【南宮崎の灯台5+1】島民はいなくなっても鞍埼灯台は光り続ける

 

ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

 

到達:2024年1月
難易度:■■■□(中級)

 

 鞍埼灯台(くらさきとうだい、宮崎県日南市)は、造られた年(明治17年)と見た目の点で重要な灯台で、しかも到達のための難易度がちょっと高い。今回の「南宮崎の灯台5+1」シリーズの主役であり、この灯台のために今回宮崎に行ったと言える灯台だ。

(国土地理院)

 鞍埼灯台は1884年(明治17年)8月に初点灯という古い灯台だ。稼働して140年になる。明治初期から中期の灯台はほとんどが石造りだが、鞍埼灯台は日本で初めて(無筋)コンクリートで造られた、というのが大きな特徴だ。

 ただ、無筋コンクリートでは強度的にあまり高い建造物が造れない。1897(明治30)年の掛塚灯台(静岡県磐田市)は、苦肉の策として、下半分は無筋コンクリート造り、上半分は鉄造という、2重構造になっている。

 鞍埼灯台以降も明治の灯台は石造りがまだ主流であり、日本初の鉄筋コンクリート造りの灯台(清水灯台)は、ずっとあとの1912年(明治45年)になってやっとできた。その後日本の灯台は鉄筋コンクリート造りが主流になったが、鞍埼灯台はその先駆者であり、しかも現役であるという、非常に価値のある灯台だ。

 もうひとつ、重要なのは鞍埼灯台が立つ大島(他と区別するために「日向大島」と呼ぶこともある)が近年無人島になったことだ。

 

 大島は昭和の一時期、300~400人の住人がいたものの、2010年代に最後の住人が引っ越して無人島となった。にもかかわらず、現在も日南市目井津(めいつ)港から1日4往復の市営旅客船が運航されている。

(国土地理院)

 

 理由の一つは、大島にある市営の「アドベンチャーキャビン・ファミリーコテージ」だろう。自炊する宿泊施設がある。そのほかだと釣り人かな。

 しかし、住民がいない島への定期航路を、日南市がいつまで維持するかはわからない。この定期航路がなくなれば、鞍埼灯台へ行くのが相当難しくなってしまう。

 というわけで、ちょっと焦り気味に日向大島に行くことにしたのだ。

 

 そして朝の目井津港。傘が必要な雨降りだが仕方ない。

 ある程度予想していたが、乗客はオレひとり。船内で乗客名簿(普通のノート)に名前、住所、連絡先を書く。

 ノートを見ると、きのうは灯台の工事関係者が6人ぐらいと地元の人(用事は不明)が2人ぐらい乗ったらしい。

 

 目井津港を出て、10分ちょっとで大島の竹之尻に着く。「次の便で小浜から帰るつもり」と船のおっちゃんに伝えて(危機管理の一環)、船を下りる。

 さよーなら~。

 下りた竹之尻には待合室がある。写真には写っていないのだが、この左にボックス型のトイレが男女別に2つあるそうだ(戻ってから船のおじさんに聞いた)。

 

 歩き出すと、延々と上り坂。船着き場からならまあ仕方ないことだ。キャビン・コテージのクルマが今でも利用していると思われるが、舗装道路なので歩きやすく、上り坂がつらいだけだ。

 灯台まで2000m。島の中で、目的地までの距離の看板があるのは、灯台とキャビンだけだ。

 でも、すでに上り坂が続いているおかげで「まだ2kmあるのか」という気持ちになっている。

 10分弱歩くと分岐点に着く。もう息が切れている。

 ここを右に行く人は、灯台に用事がある人だけだろう。

 

 それにしても、まだ上りが続くのか!

 どこまでもずっと上り坂。でもおかげでもうこの高さまで来た。雨で海の景色はよく見えないが。

 

 永遠に続くかと思われた上り坂が終わると、今度は下り坂だ。帰りはここを上らないと行けないということだ。そして道は島の反対側に移る。

 島の反対側、つまり太平洋側の景色が見えたのだが、雨で見晴らしが悪いのであまり感慨がない。

 上り下りの連続はキツいものの、道は舗装されていて歩きやすい。危ない崖はコンクリートで固められているし、ガードレールもある。

 なぜだろう。

「この先は灯台しかない」というところは大体山道で、通るのが大変な崩落があったり、道がはっきりわからなかったりすることも多い。

 ここも同様のはずなのだが、こんなに道が整備されている。灯台を建設した明治初期に舗装されたわけではないだろうから、以前には周辺に何軒かの家があったのだろうか。

「灯台まで××m」という案内板が500mおきに立っているが、これはごく最近のもので、道路の舗装とは時期が違う。

 それにしても、まだ1kmもあるのか。分岐から半分しか来ていないということだ。

 

 ちょっと開けた場所があった。家と小さな畑があったのかもしれない。いくつかの木が植えられている。左手前の苗木は、企業の新人研修記念(2019年)だそうだ。島にあるキャビンでバーベキューとかをしたのか、それとも泊まり込み研修だったのだろうか。

「灯台まであと500m」の案内板を過ぎた。海面からの高さは50mぐらいか。地図によれば、この付近の山は標高100m前後で、島内の道はだいたい50m前後の場所を通っている。

 人工物を発見。トイレと屋根のあるあずまやだ。今回トイレはとうてい使うには耐えない状態だったが、完全に放棄されているわけではなさそうだ。灯台まで行く(酔狂な)人のために、地元の人がいろいろと整備してくれているのかもしれない。地元が誇れる灯台であるのはたしかだ。

 もうだいぶ足がつかれてきたし、雨はいっこうにやまないのだが、「灯台まであと少しだよ~」の案内板に励まされ、なんとか歩き続ける。

 すると工事の資材置き場があった。軽トラぐらいなら、港からここまで走ってこられるかもしれないが、止めてあるクルマはどこにも見かけなかったような…。

 

 で、ふと見上げると…

 あるじゃないか、鞍埼灯台。背景が青空ではなく、雨でかすんでいるので、見た目の美しさは今ひとつだが。

 さらに「もう歩きたくない」状態なのにこの高さをのぼるのか、というウンザリ感。満を持してここまで来たのだが、感激がやや薄かったのは仕方がない。

 とにかく一歩一歩のぼっていくしかない。

 あとひと息。付属舎は左右端に向かって屋根がやや傾斜しているという、ちょっとしゃれた工夫がある。もっとあとに造られた経ヶ岬灯台(1898年:明治31年初点灯)の付属舎と形が似ている。

 

 到着した、鞍埼灯台。竹之尻で船を降り、歩き始めてから30分ちょっと。時間としては短いが、道の上り下りでかなり疲労した。雨カッパを着てさらに傘をさしていたことも影響しているかも。

 たしかに灯塔はあまり高くないが、「日本最初の無筋コンクリート」による灯台としては、りっぱなものではないか。天気がよければ結構見栄えがいいだろう。ただし電線が邪魔だ。

 正面の階段をのぼってしまうと建物が近すぎて、いいアングルで写真が撮れない。コンクリートはそれほど劣化していない感じだが、建造当時のままなのか、補修されたのか、知識がないので判別できない。

 灯塔と踊り場は十二角形だ、珍しい。この部分が多角形なのは、八角形の都井岬灯台(同じく宮崎県)に次いで2つ目だ。ただ、十二角形ぐらいになると、円形とはっきりした違いがないようにも思える。

 階段を下りたところの平らな場所は、おそらく退息所や倉庫があったところだ。工事の人がきのう旅客船に乗っていたのや、工事用機材の置き場があったのは、この工事のためだろう。

 どうやら工事しているのは、1.6kmぐらい南南東にポツンとある水島を照らす鞍埼水島照射灯のようだ。

 大島の南端を見る。島はあと200mぐらい先まである。水平線が全然わからない。中央にぼんやりと見える横長の黒っぽいものが水島だろうか。

 前日に、大島の南端を西方向(国道448号)から見たところがこれだ。左の一番高いところに、鞍埼灯台が小さく頭をのぞかせている。

 

 逆方向、島の北側を見る。これから、かすんで見える向こうの方まで歩いていかなければならない。気合いを入れ直して歩きだそう。

 灯台から30分ぐらいで分岐点に戻ってきた。左に行くと竹之尻の港に戻るが、今度はこれを右方向に行き、大島の北側にある小浜の港に向かう。

 やれやれ、また上り坂が続く。

 ここから小浜の港までは、アドベンチャーキャビンなどもあり、これまでよりも人の気配がする。住人のいなくなった家もまだあまり壊れていない。

 何カ所か、開けた場所には木が植えられている。この島の出身者や関係者のほか、自然ウォーキング、灯台見学+植栽ツアーなどによるもののようだ。

 アドベンチャーキャビンへの上り口をすぎると、絶景ポイントがあるのだが、絶景はおあずけだ。

 

「点燈記念之碑」というのがあった。鞍埼灯台の点灯のことかと思ったら違った。裏側に、昭和42(43?)年、島に電気が導入された(海底ケーブルか?)記念として、関係者名が刻まれている。「待ちに待った電気」ということだったんだろうな。

 魚見櫓という展望台。景色が期待できないし、足に余分な負担をかけないよう、素通りする。

 住宅前の広場に、大きなアコウの木があった。昭和のころは、何人もの子どもたちがここで走り回ったり、木に登ったりしていたんだろうな。

 変化の少ない道をとぼとぼ歩く。どうもこのへんが、道路の最北端のようだ。まだ北側に山がひとつあるが。

 と、何か造成しているところがあった。軽トラの先でも何か作業が行われている感じ。

 住宅なのか、事務所なのか、レジャー施設なのかはわからないが、これができるのであれば、当面旅客船の運行をやめることはなさそうだな。今後の鞍埼灯台への訪問もしばらくは安心だ。

 

 そろそろ小浜の港に着くというところ、最後の最後でふたまたになっている。どっちに行っても港に出るけど。

 灯台から1時間ちょっと、よろよろ歩いて小浜の港に到着。防波堤の中はかなり広い。以前は漁船でにぎわっていたんだろう。

 船便まで30分ぐらいの時間があるので、こぎれいな待合所で雨宿りする。中はベンチと男女別のトイレ。

 次の便の旅客船が到着した。帰りも乗客はひとり。雨の中、3時間弱の灯台および無人島クエストがようやく終わった。

 島の住民はいなくなった大島だが、鞍埼灯台は島の主として光り続けていくだろう。

 

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