬をつれている人なんかもいる。

 “危険な感じ”がしないのはちょっと残念だが、“灯台へ歩いていく”楽しみは存分に味わえる。

 

 神威岬がある積丹(しゃこたん)半島は、北海道の北西部から突き出た形だ。先端は猫の耳のように2カ所がとがっている。西の神威岬に神威岬灯台があり、東の積丹岬(の隣の出岬)に積丹出岬灯台(しゃこたんでみさきとうだい、北海道積丹町)がある。

(国土地理院)

 国道229号を折れ、少し走ると広い駐車場に着く。駐車場、神威岬、灯台の位置関係は次のとおり。

(国土地理院)

 平日の朝9時すぎでも、そこそこの人が来ている。

 駐車場から灯台へは、舗装された遊歩道を写真右から中央に向かってのぼっていく。

 歩きやすいのだが、結構長いのぼりだ。駐車場がだいぶ下に見える。

 

 ようやく遊歩道の最高点と思われる「女人禁制の門」に着いた! そして正面、はるか遠くに神威岬灯台が姿を現した。

 門の右に「以前神威岬は女人禁制として恐れられていた」という由来が書かれた案内板(劣化して読みにくい)があるが、もちろん現在はだれでも通過できる。

【重要】
 ただし、風雨が強いときは通行止めになる。具体的には風速が15m/s以上で女人禁制の門(ゲートB)が閉鎖される。降雨量が多いときは、この少し先のゲートCが閉鎖される。その場合はここからの遠景でしか灯台を見られない。

 ここまででかけていってから、閉鎖されているとちょっと悲しい。この近辺の風速は海上保安庁の「海の安全情報」(https://www6.kaiho.mlit.go.jp/01kanku/otaru/kamuimisaki_lt/kisyou/index.html)で確認できるので、事前に見ておいた方がいい。

 また、夜間や冬期も閉鎖される。詳しくは積丹町のWebサイト(https://www.town.shakotan.lg.jp/contents/content0106.html)を参照。

【臨時の重要情報】
 2024年9月30日から2025年2月20日までは、遊歩道の防護柵等改修工事のため、女人禁制の門(ゲートB)より先の遊歩道が通行止めになっている。それ以前に11月下旬から3月下旬までの冬期は閉鎖されているが。

 

 今回は改修工事開始前、風が弱く天気がいいという、絶好の状況だった。では灯台に向かって歩きだそう。

 遊歩道は、だいたい岬の尾根を通っている。両側は、45度ぐらいの斜面が海面までずっと続いている。だが、遊歩道はずっと左右に防護柵があるので、それほど怖い感じはしない。確かに強風が吹くと飛ばされるかもしれないが。

 いったんくだって、のぼり始めたところに金属の扉がある。大雨が降ったときに閉鎖されるゲートCだ。強風のときに閉まる女人禁制の門(ゲートB)よりは、ちょっとだけ先に来られるわけだが。

 

 この小さな峰を回り込むと、いよいよ“岬の先”に来た、という景色が広がる。パーカーを脱いだがそれでも暑い。

 “積丹ブルー”と言うのだろうか、海の色がすごくきれいだ。

 おそらく遊歩道のために半分にカットされてしまった山に向かってのぼっていくと、灯台は見えなくなっていく。

 振り返れば、女人禁制の門はあんなに遠く…(写真中央に門の形がかすかに見える)。

 灯台が再び見えた。もうすぐだ。

 

 神威岬灯台に到着。駐車場からは20分ちょっとだった。

 初点灯は1888年(明治21年)8月で、北海道に現存する灯台では5番目に古い。ただし、現在のは1960年(昭和35年)に改築されたもの。

 小樽海上保安部が灯台に掲示している案内には、旧灯台と思われるものが写っている。1883年(明治16年)初点灯の禄剛埼灯台は、日本人技師が設計したと思われるが、バリバリの“ブラントン式”デザインだ。それに対し、旧神威岬灯台はだいぶ違うデザインだったようだ。

 灯台の先に少しだけ遊歩道が延びている。

 そして遊歩道の終点からは、これまでまったく見えなかった「神威岩」が見えた。自然造型なのに、人工物のようにも見えてしまう。

 風や海流の条件が良ければ、クルーズやカヤックでは接近あるいは上陸もできるらしい。

 

 こっち側から見る灯台もなかなかいい姿だ。

 岬の突端を堪能したらそろそろ戻ろう。

 途中に「念仏トンネルの由来」という碑があった。大正元年、灯台から買い物にでかけた灯台守夫人2人と3歳の子どもが、途中荒波にさらわれ、溺死してしまった(行方不明とする案内板もある)。当時はいまのようなりっぱな遊歩道などなく、波打ち際を通るしかなかったからだ。

 この悲劇を受け、村人が協力して全長60mのトンネルを掘ったのが、念仏トンネルだという。そのトンネルの抗口と思われる場所を撮影した…つもりだったが、トンネルではなく、手前のススキにピントがあってしまっていた。

 このような険しい地形を越え、灯台まで容易にたどり着ける遊歩道のありがたさをかみしめた。

【オマケ】
 神威岬灯台から次の積丹出岬灯台に向かう途中、余別港来岸北防波堤灯台(よべつこうらいきしきたぼうはていとうだい、北海道積丹町)が見えたので、クルマをとめて撮影。

 手前は、神威岬や神威岩を海上から巡る「積丹神威クルーズ」の船。

 

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